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武蔵野文化:ロシア・ナショナル菅,プレトニョフ指揮,松田華音(pf) [音楽時評]

6月26日,武蔵野文化会館大ホールに,ロシア・ナショナル管弦楽団演奏会を聴きに行って来ました.指揮は創設者であり,芸術監督でもあるミハエル・プレトニョフ,そしてソロに6歳からモスクワに渡り,ロシアに育てられた16歳の天才ピアニスト松田華音が加わっていました.

ロシア・ナショナル管弦楽団というと国立を連想しますが,社会主義国には珍しい純民間団体のオーケストラで,興行収入+民間からの寄付で賄われているそうです.

今回は,6月13日のグリーンホール相模大野に始まって,奈良件文化会館,東京オペラシティ,アルカス佐世保,愛知県芸術劇場と周り,23日から再び,横浜みなとみらい,アクトシティ浜松,周南市文化会館(山口)武蔵野文化会館,昭和女子大学人見記念講堂,そして1日おいて,29日に日立シビックセンターで打ち上げという強行日程です

その間,プログラムは1~6とあり,ソリストには,樫本大進,河村尚子,アレクサンダー・コブリン(pf),そして松田華音が並んでいます.

ロシアのオーケストラを聴くのは久しぶりだったのですが,金管,木管の美しさ,巧みさ,打楽器の実力と音量,そして粒の揃った五弦のアンサンブルの見事さに,今更ながら感嘆しました.

今夜のプログラムは,
ビゼー: 「アルルの女」第2組曲
       ⅠPastorale,ⅡIntermeszzo,ⅢMenuet,ⅣFarandole.
サン=サーンス: ピアノ協奏曲第2番 ト短調 Op.22     ピアノ:松田華音
        ※※※※※※※※
チャイコフスキー: 交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
でした.

楽器の配置はヨーロッパ型というか,対抗配置で,第1ヴァイオリンの隣にチェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンでサークルを作り,第1ヴァイオリンとチェロの背後にコントラバスが2列並んでおり,チェロ,ヴィオラの背後にホルンと木管楽器群が並び,木管群の背後に金管楽器が並び,打楽器は右後方に配置されていました.

海外ツアーで全員参加していたらしく,サンサーンスは多少減員されていましたが,前後の大曲は第1,第2ヴァイオリンが6列ずつ並んでいました.

とにかく第1曲「アルルの女」から,ロシア大地を想起させるような重厚でどっしりした音を響かせて,木管,金管楽器群の華麗な演奏が続き,圧倒的な演奏が展開されました.ただ,ⅢMenuetでは,ハープの伴奏でフルートが誠に親しみ深いメロディを奏でて,好演していました.

サンサーンスのピアノ協奏曲第2番は,ピアニストでもあった作曲者の代表作の1つで,技巧的華やかさと色彩感に満ちた名曲です.
Andante sostenuto/Allegro scherzando/Presto の3楽章構成ですが,第1楽章の冒頭でいきなりピアノがソロで入り,主部に移りますが,最後にまたピアノ・ソロが回帰します.第2楽章はAllegro にテンポを速めて,軽快な楽章,第3楽章でさらにPresto に早めて,ピアノの鍵盤を一杯に使った華麗なフィナーレになります.
テクニック面の要求度も高い曲でしたが,若い松田華音はその技巧水準はとっくに超えていたようで,まことに見事な演奏を聴かせてくれました.
1曲難しそうなアンコールが入ったのですが,多分サンサーンスの曲らしいとしか分かりませんでした.
彼女は,既に,若手対象のコンクールでいくつも首位やグランプリを獲得しているようで,16歳でロシアで育てられた,トリフォノフを追う21世紀レベルの日本人天才ピアニストの出現を,大いに喜びたいと思います. 

チャイコフスキーの第4交響曲は,チャイコフスキーが結婚に失敗して神経衰弱に悩み,イタリアに転地療養中に完成された作品で,チャイコフスキー自身が,この作品は人生における「運命」を表現した曲と述べていたそうです.
緩ー緩ースケルツオー急・フィナーレの4楽章構成ですが,第1楽章は悩ましい現実と幸福な夢が交錯する楽章で,運命を象徴するファンファーレに始まり,ドラマティックな展開を見せます.第2楽章はメランコリックな緩徐楽章,哀愁を帯びたオーボエのソロが印象的です.
第3楽章は空想的なスケルツオで,弦楽器群のピチカートが主体の忘れがたい楽章です.終楽章は総てを忘れ去るような賑々しさに溢れたフィナーレで,大きな盛り上がりを築いて終わります.
1度聴くと忘れがたい曲ですが,とりわけロシア・ナショナル管弦楽団のプレトニョフ指揮による堂々たる構成の演奏には素晴らしいモノがありました.

全体に,堂々として華麗さを加えた名演だったと思います.
今秋にはゲルギエフーマリンスキーの組み合わせを2度聴く予定をしていますが,今から,それがいよいよ楽しみになってきました.


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パルテノン多摩:トリフォノフ・ピアノ・リサイタルの好演 [音楽時評]

全く久しぶりにパルテノン多摩へトリフォノフのピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.6割程の客の入りだったのはたいへん残念でした.

帰宅して,夕刊を読みましたら,五嶋みどりさんの「バッハで奏でる復興の祈り」という記事が載っていましたが,そのなかで「音楽は人の心に働きかける力を持っています.被災者や復興支援に携わっておられる方々に一瞬の心の安らぎを持って頂ければ.そんな気持ちで演奏します」という五嶋みどりさんの言葉が載っていて,世界的なヴァイオリニストの謙虚さに心を打たれました.
日本の演奏家のほとんどが,平然と「音楽の感動を伝えますor与えます」という押しつけがましい表現をしているのに何となく違和感を感じていたからです.

今夜のプログラムは,
シューベルト/リスト編曲:12の歌」より第7曲”春の想い”
シューベルト/リスト編曲:「白鳥の歌」より第1曲”都会”
シューベルト:        ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960(遺作)
            ※※※※※※※※
ドビュッシー:    「映像」第1集
              第1曲「水に映る影」,第2曲「ラモーを讃える」,第3曲.「動き」
ショパン:       12の練習曲 作品10全曲
              第3番に「別れの曲」,第5番「黒鍵」,第12番「革命」を含む.
でした.

先ず使用楽器についてですが,イタリアが全く独自に開発した FAZIOLI というピアノで,高音部と低音部でたいへん優れた明晰さを持ったピアノでした.高音部が中間部に較べて音程がかなりフラットになったり,低音部が音がかなり太くなったりしない,素晴らしい優れモノでした.トリフォノフご愛用のピアノで,来日のたびに持ち歩いているモノですが,彼のピアノ演奏の明晰さと広い安定した音域に貢献しているモノです. 

今夜の休憩を挟んだ後半の曲集は,トリフォノフが第14回チャイコフスキー優勝者ガラ・コンサート(今年の4月23日,サントリーホール)で演奏した曲集でしたから,ダブってコメントすることは控えますが,とりわけ,一昨年のショパン・コンクールで第3位を獲得したトリフォノフのショパンは,トリフォノフの天賦の才能を漲らせた曲集の解釈と構成力のほどを遺憾なく発揮したモノでした.

シューベルトの歌曲をリストが編曲したモノは,いずれもピアノ伴奏と歌唱を合わせて編曲した優れた作品で,ただ,うっとりと聴き入るのみでした.

この2曲が終わっても拍手が入らなかったというか,拍手を求めることなく,トリフォノフはそのままシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960(遺作)に入りました.

しかし,ホール側は,ほんの僅かの間隙を縫って遅参者を入れましたから,後半の席に座っていたモノにはたいへん迷惑でした.生憎とマナーの悪い人達で,演奏が始まっているのに,後方に静かに座らないで,できるだけ前方に来て,手渡されたプログラムと配布物をめくって音を立ててはばからなかったのです.
序でにホールの照明についてですが,ステージ上面からの照明が全開になっていましたが,オーケストラ演奏ではないのですから,能がなさ過ぎます.ピアノを円形にスポットとライトを当てて,ステージの壁面(背面と両壁面と天井)は多少照明をダウンすべきだったと思います.
また,プログラムで,2曲目は,シューベルト「白鳥の歌」より第1曲「都会」となっていますが.シューベルトの原曲では「白鳥の歌」の第14曲ですから,解説にリスト編曲の順序と明記されるべきだったと思います.

それでも,この私の大好きなシューベルトの遺作.Allegro moderato/Andante sostenuto/Scherzo:Allegro vivace con delicatezza-Trio/Allegro ma non troppo の4楽章を,トリフォノフは,まことに大きなスケールで,とても20代とは信じがたい豊かな解釈と構成力,そして確かなテクニックで,各フレーズのアクセントや各楽章の音の強弱の構築を見事にやってのけて,昨秋の内田光子の名演や最近の伊藤恵の好演を彷彿させる,ハイレベルの好演を聴かせてくれました.

これだけ次々と好きな曲の好演を聴けたことに,たいへん満足して帰りました.
ただ,この曲のベストなプログラミングは,ピアノ・ソナタ第19,20,21番という,作曲者の死の直前に2ヶ月余りで一気に書き上げられた3曲には,それなりの繋がりがありますから,世界の有名ピアニスト,たとえば,最近では昨秋の内田光子がやっったように,3曲を纏めて弾くのがベストだと私は信じていますが,トリフォノフのような若手にそれを期待するのは無理な相談というべきなのでしょう,

期間を余り開けないで,このレベル・アップした21世紀を代表するトップ・ランナーのピアニストに,ぜひ,再来日してまた好演を聴かせて欲しいモノです.

