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フエスタ・ミューザ川崎2012読売交響楽団 [音楽時評]

7月29日,新百合ヶ丘駅近くのテアトロ・ジーリオ・ショウワ(昭和音楽大学ホール)に,フエスタ・ミューザ川崎2012の読売交響楽団の演奏会を聴きに行って来ました.
ネット上の案内では新百合ヶ丘駅徒歩1分とありましたが,不動産屋さんよりひどい表現でした.

しかし,馬蹄形で3階まである1367席のホールには,ちゃんとエレベーターが設置されていました.かなり音響効果も良かったと思います.

ただ,出演予定だったヴァイオリンの松田里奈さんが体調不良で,1990年にロン・ティボー・コンクールで優勝歴を持つ小林美恵さんに交替したことを会場に到着して初めて知りました.

出演:指揮者:梅田俊明
    ヴァイオリン:小林美恵
    コンマス:鈴木理恵子(女性だったので推定)

プログラムは,
シャブリエ: 狂詩曲「スペイン」
サラサーテ:カルメン幻想曲
                「スペイン舞曲集」よりアンダルシアのロマンス
        ツィゴイネルワイゼン
ビゼー:   歌劇「カルメン」組曲より; 第1幕への前奏曲,アラゴネーズ.衛兵の交替.
           ハバネラ,セギティーリャ,闘牛士の歌,間奏曲,アルカラの竜騎兵,
           ジプシーの踊り
でした.

休憩なしの1時間10分の演奏会で,アンコールもなしでした.

まあ,夏の名曲コンサート,スペイン中心,を気軽に聴いて楽しんだということで,演奏内容をとやかくいうことはやめにしますが,小林美恵さんは最近ツィゴイネルワイゼンをレコーディングされたそうで,この演奏がたいへん情熱的で盛り上がりがあって良かったと思います.

東京および近郊のオーケストラが参加し,川崎をフランチャイズとする東京交響楽団が7/28のオープニングと8月12日のフイナーレを担当して,その間入れ替わり立ち代りで続いていますから,川崎近辺の方は,ご自由な選択で聴けますから,お薦めしておきたいと思います.
お問い合わせは,ミューザ川崎で良いようです.

 

              

 


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武蔵野文化小ホール:コリー・ダルバ・vnリサイタル [音楽時評]

7月24日,武蔵野文化会館小ホールに,レイチェル・コリー・ダルバ(born May 21, 1981 in Lausanne, Switzerland)のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行って来ました.

演奏は余り感心したモノではありませんでした.¥1,000で文句をいうなといわれるかも知れませんが,このリサイタルは元来はイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の予定だったのです.私はそれならと右端の席を購入していました.
ところが7月20日になって,友人のピアニスト,クリスティアン・シャモレルを連れて来たいので,イザイの無伴奏2曲を含む通常のヴァイオリン・リサイタルに変えるということになったのです.
右端の席を買っていた者には迷惑千万な話でしたが,武蔵野文化会館は,非常識にも「キャンセルー払い戻し」ではなく,それを受け入れたのです.
ダルバの来日は元々NHK交響楽団の招き7月20~22日でしたから,既に来日していたダルバを武蔵野がキャンセルしても何の支障もなかったでしょうが..

プログラムは,
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 Op.121
イザイ:    無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.27-3「バラード」
      ※※※※※※※※
イザイ:   無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ト長調 Op.27-5
フランク:  ヴァイオリン・ソナタ
でした.

イザイの無伴奏ソナタ全6曲の演奏時間は標準的には66~70分ですから.この新しいプログラムの方が,10分ほど演奏時間が長くなっていますし,シューマンの傑作とされるソナタ2番と,これも大傑作とされるフランクのソナタですから,もし名演奏が展開されていれば,文句はなかったと思います.

彼女の使用楽器は1732年製のストラディヴァリュースだそうです.

シューマンとフランクはヴァイオリンも譜面台を置いて弾いていたのがまず気になりました.
しかも,シューマンからピアノとヴァイオリンがバラバラの感じがして仕方ありませんでした.ピアノを全開にして,互いに勝手に弾いている感じが拭えませんでした.
Ziemlich langsam. Lebhaft(かなりゆっくりと、短くかつエネルギッシュに-生き生きと)/Sehr lebhaft(きわめて生き生きと/Leise, einfach(静かに、素朴に/Bewegt(活発に、動きをもって) の4楽章構成ですが,どれだけ2人でリハーサルをやったのか疑問に思うほど,曲の流れとバランスが悪かったのです.