  


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来日間近のYuja Wang with S.F.Symphony [音楽時評]

11月19日にサントリーホールに来演して,同じラフマニノフのピアの協奏曲第3番を協演する同じ顔ぶれ,ユジャ・ワン+サン・フランシスコ交響楽団が,本拠地サン・フランシスコでシーズン締めくくりの演奏会を行って,たいへん好演したと高評を博していましたので,ご紹介します.

At this point, there's no more news to report about Yuja Wang. She is, quite simply, the most dazzlingly, uncannily gifted pianist in the concert world today, and there's nothing left to do but sit back, listen and marvel at her artistry.

Happily for local audiences, Michael Tilson Thomas and the San Francisco Symphony were among the first to recognize her pre-eminence, and quickly forged a relationship with her that has brought us a series of revelatory local appearances. The latest came over the weekend, when Wang joined the orchestra in Davies Symphony Hall for a titanic account of Rachmaninoff's Third Piano Concerto.

手放しの賞賛という表現をを超えた,早くからこの若き天才ピアニストと協演してきたサン・フランシスコ交響楽団の誇りと喜びが溢れた表現にまず驚かされます.
ロスアンジェルスでは,ウルトラ・ミニ・スカートで登場してアメリカの話題を集めた彼女ですが,今回は,写真にあるように,まことに落ち着いた服装です.

賞賛振りは,歯が浮くような表現で訳しようがありませんから,原文のままとしますが,
Wang's Rachmaninoff was clearly the headline event. It wasn't just the fact that she made this concerto's fabled technical difficulties - its thunderous chordal writing, its intricate passagework, its wearying length - seem easy, although that was part of it.

More remarkable still was the depth and imagination she brought to the entire score, and the way she made the piece's virtuosic angle just one part of its purpose.

Of course, there were plenty of opportunities for showmanship, and Wang dispatched them with her customary aplomb. The fierce keyboard explosions in the outer movements - thickets of notes, densely clustered for maximum effect - and the quicksilvery bursts of repeated notes in the central episode of the second movement were beautifully handled.

But just as striking was Wang's ability, which Thomas and the orchestra suavely supported, to convey the lyricism and grace of Rachmaninoff's writing. In Wang's hands, the opening theme - a simple melody in octaves brimming with nuanced emotion and energy - sounded every bit as impressive as the finger-busting displays that ensued.

おまけに,アンコールとして,華麗な指さばきで有名な,For pure finger-busting, Wang delivered a stunning encore of Vladimir Horowitz's "Carmen" Variations.を弾いたというのですから,東京でも聴かせてくれるのでは,と楽しみです.

あとは,どうぞご自由に,ご渉猟下さい.

 

 

S.F. Symphony review: Wang's awesome Rachmaninoff

MUSIC REVIEW
Updated 04:00 a.m., Tuesday, June 19, 2012
  • Pianist Yuja Wang Photo: Felix Broede/DG / SF
    Pianist Yuja Wang Photo: Felix Broede/DG / SF

 

At this point, there's no more news to report about Yuja Wang. She is, quite simply, the most dazzlingly, uncannily gifted pianist in the concert world today, and there's nothing left to do but sit back, listen and marvel at her artistry.

Happily for local audiences, Michael Tilson Thomas and the San Francisco Symphony were among the first to recognize her pre-eminence, and quickly forged a relationship with her that has brought us a series of revelatory local appearances. The latest came over the weekend, when Wang joined the orchestra in Davies Symphony Hall for a titanic account of Rachmaninoff's Third Piano Concerto.

There were other delights on the program on Sunday afternoon, but Wang's Rachmaninoff was clearly the headline event. It wasn't just the fact that she made this concerto's fabled technical difficulties - its thunderous chordal writing, its intricate passagework, its wearying length - seem easy, although that was part of it.

More remarkable still was the depth and imagination she brought to the entire score, and the way she made the piece's virtuosic angle just one part of its purpose.

Of course, there were plenty of opportunities for showmanship, and Wang dispatched them with her customary aplomb. The fierce keyboard explosions in the outer movements - thickets of notes, densely clustered for maximum effect - and the quicksilvery bursts of repeated notes in the central episode of the second movement were beautifully handled.

But just as striking was Wang's ability, which Thomas and the orchestra suavely supported, to convey the lyricism and grace of Rachmaninoff's writing. In Wang's hands, the opening theme - a simple melody in octaves brimming with nuanced emotion and energy - sounded every bit as impressive as the finger-busting displays that ensued. For pure finger-busting, Wang delivered a stunning encore of Vladimir Horowitz's "Carmen" Variations.

Thomas and the orchestra brought their own brand of magic to the concert's first half. It began with Fauré's "Pavane," in a lovely, rhythmically sustained reading graced by a fragrant contribution from principal flutist Tim Day.

Even more alluring was the orchestra's sleek and strong-boned rendition of Sibelius' all-too-rarely heard Third Symphony. Thomas seemed intent on underscoring the work's elegance and balance without letting it subside into pure arabesque, and the orchestra followed his lead superbly.

Joshua Kosman is The San Francisco Chronicle's music critic.


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サントリーホール:都響プロムナード,梅田指揮,山本contrabass [音楽時評]

6月23日,サントリーホールに東京都交響楽団のプロムナード・コンサート;梅田俊明,コントラバス山本修,コンマス四方恭子を聴きに行って来ました.

とにかくサントリーホールのブルーローズでヘンシェル・クァルテットの低レベルの演奏会を3日も聴かされてから,他の何を聴いても良く聴こえる感じがしてしまうのは有り難いことです.

梅田俊明さんは,前に日本音楽コンクールの本選会の指揮で凡庸に聴こえてから,あまり買っていなかったのですが,今日の都響の指揮はたいへん良かったと思います.

プログラムは,ロシアモノで
ムソルグスキー:   交響詩「はげ山の一夜」(リムスキーコルサコフ編)
クーセヴィッtキー:  コントラバス協奏曲 嬰へ短調 作品3
        ※※※※※※※※
リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」 作品35(ヴァイオリン独奏/四方恭子)
でした.

「はげ山の一夜」はやや怪奇的な作品ですが,曲の構成が優れているので聴く機会の多い作品です.それを梅田俊明がまことに纏まりよく聴かせてくれました.都響が弦も菅も良く鳴っていました.

コントラバス協奏曲はヘンシェル・クァルテットを批判したNew York Times の記事に,チェロがコントラバスのように弾いていたとあったのを思い出しましたが,山本修のコントラバスは音量は穏やかで終始一貫してまことに美麗な音の演奏で,感嘆しました.チェロの批判としては,図太くって濁った音の意味で使われるのですが,この協奏曲のAllegro/Andante/Allegro の3楽章は,まるでチェロ協奏曲を聴いているような柔和な美しい響きで一貫していました.

「シェヘラザード」は千夜一夜物語の語り手、シェヘラザードに基づいた作品として有名で,
第1楽章《海とシンドバッドの船》
第2楽章《カランダール王子の物語》
第3楽章《若い王子と王女》
第4楽章《バグダッドの祭り,海,船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲》
の4楽章構成ですが,各楽章が波瀾万丈で,テンポ変化に富んでいます.また,シェヘラザード主題(ソロ・バイオリン)と王の主題(チェロ)が循環して現れ,見事な統一性アル交響曲として作曲されています.
演奏では,冒頭から何度も繰り返されるシェヘラザード主題の循環が,四方恭子さんのヴァイオリンでまことに華麗に演奏されて未だに耳に残っています.チェロのソロも綺麗でしたし.金管,木管の
演奏もたいへん素晴らしい演奏で,静かに全曲が閉じられるのが惜しいほどに,都響の好演が目立ちました.
梅田俊明さんにも敬意を表したいと思います.

とにかく3人東京都響の演奏の充実振りは頼もしい限りです.

 

 


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Vienna Philharmonic, Rattle in London [音楽時評]

たいへんショッキングな記事に出会いました.
ことは世界を代表する指揮者Simon Rattle と世界を代表する Vienna Philharmonic の間で起きたことです.

端的に言えば,Vienna Phil が London の Barbican Hall で Rattle を手玉にとって,Schumann, Brahms and Webern の曲をGloriously shabby に演奏したというのです.

Just as the most impeccably aristocratic families have the shabbiest homes, so the oldest and most prestigious orchestras frequently deliver the most scrappy performances. Trying too hard is so arriviste. King of this insouciant shabby chic are the Vienna Philharmonic. It's almost as if at some point the orchestra got bored of playing well. One hundred and sixty years at the top delivering the world's warmest, plushest, most sophisticated sound must get repetitive.

we also got a deliberate untidiness that could only be described as a kind of musical sprezzatura. This was most in evidence in the Brahms Three that opened the evening. The development stormed in on a slack opening and built to a thrilling but unstable climax, the strings pushing their syncopations to the very limits of what was healthy for a steady tread. After an Andante full of local interest, a lackadaisical quality returned in the Poco Allegretto, the pulse of the middle section sounding more like a man creeping downstairs in the middle of the night to fetch some milk than the palpitations of a troubled interior. The fourth ushered in a big, generous, romantic sound, albeit with jazzy pizzicatos from the double basses.

The Vienna Phil has a tendency to conduct their conductors. The amount of inter-sectional one-upmanship in the Brahms meant that it was hard if not impossible for Sir Simon Rattle to make much of an impression. Few of Rattle's qualities - clarity, vertical cleverness, colour - came through, which meant that the performance ultimately lacked sophistication, though it had enough fresh ingredients to still momentarily seduce.

The Vienna Phil's increasingly blasé manner can be annoying. Why would a top orchestra choose to be so wilfull? Well they're finally teaching us why. There's much to be gained from a studied insouciance. And isn't it nice that at least one orchestra in the world isn't chasing a shiny perfection and is instead ploughing a richer more interestingly characterful furrow? Besides, whenever one found the lack of unified purpose annoying, one was always able to bathe in the creamy sounds. One couldn't really complain.

オペラの伴奏もやりながら,オーケストラとしても超一流を求められるVienna Philharmonic としては,たまには,こんなこともしたいのでしょうし,それでも聴衆は豊かな音には文句のつけようがないのでしょう.

あとは,どうぞご自由にご渉猟下さい.
Vienna Philharmonicが来日しても,多分,手抜きの絶好のチャンスなのでしょう.

あれほどひどかったヘンシェル・クァルテットに,拍手喝采してアンコール演奏を有り難がった聴衆には,Vienna Philharmonic の名前だけで十分でしょうから.....

 

Vienna Philharmonic, Rattle, Barbican Hall

Gloriously shabby Schumann, Brahms and Webern from orchestral aristocracy

Sir Simon Rattle: 'The start of the Rhenish felt like a fresh spring wind had suddenly rushed in through the Barbican doors 'Mark Allan/Barbican

Just as the most impeccably aristocratic families have the shabbiest homes, so the oldest and most prestigious orchestras frequently deliver the most scrappy performances. Trying too hard is so arriviste. King of this insouciant shabby chic are the Vienna Philharmonic. It's almost as if at some point the orchestra got bored of playing well. One hundred and sixty years at the top delivering the world's warmest, plushest, most sophisticated sound must get repetitive.

That's not to say that we didn't get some glorious Viennese cream. We did. But we also got a deliberate untidiness that could only be described as a kind of musical sprezzatura. This was most in evidence in the Brahms Three that opened the evening. The development stormed in on a slack opening and built to a thrilling but unstable climax, the strings pushing their syncopations to the very limits of what was healthy for a steady tread. After an Andante full of local interest, a lackadaisical quality returned in the Poco Allegretto, the pulse of the middle section sounding more like a man creeping downstairs in the middle of the night to fetch some milk than the palpitations of a troubled interior. The fourth ushered in a big, generous, romantic sound, albeit with jazzy pizzicatos from the double basses.

The fin-de-siècle, psychosexual claustrophobia of the Webern was an extraordinary contrast to the Schumann

The Vienna Phil has a tendency to conduct their conductors. The amount of inter-sectional one-upmanship in the Brahms meant that it was hard if not impossible for Sir Simon Rattle to make much of an impression. Few of Rattle's qualities - clarity, vertical cleverness, colour - came through, which meant that the performance ultimately lacked sophistication, though it had enough fresh ingredients to still momentarily seduce.

The Webern was more interesting. Conventional wisdom would have thought that placing Webern, one of the very greatest orchestrators of all time, next to Schumann and Brahms was a bit unfair. In fact Rattle's deft handling of the Rhenish Symphony in the second half meant the Schumann held up well next to the adventurous Six Pieces. We were given Webern's 1928 revision of the work. This version robs us of the primordial tunelessness that starts the 1909 version of the third movement, but it's perhaps clearer otherwise. The soft-edges of the orchestral sound, however, didn't do Rattle (or Webern) many favours. He couldn't turn the screw when required. Tartness was absent from the second. A sufficiently deafening climax never quite came about in the third, though the rest of the evocation was powerful.

The fin-de-siècle, psychosexual claustrophobia of the Webern, particularly the choked opening sound of the last Langsam - in which oboe accompanies violin trills sul ponticello - was an extraordinary contrast to the Schumann. The start of the Rhenish felt like a fresh spring wind had suddenly rushed in through the Barbican doors. It was the most satisfying performance of the night. Rattle etched each scenario sharply and freshly. He introduced contours to the usually monolithic sounding opening Lebhaft, and let the horns blaze forth gloriously. The river activity of the second movement was maddeningly gloopy by comparison. Still, with the fourth we were back on track with a searing search for Schumann's enigmatic fiery darkness. And we ended as we had begun, in a delightfully airy and carefree spirit.

The Vienna Phil's increasingly blasé manner can be annoying. Why would a top orchestra choose to be so wilfull? Well they're finally teaching us why. There's much to be gained from a studied insouciance. And isn't it nice that at least one orchestra in the world isn't chasing a shiny perfection and is instead ploughing a richer more interestingly characterful furrow? Besides, whenever one found the lack of unified purpose annoying, one was always able to bathe in the creamy sounds. One couldn't really complain.


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サントリーホール:都響B定期大野和士指揮,庄司紗矢香ソロ [音楽時評]

6月18日,サントリーホールに東京都交響楽団B定期公演を聴きに行って来ました.
指揮に今日本の指揮界のトップにあるといえる大野和士,ソロにこれもパガニーニ・コンクールの優勝者で世界的なヴァイオリニスト庄司紗矢香が出演しており,外来オーケストラ並みの,たいへん豪華な顔合わせで,都響もそれに応えて大変な熱演を展開してくれました.

出演者を纏めますと,
指揮:    大野和士
Violin:  庄司紗矢香
コンマス;  矢部達哉
でした.

プログラムも意欲的で,
シェーンベルク: 浄められた夜 作品4
シマノフスキー: ヴァイオリン協奏曲 第1番 作品35
            ※※※※※※※※
バルトーク:    管弦楽のための協奏曲
でした.

浄められた夜は,リヒャルト・デーメルの同名の詩「浄夜」に基づき、月下の男女の語らいが題材となっています,最初は弦楽六重奏曲として作曲されました.初期のシェーンベルクは,まだ無調音楽や十二音技法とは無縁で,極端な半音階の音楽ながら,調性は一応ニ短調となっています,
単一楽章ですが、デーメルの詩に対応して5つの部分から構成されており,いわば標題音楽となっています.
暗い陰影に包まれた音楽ですが,女性の告白1,男性の苦悩,女性の告白2(ff),男性の激しい動揺を経て,最後はppppのアルペジオで終わります.大変な陰影に富んだ好演でした.

シマノフスキーのヴァイオリン協奏曲は,三管編成のオーケストラに、チェレスタ、ピアノ、2台のハープを要する壮麗な単一楽章の作品です.シマノフスキーが生まれた当時,ポーランドは各国に分割されて地図上に存在しませんでしたが,1918年にポーランドが独立を達成する2年前に,この協奏曲は作曲されています.
友人の大ヴァイオリニスト,コハンスキーの助言を受けて作曲され,彼に献呈されたほか,カデンツァ部分は「コハニスキ作」と但し書きが残されているそうです.
東洋的な響きと印象派に連なる雰囲気を持ったユニークな大変な聴き応えのアル作品です.
庄司紗矢香は,上野製薬株式会社貸与のストレディヴァリュース「レカミエ」の音量豊かな美音を駆使し,終わり部分に現れる美しいカデンツァを含めて,大変な名演奏を聴かせてくれました.

バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は,アメリカ亡命後の窮状を救おうとクーセヴィツキーの委嘱で書かれた作品で,オーケストラの各セクションのソロ奏者達が,入れ替わり立ち替わり,ソロ奏者のように演奏する興味深い作品です.
[導入部]Andante non troppo-Allegro Vivace/[対の遊び]Allegro Scherzando[悲歌]Andante non troppo/[中断された間奏曲]Allegretto/[終曲]Pesante-Presto の5楽章構成という多彩な曲ですが,大野の指揮に応えて,東京都響の各パートがたいへんがんばって,まことに華麗で壮大な協奏曲を展開してくれました.

また,ぜひ近い機会に,この組み合わせを聴きたいものだと強く感じました.

 

 


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フィリアホール:河村尚子ピアノ・リサイタル [音楽時評]

6月16日,これまでお金を払って,3日もサントリーホールに,レベルの低いヘンシェル・クァルテットを聴きに通った愚行を吹き払いたい気持ちで,フィリアホールへ河村尚子のピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.

こちらは今まさに伸び盛りの感じで,快演を聴くことが出来ました.将来がますます楽しみです.

今夜のプログラムは,
モーツアルト:    ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332
シューベルト:    幻想曲ハ長調Op.15,D760「さすらい人幻想曲」
            ※※※※※※※※
メンデルスゾーン:「無言歌集」より 「浜辺で」Op.53-1
                                             [浮雲」Op.53-2
シューマン:    「フモレスケ」変ロ長調Op.20
でした.いかにもお得意の曲が並んでいました.

彼女と並走している小菅優が,既にベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会の1/4位にあり,今秋にはモーツアルト後期ピアノ協奏曲連続演奏会をコツコツと積み重ねようとしているのに,河村尚子は,それらは先送りして,マイペースでシューベルトやシューマンの名曲,そしてピアノ協奏曲の名曲,ベートーヴェンの3~5番やグリーグ,シューマン,ブラームス,ラフマニノフなどの協演要請に応えているようです.

この自然体が彼女らしいところなのでしょう.
しかし,一面では,ピアノ伴奏者の経験を積もうとして,トッパン・ホールでソプラノのエルツェを迎えたリートの伴奏と,チェロのハーゲンの伴奏が予定されていますから,リパートリーの拡充と共に着々と経験を深めているようです.