イザイの2曲は,レコーディングしているだけに,名演とはいいませんが,生き生きとよく纏まっていました.とくに第5番の2楽章構成の対比は,見事でした.

しかし,有名なフランクが,また,ピアノとの連携が取れておらず,どうにも頂けませんでした.
Allegretto ben moderato/Allegro/Recitativo-Fantasia (ben moderato)/Allegretto poco mosso の4楽章構成で,各楽章が鮮やかなメロディに溢れているのですが,そのメロディの豊かさが伝わらなかったのです.第1楽章と第2楽章の間に,無用の長い休憩を入れたのも納得しがたい出来事でした.
ちなみに,この曲は,元来,「ヴァイオリンピアノのためのソナタ」として作曲されていますから,プログラムでも,そう記述すべきだったはずです.

ダルバ自身が,イザイの前に,分かりやすい英語で,最初は曲目の変更をポジティブに説明して,シューマンもフランクも素晴らしい名曲で,イザイを合わせた演奏時間は長くなっていると語り,2度目には,イザイとフランクの短い解説をしていました.

しかし,それは東京の聴衆のレベルを知らないような,教えてあげる調で,あまり感じのいいものではありませんでした.

そもそも,武蔵野文化会館が,20日付けで曲目変更を通知してきましたが,無伴奏リサイタルが,伴奏者付きリサイタルに変わるなどという前代未聞の変更を,断固,拒否すべきだったと思えてなりません.
ただ,NHK交響楽団の夏の演奏会を聴きに行った知人からの話で,N響でも切れ味の鋭さがなくって不調だったそうですが,最近指を痛めて,未だ完治していないのだという情報が流れていたそうです.それなら本来なら自らキャンセルすべきだったのでしょうが...

この伴奏者とのコンビは長いらしく,彼女のHomepage で見ると,フランクは今年既に協演していますし,シューマンは8月1日に,フランスで共演が予定されています.恐らくは,指を庇って,最近,これらの有名曲を練習していなかったのでしょう...

早い完治と,日本での出直しの¥1,000無伴奏リサイタルを期待したいモノです.

 

 


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紀尾井ホール:小菅優ベートーヴェン・ピアノソナタ・サイクル [音楽時評]

つい先日,オーチャード・ホールでシューマンのピアノ協奏曲をNHK交響楽団と好演したばかりの小菅優が,かねてから展開中のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲のチクルス第4回が紀尾井ホールで開催されたのを聴きに行って来ました.

プログラムは,オール・ベートーヴェンで,
ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 Op.78《テレーゼ》
          第25番 ト長調 Op.79
                 第15番 ニ長調 Op.28《田園》
      ※※※※※※※※
ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 Op.10-2
                第21番 ハ長調 Op.53《ワルトシュタイン》
でした.

テレーゼは,第23番《熱情》に続くソナタですが,4年ぶりに1809年に書かれたソナタです.その間に交響曲第4・5・6番,ピアノ協奏曲第4・5番が作曲されています.
ただ,ナポレオンにヨーロッパが席巻された時期ですが,この曲は伯爵令嬢テレーゼ・フォン・ブルンスヴィクに献呈されたことから《テレーゼ》と呼ばれています.ベートーヴェンはかつてその妹のヨゼフィーネに熱愛したことは周知のことです.
Adagio cantabile - Allegro ma non troppo/Allegro vivace の2楽章構成ですが,第1楽章に長い反復があります.叙情性豊かな曲ですが,小菅優が感性豊かにフレージングを浮き上がらせて好演してくれました.
this and the "Appassionata" sonata, op.57, were Beethoven's favorite of his piano sonatas prior to the "Hammerklavier."という証言があります.

次の第25番はPresto alla tedesca/Andante/Vivace の3楽章構成ですが,3楽章以上の彼のソナタのなかでは最も短い曲です.第3楽章のセクションが,the chord progression found at the beginning of the A section to start his Op. 109 sonata とピアノ・ソナタ最後の3曲の初めの曲に連なっていることが知られています.
最後のコーダの冒頭部分で彼女の左手が3つの音程を外したのが意外でしたが,彼女は続けて第15番に入りました.