モーツアルトのK.332は有名なトルコ行進曲付K331に続けて書かれた傑作です.Allegro/Adagio/Allegro assai の3楽章構成で,ダイナミックな両端楽章に流麗な緩徐楽章が挟まっています.まことに清々しい好演でした.
ただ,最終楽章の前に,ピアノに置いたハンカチを取って,汗を拭い,次に鍵盤を撫ぜたのですが,ボンと音を出してしまったのは,あってはならないミスでした.


シューベルトの幻想曲は,allegro confuoco ma non troppo/Adagio/Presto/Allegro の4楽章を持ったソナタといえます.第2楽章の主題が歌曲「さすらい人」によっていることから「さすらい人幻想曲」と呼ばれています.同歌曲の伴奏部から取られた主題が4楽章を通じて現れる,後に循環形式として確立する手法を取っています.そのため緊密な構成となっており,4つの楽章は続けて演奏されます.たいへん見事な好演でした.

メンデルスゾーンの無言歌は文字通り歌詞のない歌ですから2つの小曲が非常に綺麗に歌われました.

シューマンの「フモレスケ」については,私は彼女が新宿の朝日文化センターで,この曲の内容を解説して,全曲を演奏したのを聴いたことがあり,たいへん懐かしく聴いていました.
およそ30分を要する大曲で,フモレスケとは、喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態をいい,シューマン自身は「ドイツ人に特有な〈情緒的と知的とのたくみな融合〉」といっているそうです.
大きく変化に富んだ5部に分かれますが,切れ目なく演奏されます.なかでは第3部の叙情的な部分が印象的です.すっかり河村尚子の十八番になったようで,うっとりと聴き惚れていました.

 


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サントリーホール:ヘンシェルQ連続演奏会を批判する [音楽時評]

6月15日,サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)にヘンシェル弦楽四重奏団の4日目を聴きに行って来ました.2,3日目にに続いて3回目です.

演奏についてですが,メンバーは,
第1ヴァイオリン:クリストフ・ヘンシェル、
第2ヴァイオリン:ダニエル・ベル
ヴィオラ:モニカ・ヘンシェル
チェロ:マティアス・バイヤー=カルツホイ

プログラムは,オール・ベートーヴェンで,
弦楽四重奏曲 変ロ長調 op.18-6
弦楽四重奏曲 変ホ長調 op.74 「ハープ」
弦楽四重奏曲 イ短調 op.132  
でした.ここでも,前期,中期,後期が並んでいました.

特に後期のop.132は,かなり自由なスタイルで,5楽章構成をとっています,最終日に予定のop.131は,さらに7楽章構成ですが,そこでは,間を置かず全楽章続けて演奏されます.

間に4日リハーサル可能な日が入った4夜目も,演奏の問題点は変わりませんでした.第1ヴァイオリンの余計な音はいくらか減っていました.しかし,チェロの図太い音と音程の怪しさは全く変わりませんでした.
いったい誰が,何故,このレベルの低いヘンシェルに何を期待して,この全曲演奏会を企画したのでしょう!

第2ヴァイオリンというのは,弦楽四重奏の全体を把握できる立場にあるのですが,その人が,ヘンシェル姉弟の1員だったのに,一種の神経症に陥り,旅行に耐えられなくなって,オケに転向したあとにダニエル・ベルが入ったそうですが,結成4半世紀を迎えようとするヘンシェルのアンサンブル問題の犠牲になったのではないか,と憶測したい気持ちです.

作品18は,実際には最初の作曲が第3番でその後第1番、第2番、第5番、第6番、第4番の順だったそうです.ですから,第6番は決して初期の最後ではないのですが,第2楽章のホッとするような安らぎを感じさせる美しい旋律が聴かせました.

第10番は「ハープ」と呼ばれていますが,第1楽章で現れるピチカートがハープの音のように響くところから付けられたといいます.第2楽章では,ベートーヴェンらしい心に余裕を持った哀感が,ゆったりと表現されます.第4楽章では変奏曲が6つ現れ,高まりを見せますが,穏やかに終わります.

第15番は,作曲されたのは第12番に続いてでしたから正しくは13曲目の弦楽四重奏曲です.第12番の完成に引き続いて作曲されたエネルギーに満ちた作品ですが,後期の多楽章弦楽四重奏曲へ足を踏み入れた第1曲目で,5楽章形式となっています.
第1楽章は,静かにチェロから始まり次第に和音が重なるピアニシモで美しいハーモニーの序奏です.3夜聴いたなかで,辛うじて聴けたクァルテットならではのアンサンブルでした.

この曲の中心は,「病より癒えた者からの神への聖なる感謝」と書かれた第3楽章で,コラール風のハーモニーが続き、まさに祈りの Adagio と呼ぶに相応しい美しく深い音楽が続きます.ここでは特にヴィオラの美音が印象的でした.やがて「新しい力を感じて」のAndanteに転じて生き生きと演奏されます.
祈りと感謝の第三楽章の次に行進曲風の元気な第四楽章が入りますが,楽章の終わりに哀しみのメロディが入り,最終楽章の悲しみの歌へ移ります,悲しい旋律ですがこれはもともと交響曲第九番の最終楽章で使われる予定だったものです.そして,最終楽章の最後の2小節がフォルテシモで閉じられます.

この曲でも第1ヴァイオリンとチェロは良くありませんでした.
ヘンシェル・クァルテットが,これからどう推移するのかが気がかりです.現状維持なら,2度と聴く気になれません.

ご参考までに,Washington Post 紙の2年前の Music Review を掲載しておきます.ここでは,第1ヴァイオリンの弱点を挙げ,名手のチェロの焦燥感を指摘して,ヘンシェルQの存続に疑問を呈しています.
サントリーホールは何も調べずに麗々しく宣伝して,聴衆を欺いて,招聘したのでしょうか?

In review: Henschel Quartet

Web-only review:

 

Siblings show uncertainty in Henschel Quartet program
by Robert Battey

The Henschel Quartet, a youngish German group including three siblings, is a most peculiar ensemble. Its performance Wednesday at the Library of Congress raised a host of questions. The group has been coached by the highest-level artists, has won prizes at major international competitions, and now apparently has a viable career. But given the individual instrumental problems on display in a program of Schumann and Barber, one has to wonder what the future holds.

I have never seen a professional violinist so ill at ease on the instrument as the Henschel's leader. His vibrato sometimes sounded like an intermediate student's -- so tense and inconsistent as to be functionless. His herky-jerky bow destroyed any semblance of legato, and he could not execute a proper spiccato. From the opening notes of Schumann's First Quartet, it was impossible to tell which stresses and accents were the composer's and which resulted from technical glitches. His two siblings suffered from all of these problems, but to a lesser extent.
(read more after the jump)

The Henschel's cellist (the non-sibling) is a fine, well-schooled player, and I can't imagine the frustration he must feel. Although the group somehow plays fairly well in tune, their respective idiosyncrasies with the bow make the matching of sound and attack a futile proposition. Their rendition of Barber's famous "Adagio" was like a scene from Beckett -- empty gestures and existential musings lacking any sense of direction.

They did give a humdinger of an encore, though: a movement from a quartet by Erwin Schulhoff, sort an if-Bartok-had-been-Jewish hoedown.

-- Robert Battey

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By Anne Midgette | April 16, 2010; 6:04 AM ET

 

序でにNew York Times のMusic Review の1節を引用しておきますと,

These players — Christoph and Markus Henschel, violinists, and Monika Henschel-Schwind, violist (they are siblings), and Mathias Beyer-Karlshoj, cellist — moved easily among the four composers’ styles. But the most transfixing aspect of their performance was a hefty tone, both individually and as an ensemble. In solo passages, each produced a seductively buttery timbre, and throughout the performances Mr. Beyer-Karlshoj drew a sound so uncommonly fat that his instrument often sounded more like a double bass than a cello.  


各パートの音が濁っていたが,とりわけチェロはコントラバスのように響いたとあります.


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武蔵野文化:ダン・タイ・ソン(pf)リサイタル  [音楽時評]

6月14日,武蔵野文化会館小ホールへダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.1958年ベトナムのハノイ出身といいますから,たいへん苦難の時期を経験したと思います.

フランスの植民地であったベトナムの処理については,日本に敗戦を迫ったポツダム会談で実はフランスの植民地への復帰が決められていたのです.
しかし,1945年8月15日ポツダム宣言を受諾し日本が無条件降伏すると、8月18日から8月28日にかけてベトミンが指導する蜂起がベトナム全土で起こり.ベトミンはベトナム帝国のバオ・ダイ(保大帝)を退位させて権力を奪取し、臨時ベトナム民主共和国政府が成立し(ベトナム八月革命),日本が降伏文書に調印した9月2日ハノイベトナム民主共和国独立宣言が行われました.
しかし,まず,北緯16度線以北は,中華民国が,以南はイギリス軍が一時進駐し,日本軍の武装解除に当たりました.
1946年にベトナムに復帰したフランスは,再植民地化に着手しますが,ベトミンの激しい抵抗に遭うことになります.

1946年2月28日と3月6日、べトミンとフランスは予備協定を締結し、フランス連合インドシナ連邦の一国としてベトナム民主共和国の独立とトンキン地方のフランス軍駐留を認め、3月26日にはフランス権益が多く存在する南部ベトナムにはコーチシナ共和国が成立し、一時的妥協が成立します.植民地化時代からの多くのカトリック信者は,南部に逃れ,イギリスから譲られた統治権を持っことになりました.