15番《田園》は,1801年耳の病が進行した時期の作品ですが,曲はむしろ明るい牧歌的な雰囲気です.Allegro/Andante/Scherzo: Allegro vivace/Rondo: Allegro ma non troppo の4楽章構成で,牧歌的ななかに嵐が起きる部分もあります.
《田園》は出版社によるモノです.第1,第4楽章はそれに近い印象を与えますが,2,3楽章はおよそ違った色合いです.30分少しの長さですが,小菅がたいへん構成力豊かに各フレーズを浮き彫りにしてくれましたから,ある種の期待感を持って聴くことが出来ました.

後半最初の第6番は.3曲作曲された2曲目で,Allegro in F major/Allegretto in F minor/  Presto in F major の3楽章構成で,緩徐楽章を欠いています.14分ほどの曲ですが,終楽章の快活さが印象に残ります.

最後の《ワルトシュタイン》はCount Ferdinand Ernst Gabriel von Waldstein of Viennaに献呈されたことから付いた名称です.彼の中期を代表する作品で説明を要しないと思いますが,これほどの有名曲になると,これまで個性的な演奏振りだった小菅優が,急に,曲の構成に取り付かれて没個性的に聞こえました.左手のトリル,右手のメロディに追われるような演奏でした.

Allegro con brio/Introduzione: Adagio molto - attacca/Rondo. Allegretto moderato - Prestissimo の3楽章構成です.
彼女はアルツール・シュナーベルの録音を何度も聴いているそうですが,ここでは曲の構成に押されて,第1から第3楽章までの展開を追うのに専念した感じでした.

第8回まで予定されるサイクルの4回目の中間点で,なんとかベートーヴェンの偉大さに迫った所ですから,これから4回の果敢な挑戦がいっそう楽しみといったところです.

なお,紀尾井ホールのマナーの悪さを前にも指摘しましたが,この夜もまことに惨めでした.
ワルトシュタインはよく知られた曲ですから,どこで終わるのかを皆が知っているはずですが,ピアノ・ソナタの演奏の終わりは,鍵盤とペダルを完全に離した時と考えるべきです.それをピアノの鍵盤やペダルがよく見える位置から,彼女がペダルを離さないうちに拍手が起こったのです.

次回からは,他のホールでは良識に任せているリサイタルのマナーを,紀尾井ホールでは繰り返しアナウンスされるよう望んでやみません.念を入れて,ピアニストが立ち上がってからとでも,オーバーにアナウンスしたら良いと思います.


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サントリーホール:都響B定期小泉和裕指揮 [音楽時評]

7月19日,サントリーホールに東京都響B定期を聴きに行って来ました.指揮は,元来は,大植英次が予定されていたのですが,リハーサル2日目で,頸椎症で1週間の休養が必要という診断で,降板し,レジデント・コンダクターの小泉和祐がピンチヒッターで登場し,前半予定のリヒヤルト・シュトラウスの「バラの騎士」組曲(23分)に代えて,ベートーヴェンの「エグモント序曲」(9分)とワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」より《前奏曲と愛の死》(19分)を聴かせてくれました.後半のチャイコフスキーの「悲愴」はそのままでした.

大阪フィルの大植英次については,いくつか前のブログでその虚像について書いたばかりでしたから,私にとっては歓迎すべき交替でした.

そんな訳で,指揮者は小泉和祐,
コンマスは矢部達哉でした.

プログラムは,ダブりますが,きちんと書きますと,
ベートーヴェン: 「エグモント」序曲 作品84
ワーグナー:   楽劇「トリスタンとイゾルデ」より〈前奏曲と愛の死〉
      ※※※※※※※
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
でした.

小泉指揮,都響は「エグモント」序曲冒頭のユニゾンから好調でした.エグモントは16世紀のネーデルランドで,当時のスペインの圧政に抗して立ち上がったフランドルの領主エグモントの物語を,ゲーテが戯曲として書き著したモノを,ベートーヴェンが全10曲の劇音楽として完成させたなかで,最も有名で単独で演奏される機会の多い曲です.そのコーダはエグモントが刑場に赴いて幕が閉じられたあとに演奏される「勝利のシンフォニア」の音楽と同一で,輝かしく曲が閉じられます.

ワーグナーの〈前奏曲と愛の死〉は余りに有名ですが,本来はイゾルデを案内して帰るべきトリスタンが,イゾルデと恋に落ち,愛と死を求めて彷徨う姿を描く前奏曲と,トリスタンの遺骸に寄り添ってイゾルデ(ソプラノ)が歌うパートは,オーケストラのクラリネットが歌うのが慣例になっています.
この2つの曲の演奏も見事でした.