その間,1949年8月にソ連が原爆実験に成功し、10月に北隣に共産主義の中華人民共和国が成立すると、翌1950年1月にソ連と中国がベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン政権)を正式承認し、武器援助を開始しました。これによりベトミン軍は近代化され、正規軍の規模を拡大,編成することが可能となったのです.

フランス軍は,ベトミン軍を,旧日本軍の飛行場のあった盆地,ディエンビエンフーに誘い出して,壊滅させようと作戦を立てましたが,逆に,1956年,ここで決定的な敗北を喫して,フランス軍は追い落とされ,激化して来たアフリカのアルジェリア戦争に集中することにして,アメリカに後を託してようやくベトナムから撤退します,

北緯17度線で南北に分断されたベトナムは,それからさらに1975年にアメリカを追い落とすまで,アメリカとの長い戦争を続けることになります.

余談ですが,ベトナム戦争の末期に,私がいた大学からマルクーゼを追ってカリフォルニアに移った有名な女性闘士,アンジェラ・デイビスAngela Davisが,裁判所で判事を射殺した事件の犯人にピストルを買い与えたとして指名手配され,FBIに逮捕されて1年半ほど拘置されましたが,裁判所で判事が,デイビスが診療を受けたことのある精神科医事務所にFBIが侵入し,受診歴を写し取るという違法行為を行ったことを取り上げて,違法行為を行った国家には,被告を訴追する権限はないとして,デイビスに全面無罪を宣告したアメリカの良心,司法の独立が,忘れ難い思い出です.

ダン・タイ・ソンは,ハノイ音楽学校で母に学んだ後、モスクワ音楽院に留学,留学中の1980年、ショパン国際ピアノ・コンクールでアジア人として初の優勝を飾り、併せてマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞も受賞してセンセーションを巻き起こし,一挙に世界に進出することになります.
しばらく日本に居住したのですが,期待したほど演奏面の機会を与えられず,ショパン・コンクールの覇者として受け容れられなかったことに失望して,現在はカナダ・モントリオール在住です.ただ,国立音楽大学の招聘教授として,関係は維持しています.

ポーランドは,ショパンがパリで優雅に過ごした一時期を含め,少なくとも3度,その国土が他国(ロシアやフィンランドを支配していたスエーデンなどに分割統治され,地図上では消滅した経験がありますから,ベトナム戦争を経験したダン・タイ・ソンには,ショパンの心情のある側面には,近親感が持てるのではないでしょうか.

今夜のプログラムは,
シューマン: 幻想小曲集 op.12
          Ⅰ夕べに,Ⅱ飛翔,Ⅲなぜに?Ⅳ気まぐれ,Ⅴ夜に,Ⅵ寓話,
          Ⅶ夢のもつれ,Ⅷ歌の終わり
ショパン;   ポロネーズ第1番 嬰ハ短調 op.26-1
                  スケルツォ第2番 変ロ長調 op.31
            ※※※※※※※※
ドビュッシー: 前奏曲集第1巻
            デルフォイの舞姫
           帆
                   野を渡る風
                   音と香りは夕べの大気の中に漂う
                   アナカプリの丘
                   雪の上の足跡
                   西風の見たもの
                   亜麻色の髪の乙女
                   さえぎられたセレナード
                   沈める寺
                   パックの踊り
           ミンストレル(吟遊詩人)
でした.
今年がドビュッシー生誕150年に当たることを考えた選曲ですし,最初にピアノを教わった母がフランスの影響を強く受けていたことを背景にしたものと思われます.

演奏は1曲1曲をたいへん端正かつ丁寧に弾き,そして前後の曲との対比を良く考えた練り上げられた演奏で,全体に,たいへん好演だったと思います.
とりわけ,中間のショパンの2曲はまことに見事な演奏でした.

50代半ばで,絶頂期にアルト思われますが,今後さらなる大成を期待したいと思います.


 

 

 

 

 


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period-instruments still matter [音楽時評]

17~18世紀の作曲家が聴いていた音楽に近づけようという試み,その手法として作曲された当時の楽器を使って演奏すべきだという論調が強まったことがありましたが,楽器の進歩はそれはそれとして受け容れるべきだという議論に押されて,近年は沈静化した感があります.

しかし,ここでご紹介するのは,サイモン.ラトルがPeriod 楽器集団を指揮した演奏会を聴いて,Simon Rattle's concert with the Orchestra of the Age of Enlightenment showed so beautifully, those differences still matter と改めて,それを使った演奏はかなり違った新鮮さに溢れていることを実感させられたというモノです.

あとは,ご自由に,ご渉猟下さい.

 

 

OAE/Rattle – review

Royal Festival Hall, London

5 out of 55

 

Even now, more than 50 years after it all began, the period-instrument movement can still produce wonderful, eye-opening surprises. The frontline of its pioneering has shifted ever closer to our own time, and has now reached the early decades of the last century; the differences between the orchestral instruments of that time and those of today may be much smaller than, for instance, between Beethoven's orchestra and today's, but as Simon Rattle's concert with the Orchestra of the Age of Enlightenment showed so beautifully, those differences still matter. Even the most familiar music acquires fresh perspectives when heard with the soundworld for which it was conceived.

Rattle's programme was devoted entirely to French repertoire: beginning with Fauré – the four-movement suite from his incidental music to Maeterlinck's Pelléas et Mélisande – and going on to Ravel and Debussy. Debussy's Prélude à l'Après-Midi d'un Faune was the earliest work, Ravel's Piano Concerto for the Left Hand the latest, and all seemed more warmly transparent than usual with the OAE's sound founded on gut strings, which allowed the woodwind to be carefully nuanced and the wonderfully rounded tone of the brass to be incisive without becoming overbearing.

If it was the performance of Debussy's La Mer that was the most startling – textures were opened up, subtleties of scoring made points that are often lost with modern orchestras, while Rattle always balanced the symphonic and the descriptive elements carefully – Pierre-Laurent Aimard's account of the Ravel concerto was extraordinary, too. He used a handsome Erard piano that had a crisply defined tone, especially in the lower registers, which enabled him to profile the solo line against Ravel's orchestration with ease, while the textures around him, not least the Jurassic murmurings, with which the work opens, acquired a new clarity


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シャネル:Young Concert Artists [音楽時評]

6月13日,日頃から若手音楽家の育成プログラムを世界的に展開しているシャネルが,東京でYoung Concert Artists Festival Week を展開中ですが,その1日を聴きに行って来ました.

出演者は,
Piano: Louis Schwisgebel,Benjamin Moser,
Violin:Caroline Goulding, 戸田弥生,
Viola: Nokuthula Ngwenyama,大山平一郎,
Cello: Julia Bruskin,Thomas Carroll,
Flute; Aleksandr Haskin,
でした.

プログラムは,
ラヴェル:    「夜のガスパール」より「オンディーヌ」 Louis Schwisgebel
ボッケリーニ: チェロとピアノのためのソナタ イ長調 第6番
                          Julia Bruskin&Benjamin Moser
ルチアーノ・ベリオ:セクエンツア Aleksandr Haskin
ショスタコーヴィチ: ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 op.67   
                          Caroline Goulding,Julia Bruskin, Louis Schwisgebel
              ※※※※※※※※
ウエーベルン: チェロとピアノのための2つの小品/チェロとピアノのための3つの小品
             Julia Bruskin&Benjamin Moser
ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111
                   戸田弥生,Caroline Goulding,Nokuthula Ngwenyama,
                   大山平一郎, Thomas Carroll
とまことに多彩でした.

このYoung Concert Artists Festival Week6月9日から15日までプログラムを変えながら開かれており,他に,Guest Artists として,松田洋子,漆原朝子(いずれもヴィオリン)が参加しています.

Caroline Gouldingはアメリカ,オハイオ州出身でアメリカの主要オーケストラとの協演歴も豊富で,ジョナサン,モールズから提供された1720年製のストラディヴァリュース「ジェネラル・キッド」を使用しているそうです.
戸田弥生は,1993年のエリザベート王妃国際コンクールの優勝者で,上野製薬から提供された1740年製のピエトロ・ガルネリを使っているそうです.
ヴィオラのNokuthula Ngwenyamaは,シンバブエ人と日本人の間にアメリカで生まれ,パリ高等音楽院で学び,プリムローズ国際ヴィオラ・コンクールで優勝した才人で,ロサンゼルス・フィルなどメジャー・オーケストラと協演し,サントリーホールその他でリサイタルを持った経歴があり,その上,ハーバード大学で神学修士を得ているそうです.

Julia Bruskinは,ボストン出身で,17歳でボストン響と協演した才人で,クレアモント・トリオでも活躍中だそうですし,夏には各地の音楽祭から招かれているといいます.
Julia Bruskinは,イギリス出身,ヨーロッパの主要オーケストラと協演し,ウイグモア・ホールやルーブルなど有名ホールでリサイタル歴を重ねている人で,英国王立音楽大学ユーディ・メニューイン音楽学校で教授を務め,後進の指導に当たっているそうです.

Aleksandr Haskinは,ベラルーシのミンスク生まれ,モスクワ・チャイコフスキー音楽院,イェール大学で学び,アメリカやヨーロッパ各地の有名ホールで活躍中だそうです.
Benjamin Moserは1981年ミュンヘン生まれ,2007年のチコフスキー・コンクールに入賞し,アメリカ,ヨーロッパで広く活躍中だといいます.
Louis Schwisgebelは,1987年ジュネーブ生まれ,ローザンヌ音楽院,ベルリン芸術大学,ジュリアード音楽院で学び,アメリカ,ヨーロッパの主要オーケストラに招かれて,協演歴を重ねている期待の若手です.名古屋フィルとの協演歴もあるそうです.

このように,シャネルの後援もあって世界に進出した才人ばかりですが.今夜の演奏会では,よくここまで準備したと思わせる好演が続きました.

出演した若手演奏家達の今後いっそうの成長発展を祈りたいと思います.

 

 

 

 

 

 


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サントリーホール:ヘンシェルQのベートーヴェン連続演奏会3日目 [音楽時評]

6月10日,サントリーホール,ブルー・ローズ・ガーデンにヘンシェル・クァルテットのベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会の3日目を聴きに行って来ました.

メンバーは昨夜と同じ,
第1ヴァイオリン/クリストフ・ヘンシェル
第2ヴァイオリン/ダニエル・ベル
ヴィオラ/モニカ・ヘンシェル=シュヴィント
チェロ/マティアス・D・バイヤー=カルツホイ

プログラムは,オール・ベートーヴェンで,
弦楽四重奏曲 イ長調 op.18-5
弦楽四重奏曲 ホ短調 op.59-2 「ラズモフスキー第2番」
弦楽四重奏曲 変ホ長調 op.127
でした.

3日目ともなると,メンバーもホールに慣れて,2日目より好演してくれるかと期待しましたが,そうはいきませんでした.

昨夜はメンバーの正式交替を知らなかったのですが,サントリーホールのPRには,とってつけたように,終わり部分に,2010年、ベルリン・フィル団員でペーターセン四重奏団メンバーであったダニエル・ベルをヴァイオリンに迎え、創設メンバーのクリストフとモニカ・ヘンシェル姉弟、マティアス・バイヤー=カルツホイと共に、宿願のベートーヴェン全曲演奏に臨む.と書かれていました.

しかも,サントリーホールの前宣伝では,ガーデン名物のベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会、2012年はドイツ・ミュンヘンを拠点とする精鋭、ヘンシェル・クァルテットが挑戦します.本家ドイツの今を聴かせるサイクルです.当ホームページおよび一部印刷物にて「日本でドイツの弦楽四重奏団がベートーヴェン全曲を集中して演奏するのは、これが初めて」と事実と異なる情報を誤って掲載しておりました.つつしんでお詫び申し上げます.

とありますが,そうなると「本家ドイツの今を聴かせるサイクルです.」の部分も怪しかったことになります.ダニエル・ベルはイギリス人だからです.

基本的に,第2ヴァイオリンに新楽員を入れてきたのですが,このダニエル・ベルは,演奏レベルでは第1ヴァイオリンのヘンシェルを超えていると思えます.しかし,この新編成のヘンシェル弦楽四重奏団は,時にビブラートから無駄な音が混ざる第1ヴァイオリンとしばしば濁った音を聴かせるチェロが前面に出ていて,綺麗な音を響かせる第2ヴァイオリンとヴィオラは一歩退いた感じです.

要するに緊密なアンサンブルが形成されないまま,音の濁る第1ヴァイオリンとチェロが勝っているのです.この形は日本の弦楽四重奏団にもよく見られる形ですが,ヘンシェルがそんな状態とは知りませんでした.

あと,15日にもう一度ヘンシェルを聴きますから,ヘンシェル評はそこで纏めてするとして,今日はサントリーホールのホームページから引用序でに,今日のマチネーの公演詳報から,林田直樹さんのプログラム解説を引用しておきます.

【6月10日(日)14:00開演】

第5番 イ長調 op. 18-5
 op. 18の6曲の中では最も晴朗で、モーツァルトに近いなどと言われるが、弦楽四重奏曲の最大の確立者ハイドンの存在も忘れてはならないだろう。それまでの伝統にのっとった穏健な一作を創りあげてみせたというところだろうか。しかしどの楽章にもベートーヴェンらしい不穏な緊迫感が一瞬顔を見せる。無駄なく引き締まった第1楽章ソナタ形式はまだしも、第2楽章メヌエットは特にそうである。第3楽章はベートーヴェンが弦楽四重奏曲の中に初めて変奏曲を用いた楽章である。瞑想的な主題が次々に表情を変えていく様は美しい。第4楽章はソナタ形式の終曲で、タタタターというリズムを持つ動機が張り巡らされている。穏やかな終わり方も印象的である。

第8番 ホ短調 op. 59-2「ラズモフスキー第2番」
 ラズモフスキーの3曲の中では最も悲劇性が強く、異常な緊張に貫かれている。第1楽章は序奏なしに単刀直入に2つの強い和音で斬り込むように始まり、内省的な表情を見せる第1主題、平明な第2主題という対照によるソナタ形式。第2楽章もソナタ形式で、不安を抱えながらも、心の平和を求める穏やかな祈りの歌が続いていく。第3楽章はメランコリックなスケルツォ。中間部のトリオでは、のちにムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』の戴冠式のシーンにも出てくるロシア民謡が姿を見せる。第4楽章はロンド・ソナタ形式で、明るさと暗さのないまぜになったような情熱的な音楽。

第12番 変ホ長調 op. 127
 10年以上弦楽四重奏曲から遠ざかっていた晩年のベートーヴェンが、第9交響曲初演の後に、再びこのジャンルへの意欲を燃え上がらせた最初の作品。第1楽章は、冒頭の念を押すような厚みある和音による序奏からして、しみじみと深い味があり、優しさと快活さに満ちた主題群によるソナタ形式。最も長い第2楽章はどこまでも思索を深めていくような変奏曲形式。本日の1曲目、第5番第3楽章の変奏曲とも呼応する。ピチカートに始まる第3楽章スケルツォは、付点のリズムが多く、気まぐれな情緒の変化に満ちている。短く効果的な序奏に続くソナタ形式による第4楽章は、ベートーヴェンの書いた最も幸福感に満ちた音楽のひとつ。なお、この作品は初演後ただちに繰り返し演奏され、熱狂的な聴衆の反応を得たという。

これは,もっと4人が良く揃って,優れたアンサンブルを聴かせるクァルテットを念頭に置いたのでしょうが,ヘンシェルを前にしては白々しく聴こえます.


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サントリーホール:ヘンシェルQのベートーヴェン連続演奏会2日目 [音楽時評]

6月9日,サントリーホール・ブルーローズ(小ホール)に,ヘンシェル・クァルテットのベートーヴェン弦楽四重奏曲連続演奏会の2日目を聴きに行って来ました.
昨日はクラリネット+アルモニコに回って,ヘンシェルは今日と明日,そして来週の金曜日に行く予定です.

1988年に結成されたヘンシェル・クァルテットは,近年トリトンに来演した当時までは,

第1ヴァイオリン/クリストフ・ヘンシェル
第2ヴァイオリン/マルクス・ヘンシェル
ヴィオラ/モニカ・ヘンシェル=シュヴィント
チェロ/マティアス・D・バイヤー=カルツホイ

とチェロ以外の3人がドイツのヘンシェル家の兄弟姉妹だったのですが,今夜は,第2ヴァイオリンが,イギリス人のダニエル・ベル(ソリスト,四重奏団メンバー,ベルリン・フィル団員等を歴・兼任)に変わっていました.何故か交替の理由は明らかではありません.もっとも,ヘンシェル兄弟姉妹は共に,ドイツとイギリスで教育を受けていますから.いくつか接点はあったのでしょう.
なお,1996年の大阪国際室内楽コンクールで元のメンバーで優勝しています.

今夜のプログラムは,オール・ベートーヴェンで,前期,中期,最後期から,
弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 op.18-2
弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135 (ベートーヴェン最後の作品)
      ※※※※※※※※
弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 op.18-4
弦楽四重奏曲  第9番 ハ長調 op.59-3
でした.

これはちょっと演奏者にも聴衆にもハードだったのではないでしょうか.

昨夜もヘンシェルは,op.18-1; op.95「セリオーソ」; op.133「大フーガ」;op.130 を弾いたのですが,op.133は,元来op.130の第6楽章だったのですから,まあ3曲半といえなくもないのです.そして明日は,マチネーということもあって,op.18-5;op.59-2;op.127 の3曲です.

エマーソン弦楽四重奏団とか東京クヮルテットの演奏だったら,上記の4曲を十分楽しみ堪能したと思いますが,ヘンシェルは到底そのレベルではありませんでした.

演奏は,ベートーヴェンのオリジナルな指定に幾分近づいて,早めのテンポで押し通していたのはよかったのですが,私がいつも気にするチェロの音質が綺麗ではありませんでしたし,音を外す例が何度もあり,必要以上の強音をたびたび聞かせました.
また,第1ヴァイオリンの音質も決して優美でも綺麗でもなかったのです.第2ヴァイオリンはあまり目立ちませんでしたが,音はヴィオラと並んで良かったと思います.

私見で相対的に良かったのは,op.135の熱演でしたが,その逆はop.59-3「ラズモフスキー第3番」でした.

また,明日と来週の金曜日のヘンシェルについて書きますから,今夜はこの程度にします.

 


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津田ホール:亀井良信(cl)+Qアルモニコ演奏会 [音楽時評]

6月8日,津田ホールに,亀井良信+クァルテット・アルモニコ;クラリネット五重奏演奏会を聴きに行って来ました.