後半のチャイコフスキーの「悲愴」は,
Adagio - Allegro non troppo/Allegro con grazia/Allegro molto vivace/ Adagio lamentoso - Andante
の4楽章構成です.作曲者自身が初演して,その後6日で亡くなったため,オリジナルな自筆譜に加えられた修正を巡って,長く論争があり,終楽章はAndante lamentoso が正しいとした改訂版が,1990年に相次いでロシア人指揮者によって初演,演奏されています.
今夜は,Adagio lamentoso演奏されましたが,小泉さんは,ほとんど最後の静かなチェロとコントラバスによるコーダの直前まで,3楽章を引きずって,力強く指揮していたのが印象的でした.

チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)なので,「悲愴」は誤訳だとする議論もありますが,チャイコフスキーは,手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する "Pathétique" (パテティーク)という副題を用いていたので,「悲愴」で正しいということになっています.
その意味では,第4楽章のどの辺から演奏を静めるかも,指揮者によって差があるといえます.

ご関心の方は,聞き比べてみるのも一興かと思います.


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Andris Nelsons: Boston Symphony's Music Directorに有力 [音楽時評]

この記事は,New York Times が記者を送って,Tanglewoodから送らせた記事です.

The second weekend of the Boston Symphony Orchestra’s residency here at the Tanglewood Festival spoke to past as well as present. And quite possibly to the future. と書き出しています.

past は,土曜日に the 75th anniversary of the establishment of Tanglewood as the orchestra’s summer home. を祝ったことです.
A catchall of classical and pops pieces, it included a film on the history of the festival, which was founded in 1937 by the conductor Serge Koussevitzky, and the presentation of the first Tanglewood Medal, which the orchestra described as a “new tradition.”
The medal went to Seiji Ozawa, the orchestra’s music director from 1973 to 2002,

このメダルのことはNHKも良い口実にしてスタッフを送って,TV 放映していましたから繰り返しません.

問題は,この記念日に前からBSOの次期Music Director の有力候補として追っかけているAndris Nelsons が指揮者として招かれたことです.

彼は,Riga の生まれですが,5歳の時に両親に連れて行って貰った歌劇タンホイザーに深く感動し,それがキッカケで両親(いずれも音楽家)の影響もあって音楽の道に進んだそうです.
最初ピアノを始め,次にトランペットもマスターし,オーケストラ・メンバーになっています.

同郷のマリス・ヤンソンスに認められて,指揮を教わり始め,In 2003, Nelsons became principal conductor of the Latvian National Opera. He concluded his tenure there after five years in 2007. His other work in opera has included his first conducting appearance at the Metropolitan Opera in October 2009, in a production of Turandot. In July 2010, Nelsons made his debut at the Bayreuth Festival, conducting a new production of Wagner's Lohengrin at the opening performance of the festival.

In 2006, Nelsons became chief conductor of the Nordwestdeutsche Philharmonie of Herford, Germany, a post he held until the end of the 2008/2009 season.
In October 2007, the City of Birmingham Symphony Orchestra (CBSO) named Nelsons as its 12th principal conductor and music director, effective with the 2008–2009 season. His initial contract was for 3 years,In July 2009, Nelsons extended his CBSO contract for an additional 3 years, through the 2013–2014 season.
という経歴です.因みに,CBSOはサイモン・ラトルがベルリンに移る前のポストです,

He first conducted the BSO in March 2011, filling in for Mr. Levine on short notice in Mahler’s Ninth Symphony at Carnegie Hall, with little more than a day’s rehearsals.

Mr. Nelsons canceled subscription performances in Boston last season because of the birth of his child but has been re-engaged for next season. Meanwhile, he conducted the Boston Symphony here not only in the anniversary concert but also in a program of his own on Sunday afternoon. And for the most part he shone in disparate works.  

この評者は,それほどNelsons を高く評価していないようで,次のように書いています.

His reading of Stravinsky’s “Symphony of Psalms,” with typically superb work from John Oliver’s Tanglewood Festival Chorus, was taut and expressive in its first two movements. But Mr. Nelsons eased into the hypnotic strains of the final hymn of praise with utmost delicacy and refinement.

That was paired on Sunday with Brahms’s Second Symphony, given a shapely reading with due regard for the “non troppo” (“not too much”) markings in the opening Allegro and the following Adagio. The forward surge in the finale (Allegro con spirito) was arguably too much, and you could have wished for breaths between phrases in the all-out rush to conclusion, but to a listener whose favorite recording of the work is one in which Herbert von Karajan’s impetuousness in the finale outstripped even the formidable capabilities of the Berlin Philharmonic, Mr. Nelsons’s interpretation seemed only exhilarating. And more power to the Boston Symphony for having kept up in fine style.

Nelsons は2012~2013年シーズンに,定期演奏会に出演予定ですが,上手くすれば,BSO はその直後に彼にMusic Director のoffer を出すモノと思われます.
しかし,born 18 November 1978 の若さで,CBSOの監督として,ヨーロッパで既にベルリン,ウイーン,ウイーン・オペラ,コンツェルトヘボウの常連になっているNelsons が,その offer を受けるかどうかが問題です.
欧州では,広く,小澤征爾が,長居して,BSOをアメリカの2流オーケストラに落としてしまったと考えられているからです.

 

 

Music Review

Tanglewood Tries Out a New Face

Andris Nelsons Conducts Boston Symphony at Tanglewood

 

 

LENOX, Mass. — The second weekend of the Boston Symphony Orchestra’s residency here at the Tanglewood Festival spoke to past as well as present. And quite possibly to the future.

A concert on Saturday evening celebrated the 75th anniversary of the establishment of Tanglewood as the orchestra’s summer home. A catchall of classical and pops pieces, it included a film on the history of the festival, which was founded in 1937 by the conductor Serge Koussevitzky, and the presentation of the first Tanglewood Medal, which the orchestra described as a “new tradition.”

The medal went to Seiji Ozawa, the orchestra’s music director from 1973 to 2002, for “his myriad contributions to the B.S.O.’s performance, touring and recording activities.” Mr. Ozawa, who is recuperating from surgery for esophageal cancer in 2010 and continuing back problems, could not attend but sent a statement of gratitude, read by the cellist Yo-Yo Ma.

As for the present, the concert prominently featured James Taylor, who has essentially become the house songster. He is a consistent audience draw at the festival, and his presence undoubtedly contributed heavily to the attendance of almost 17,000 on a lovely Saturday evening, even though he had given concerts of his own on July 2, 3 and 4.

Here he performed three standards with the Boston Pops Orchestra (made up of Boston Symphony players), conducted by John Williams. Mr. Taylor sounded less than comfortable in soupy arrangements of “Somewhere Over the Rainbow” and “Shall We Dance?,” but, guitar in hands, he made “Ol’ Man River” something of his own.

Yet the main interest of the weekend had to do with a potential future, in performances conducted by Andris Nelsons, a 33-year-old Latvian who is widely thought to be a prime candidate for the music directorship of the Boston Symphony, left vacant by James Levine’s resignation in 2011. This, though Mr. Nelsons has yet to conduct a subscription week with the orchestra.

He first conducted the orchestra in March 2011, filling in for Mr. Levine on short notice in Mahler’s Ninth Symphony at Carnegie Hall, with little more than a day’s rehearsals. Though sympathetic to the circumstances, I was not particularly impressed with his muscular performance of a work better served by expansiveness and resignation. But seemingly a minority of one in this assessment, I remained curious to hear him again.

Mr. Nelsons canceled subscription performances in Boston last season because of the birth of his child but has been re-engaged for next season. Meanwhile, he conducted the Boston Symphony here not only in the anniversary concert but also in a program of his own on Sunday afternoon. And for the most part he shone in disparate works.

His reading of Stravinsky’s “Symphony of Psalms,” with typically superb work from John Oliver’s Tanglewood Festival Chorus, was taut and expressive in its first two movements. But Mr. Nelsons eased into the hypnotic strains of the final hymn of praise with utmost delicacy and refinement.

That was paired on Sunday with Brahms’s Second Symphony, given a shapely reading with due regard for the “non troppo” (“not too much”) markings in the opening Allegro and the following Adagio. The forward surge in the finale (Allegro con spirito) was arguably too much, and you could have wished for breaths between phrases in the all-out rush to conclusion, but to a listener whose favorite recording of the work is one in which Herbert von Karajan’s impetuousness in the finale outstripped even the formidable capabilities of the Berlin Philharmonic, Mr. Nelsons’s interpretation seemed only exhilarating. And more power to the Boston Symphony for having kept up in fine style.

It was illuminating to see Mr. Nelsons not only in performance but also in rehearsal, on Saturday morning. He is a somewhat hulking presence on the podium, insistently active. Though not particularly balletic, his gestures speak music eloquently and draw ready and wholehearted response from the players.