出演者は,
Clarinet: 亀井良信
Violin:    第1, 菅谷早葉,第2,生田絵美
Viola:      坂本奈津子
Cello:   北口大輔(日本センチュリー響首席の臨時出演)
でした.

プログラムは,
ウェーバー:   クラリネット五重奏曲 変ロ長調 作品34,J.182
西村 朗:     クラリネット五重奏曲〈第一のバルド〉(東京初演)
        ※※※※※※※※
モーツァルト:  クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
でした.
西村さんの曲は,2010年8月14日に草津音楽祭でカール・ライスターとクァルテット・アルモニコによって初演された曲で,今回が東京初演ということだそうです.

ウェーバーの曲は,クラリネットの名手に会って1811年に着手しながら,完成は1815年と特に4楽章の完成に時間がかかったといいます.急ー緩ーメヌエットー急=ロンドの4楽章構成ですが,モーツァルトの作品がA菅対象なのに,ここでは半音高いBb菅が使われているそうですが,オペラ作曲家としての好みが現れていると思われます.第1楽章は劇場空間的性格を持っているといえますし,続く楽章でも名人芸的なパッセージが随所に現れ,何かクァルテット伴奏付クラリネット・ソロといってよい作品でした. 

西村さんの曲はA菅で書かれ,カール・ライスターに献呈されています.バルドはチベット仏教において死から再生までの死者の魂の体験する3つの期間をいいますが,ここでは肉体および人生の記憶と死者の魂の別離という代のバルドを扱っているので,それが副題になっています,
約20分の曲ですが,なかなか充実して変化に富んだ曲でした.
A菅がかなりはっきりとウェーバーの曲の独占的なクラリネットと違って,クァルテットとよく溶け合った演奏でした.臨時出演のチェロが結構活躍しますが,見事にクァルテットないし五重奏のアンサンブルに貢献していました.

モーツアルトの曲は,1789年に初演されたクラリネット五重奏の名曲ですが,急ー緩ーメヌエットー急の4楽章構成で,第1楽章の出だしがクァルテットから始まり,クラリネットがアルペジョ主体の動機で応えるという,クラリネット五重奏曲のお手本のような作品で,明暗の境を行き来する第2主題が,全曲の基調になっているといわれます.
この曲では随所でクァルテットが主導的に使われている点と,クラリネットがロー・レジスターの表現力に力点が置かれている点で,今夜のクラリネット五重奏曲を,クァルテット.アルモニコ好きで聴きに行った者には,たいへん楽しめる好演でした.

最初は少し気がかりだった臨時出演のチェロの北口大輔さんは,結構,室内楽の経験を積んでいるようで,そつなくこなしていて安心できました.

 


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US. National Symphony Orchestra on European tour [音楽時評]

Washington DC のNational Symphony Orchestra が,Music Director Christoph  Eschenbach と共に,2012~13年シーズンに,ヨーロッパ演奏旅行を加えていることが分かりました. Mstislav RostropovichがMusic Director であった時期には1度もなかったことです.

実は2011~2012シーズン後には, from June 12 to 28の間,South America tour に出かけていましたし,the National Symphony Orchestra went to China in 2009, it was the orchestra’s first tour in 7 years.と,Eschenbachは積極的に tour を行っています.
前任地 Philadelphia Symphony の短い在任中には,その財政難もありましたが,見られなかったことです.

そして,来年のEurope tour では,with this European trip, the NSO is entering the epicenter of Western classical music, traveling from Madrid, Spain to Paris, France, with four stops throughout Germany(Düsseldorf, Hamburg, Nürnberg, and Frankfurt), the home turf of the repertory most loved of Christoph Eschenbach, the orchestra’s music director.
とクラシック音楽の中心地を tour する予定です.

The programs include Bartok’s Concerto for Orchestra, a renowned orchestral showpiece, and a string-orchestra edition of Beethoven’s Grosse Fuge, the towering string quartet movement originally written for, and sometimes still performed as part of, the 13th quartet in B-flat.

The tour’s main soloist, playing Mozart’s fifth violin concerto, is the gifted German violinist Julia Fischer, who will appear with the NSO at the first of two concerts in Madrid on January 31; in Murcia, Spain; and at all four of its stops in Germany.

Due to a scheduling conflict, however, she cannot play the tour’s final concert in Paris on February 10; instead, another Eschenbach protege, the pianist Tzimon Barto, will play Bartok’s second piano concerto, two weeks before he comes to Washington to perform it with the NSO at the Kennedy Center.

Rounding out the programs are Strauss’s tone poem “Till Eulenspiegel’s lustige Streiche” and Brahms’s second symphony.
と National Symphony にしては,アメリカの作品に欠けるといわれそうですが,there’s no obligatory American work on this program, unless you count the Bartok, written in 1943 when the composer was in exile in the United States. Rather, the NSO is bringing Central European repertory to Central Europe.

Eschenbach は, “believes very passionately that going on the road builds ensemble,” と tour はアンサンブルの向上に大いに役立つと信じているそうです.

 

 

Posted at 11:03 AM ET, 06/05/2012

NSO announces European tour in 2013

“Our focus, increasingly, will be on international touring,” Rita Shapiro, the president of the National Symphony Orchestra, said in an interview in April, when the orchestra announced its tour of South America from June 12 to 28.

That was no idle boast. Today, the NSO announced that only 8 months after its return from South America, the orchestra will go on another tour, of Europe, for 11 days in January and February of 2013. (Observers of European concert season announcements could already see something was afoot when the Alte Oper Frankfurt, one of the halls the NSO will visit, announced its 2012-13 season in March.)

When the National Symphony Orchestra went to China in 2009, it was the orchestra’s first tour in 7 years. Now, touring appears, as Eschenbach promised, to be becoming a matter of course.

Another key difference is the venue. The South America trip takes the orchestra into regions that not many North American orchestras are visiting these days. But with this European trip, the NSO is entering the epicenter of Western classical music, traveling from Madrid, Spain to Paris, France, with four stops throughout Germany, the home turf of the repertory most loved of Christoph Eschenbach, the orchestra’s music director.

Can the NSO withstand the implicit comparison to some of the most important orchestras in the world? “In any tour, the competition is big,” Eschenbach said by phone on Monday afternoon. “They [the players] have to live up to that. There’s no way around it.” He added, complacently, “I think it will be a great success.”

The orchestra certainly isn’t shying away from tough pieces. The programs include Bartok’s Concerto for Orchestra, a renowned orchestral showpiece, and a string-orchestra edition of Beethoven’s Grosse Fuge, the towering string quartet movement originally written for, and sometimes still performed as part of, the 13th quartet in B-flat. “It’s very hard, a great challenge for the orchestra,” Eschenbach said.

The tour’s main soloist, playing Mozart’s fifth violin concerto, is the gifted German violinist Julia Fischer, who will appear with the NSO at the first of two concerts in Madrid on January 31; in Murcia, Spain; and at all four of its stops in Germany (Düsseldorf, Hamburg, Nürnberg, and Frankfurt). Due to a scheduling conflict, however, she cannot play the tour’s final concert in Paris on February 10; instead, another Eschenbach protege, the pianist Tzimon Barto, will play Bartok’s second piano concerto, two weeks before he comes to Washington to perform it with the NSO at the Kennedy Center.

Rounding out the programs are Strauss’s tone poem “Till Eulenspiegel’s lustige Streiche” and Brahms’s second symphony. Notably for a tour involving a country’s national orchestra, so-called, there’s no obligatory American work on this program, unless you count the Bartok, written in 1943 when the composer was in exile in the United States. Rather, the NSO is bringing Central European repertory to Central Europe.

Eschenbach “believes very passionately that going on the road builds ensemble,” Shapiro said. “The musicians really feel it’s important to represent our organization well, and in some sense [to represent] Washington to the world.” The NSO has not been traveling on this kind of radar since the days of Mstislav Rostropovich. It will be fascinating to see what exactly the world makes of it.

By | 11:03 AM ET, 06/05/2012


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紀尾井ホール:ラ・サール・ピアノリサイタルの名演 [音楽時評]

6月4日,リーズ・ドゥ・ラ・サール(1988年フランス生まれ)のピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.実に表情豊かに音楽を作る,素晴らしい演奏会でした.
マルグリット・ロン(Marguerite Long)という有名なフランス女流ピアニストがいましたが(ロン・ティボー国際Competitionのロン),その再来を思わせる好演でした.

彼女の経歴を知ろうとHomepage に入ってみたのですが,再構成中ということで,詳細が分からないのが残念です.有名Competition の優勝歴は見られませんが,それは余計な詮索で,彼女のピアニスト歴には輝かしいモノがあり,ヨーロッパの有名音楽祭の常連になっているようです.

プログラムの裏面に写真入りで掲載されたCD6枚のなかには,フランス・モノが1枚もなく,リスト,ショパン,ショスタコーヴイチ,モーツアルト,バッハ&リスト,ラフマニノフと,独墺とロシアに偏っているのは,彼女がドイツ,ロシア系のピアニストに師事し,大きな影響を受けたことを示していると思われます.私見ではそれが今日の彼女に大きく貢献していると思えます.

今回の来日は,NHK交響楽団のオーチャード定期(6月3日,指揮は山田和樹)のソリスト(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番)として来日したもので,5月31日名古屋しらかわホール,6月1日ザ・シンフォニーホールと今夜の東京紀尾井ホールでリサイタルを持ったということのようです.

チケット代は紀尾井ホールで¥3,000と割安感がありましたが,2階席のLもRも全部空席でした.(もっとも.後半は,マナーの悪い男性客が1人R1列目中央に1人ぽつんと座って,ズーーッとオペラグラスにしがみついていて,2階正面席からはたいへん目障りでした.紀尾井ホールのマナーの悪さは前にも書いたことがありますが,,,ナントカならないものでしょうか.)

プログラムは,
シューマン: 子供の情景 op.15
シューマン: 幻想曲 ハ長調 op17
     ※※※※※※※※
ショパン:   24の前奏曲 op.28
でした.

いずれも有名曲ですが,シューマンの[幻想曲」は,ベートーヴェンの記念碑建立の呼びかけに応じた作品で,ピアノ・ソナタに相当するこの大曲の随所にベートーヴェンの引用が込められています.
とりわけ終楽章に置かれた緩徐楽章は,ベートーヴェンのソナタ111を想起させる傑作です.

彼女の演奏の特徴は,1音1音を大事に綺麗に表現し,組曲やソナタの1曲,1楽章を非常に大事に
表現することにアルと思います.

それが子供の情景全13曲,幻想曲3楽章,ショパン全24曲にのそれぞれを珠玉のように鮮やかに描き出させ,全3曲に見事なまとまりを作っていました.
特に「子供の情景」の『トロイメライ』,幻想曲の終楽章,24の前奏曲の『雨だれ』の名演が,それぞれの曲集全体の名演に連なっていたと思われます.

20代前半の彼女のこれほど熟成した演奏には,たいへん素晴らしさを感じました.
彼女の今後いっそうの成長,成熟を期待したいと思います.
次の来日が待たれます,

 

 

 


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東京芸大奏楽堂:ライプチッヒQuartet を迎えて [音楽時評]

6月2日,久し振りに東京芸術大学奏楽堂に,ーライプツィッヒ弦楽四重奏団を迎えてーという室内楽演奏会を聴きに行って来ました.
今日のマチネーは,東京芸大の学生(大学院生を含む)中心の演奏会で,まず,学生によるクヮルテット,次に教員に社会人を加えてのピアノ四重奏,休憩後にライプチッヒ弦楽四重奏団に芸大院生をプラスした弦楽八重奏曲でした.

プログラムと出演者は.
ハイドン:《弦楽四重奏曲 第38番》変ホ長調 作品33-2
Vn:石田 紗樹(4年),下田 詩織(4年), Va:松村 早紀(4年) Vc:山本 直輝(4年)

ブラームス:《ピアノ四重奏曲 第2番》イ長調 作品26
Vn:松原 勝也(教授) Va:市坪 俊彦(准教授) Vc:菊地 知也(日フィル) Pf:日下 知奈(非常勤講師)

メンデルスゾーン:《弦楽八重奏曲》変ホ長調 作品20
ライプツィヒ弦楽四重奏団 
Vn:シュテファン・アルツベルガー, ティルマン・ビュニング
Va:イーヴォ・バウアー, Vc:マティアス・モースドルフ
Vn:長尾 春花(修1) 對馬 哲男(修1) Va:多井 千洋(修2) Vc:島根 朋史(修1)
でした.
合計で16人が出演したことになります.

ハイドンは,ロシア四重奏曲第2番と呼ばれ,『冗談』というニックネームを持つ4楽章構成の曲で,4つの楽器のバランスが極めて良い,比較的簡潔な曲ですが,若手4人が懸命に好演してくれました.

ブラームスの作品26は,作品25と相次いで作曲された曲ですが,作品25と較べて,優美で温和な曲になっています.経験豊かな人たちの演奏でしたから,優美に演奏され,華麗なコーダで締めくくられました.

メンデルスゾーンの八重奏曲は,2群の弦楽の対比というよりは,8つの弦楽器のオーケストレーションといってよい曲で,木曽音楽祭で何度か繰り返して演奏されたのを聴いたことがありますし.JTアートホールでも弦楽器奏者の組み合わせで演奏されたのを聴いています.
今日の演奏では,若い紅1点の長尾春花さんがたいへん綺麗な音を響かせて,全体がたいへん好演していました.

余談ですが,上野公園の改装がほぼ完成して,噴水も多様性を持ってきましたし,コーヒー・ショップとカフェが向き合って出来,お手洗いも2ヶ所増設され,東京都美術館が旧奏楽堂近くに北口が出来たほどかなり規模拡充されて大改修を終えていました.パンダの赤ちゃんの話は音沙汰ないまま立ち消えたようですが...
散策を好む方には,東京芸大の奏楽堂や台東区の旧奏楽堂へのお出かけに,楽しみが増えたと思いますから,コンサート・スケジュールなどチャックされることをお薦めします.

ーライプツィッヒ弦楽四重奏団を迎えてーの芸大奏楽堂の演奏会は今日が第1日で,第2日は今月8日,ライプツィッヒ弦楽四重奏団単独で,ハイドン『皇帝』,モーツアルト『不協和音』およびメンデルスゾーン『弦楽四重奏曲 第5番』が予定されていますので,念のため.
私は,津田ホールで開かれるクヮルテット・アルモニコのクラリネット五重奏曲演奏会とダブって行けなくって残念なのですが...

 

 


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Lang Lang at Carnegie Hall [音楽時評]

中国の大ピアニストLang Lang は,大フアンだという多数の人と,嫌いだという人も少なからずいるというピアニストだといいます.

5月29日にCarnegie Hall で行われた演奏会では,聴衆が多数押しかけたので,何10人かをステージ上に椅子を並べて座って聴いて貰ったといいます. There are only a few artists so popular that Carnegie Hall will place chairs onstage to accommodate the large audiences they invariably attract, as the pianist Lang Lang did on Tuesday evening for his solo recital there.

写真を見ると,昔のホロビッツを思わせる派手なポーズでピアノを弾いているのが分かります.
With his charismatic stage presence, passionate playing and astounding technique, it was easy to see why he has garnered a large following. And the reasons he has alienated just as many listeners were also readily apparent. When I mentioned the concert to musician friends beforehand, I heard a common refrain: “I’m busy, and he’s not my favorite pianist.”

その彼が,丁度30歳を迎えて,自分はもっと幅広いピアニストということを示したかったようで,なんと, he offered Bach’s Partita No. 1 and Schubert’s Sonata in B flat (D. 960) for the first half of his Carnegie recital. というのです.

シュベルトの出だしは好調だったようですが,After the beautifully controlled opening measures of the Schubert, it seemed that perhaps Mr. Lang was indeed about to reveal a more mature, sophisticated side of his musicianship. There were certainly gorgeous moments throughout the sonata, but they were quickly tarnished by his over-the-top flourishes. Mr. Lang has long demonstrated a penchant for hamming it up, and he often did so here, a particularly egregious approach in this repertory.

It sounded as if he were stating his ideas in capital letters, then adding boldface and underscores for extra effect. His tendency to milk phrases with exaggerated expressivity imbued the Schubert with a Sinatra-like swooning quality. The Andante lost momentum amid all the flourishes; the Scherzo sounded almost camp.

それだけ貶しながらも,後半のショパンについては,かなり無理をしながらの評価を述べています.

あとは,どうぞご自由にご渉猟下さい.

 

 

Music Review

Revisiting the Romantics at a Breathless Sprint

 

There are only a few artists so popular that Carnegie Hall will place chairs onstage to accommodate the large audiences they invariably attract, as the pianist Lang Lang did on Tuesday evening for his solo recital there.

Ian Douglas for The New York Times
Lang Lang performing Bach, Schubert, Chopin and Liszt at Carnegie Hall on Tuesday.

With his charismatic stage presence, passionate playing and astounding technique, it was easy to see why he has garnered a large following. And the reasons he has alienated just as many listeners were also readily apparent. When I mentioned the concert to musician friends beforehand, I heard a common refrain: “I’m busy, and he’s not my favorite pianist.”

Mr. Lang, who turns 30 in June, has long impressed with his dazzling technical chops, making a splash in Romantic repertory like the Tchaikovsky and Liszt concertos, which can withstand his flamboyant tendencies better than earlier works. But he has recently also been keen to prove that he is more than a virtuoso showman; he offered Bach’s Partita No. 1 and Schubert’s Sonata in B flat (D. 960) for the first half of his Carnegie recital.

After the beautifully controlled opening measures of the Schubert, it seemed that perhaps Mr. Lang was indeed about to reveal a more mature, sophisticated side of his musicianship. There were certainly gorgeous moments throughout the sonata, but they were quickly tarnished by his over-the-top flourishes. Mr. Lang has long demonstrated a penchant for hamming it up, and he often did so here, a particularly egregious approach in this repertory.

It sounded as if he were stating his ideas in capital letters, then adding boldface and underscores for extra effect. His tendency to milk phrases with exaggerated expressivity imbued the Schubert with a Sinatra-like swooning quality. The Andante lost momentum amid all the flourishes; the Scherzo sounded almost camp.

The Sarabande of the Bach also fared particularly poorly, with all the fussy mannerisms. What the undoubtedly gifted Mr. Lang lacked on this occasion, as he has on others, is the judgment to channel his musical instincts with more subtlety. So the dynamic contrasts in the Bach, for example, seemed jarring and unnatural.

After intermission Mr. Lang performed Chopin’s 12 Études (Op. 25), one of the pianist’s calling cards. While he certainly took plenty of liberties, he sounded more in his element here. There were lovely, poetic moments throughout and plenty of virtuosic dazzle, as with the octaves of No. 10.

The encores included Liszt’s “Romance” in E minor and a sparkling rendition of his “Campanella.”.


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