Mr. Nelsons put his hands-on, detailed approach to good use in the anniversary concert with a kaleidoscopic account of “La Valse,” Ravel’s sardonic deconstruction of the Viennese waltz, with the Boston Symphony. He also conducted the students of the Tanglewood Music Center Orchestra in Sarasate’s “Carmen Fantasy,” in which the heroine is a violin. Anne-Sophie Mutter, as soloist, gave proof, if such were needed, that she has little Gypsy in her soul, but she has plenty of electricity in her fingertips and bow, which served to good effect.

In other rewarding solo stints with the Tanglewood fellows, Emanuel Ax, always deft of touch, made the piano sound uncannily like a fortepiano in two movements from Haydn’s Piano Concerto in D (Hob. XVIII:11), and Mr. Ma drew the young string players and the audience into his orbit in an unconducted, understated performance of Tchaikovsky’s Andante Cantabile for cello and strings.

The pianist Peter Serkin, with the Boston Symphony and Tanglewood Festival Chorus conducted by David Zinman, seemed intent on single-handedly redeeming Beethoven’s Choral Fantasy, a way station toward the Ninth Symphony, from the potboiler status to which some would consign it. Mr. Serkin’s father, Rudolf Serkin, a deeply serious performer, made something of a specialty of this work but performed it relatively straight. Here Peter Serkin offered a deliberate, deeply probing reading of the opening and carried it through the subsequent incursions of orchestra, vocal soloists and chorus. This made for an apt culmination (and finally some work for the chorus, which had sat through some two and a half hours as mere stage dressing for the PBS broadcast of the concert next month).

Presumably to compensate for the logistical nightmare that was the Saturday gala, the Boston Symphony opened its weekend on Friday in low-key fashion, with a concert of Mozart violin concertos (Nos. 2, 3 and 5), with two dozen or so players led (more or less) by the soloist, Ms. Mutter. No one needs to be told that Ms. Mutter can play these works beautifully, as she has been doing for most of her life. But that she could do so in the drooping humidity on Friday (at one point, changing the tension in her bow in midcadenza) was truly remarkable.

 


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JTアートホール室内楽シリーズ;向山佳絵子と仲間達 [音楽時評]

7月11日,JTアートホールに,室内楽シリーズ:向山佳絵子と仲間たち,を聴きに行って来ました.皆,一線で活躍中の仲間を集めた,それも女性ばかりのアンサンブルで,演奏もたいへん真摯に向き合っていて,このホールで久しぶりに心地よい演奏会でした.

出演者は,
Violin: 玉井菜採  東京芸大准教授
           井上静香   紀尾井シンフォニエッタ・メンバー
           戸上眞里  東フィル第2ヴィオリン首席
           重岡菜穂子 ソリストとして活躍中
           渡邉ゆづき 都響第1ヴァイオリン副主席
Viola:   篠﨑友美  新日フィル首席
           直江智沙子 桐朋学園2007年卒,ベルリン留学,ヴァイオリニストでもある.
           森口恭子   フリーランス
Cello:   向山佳絵子 本公演のプランナー
            高橋純子  都響団員
            渡邊方子  NHK響団員
Contrabasss:小笠原茅乃  東フィル副主席
Flute:    佐久間由美子  ソリストとして活躍 
Chennbaro:曽根麻矢子  ソリスト
と,多士済々でした.

プログラムは,

J.S.バッハブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV.1048
A.ルーセルフルート三重奏曲 Op.40
J.イベール2つの間奏曲
G.ロッシーニ弦楽のためのソナタ 第5番 変ホ長調
J.S.バッハブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV.1050

と名曲揃いでした.

バッハ;ブランデンブルグ協奏曲は第3は,全員参加,
ルーセル;フルート三重奏曲は,佐久間由美子,玉井菜採,向山佳絵子,
イベール;間奏曲は.佐久間由美子,玉井菜採,曽根麻矢子,
ロッシーニ;弦楽のためのソナタ 第5番は,渡邉ゆづき,井上静香,向山佳絵子,小笠原茅乃 
バッハ;ブランデンブルグ協奏曲第5番は,玉井菜採,佐久間由美子,曽根麻矢子をソリストとして全員賛歌
でした.(プログラムの紹介順で判断しましたが,平面の客席からは顔がよく確認できませんでしたので,間違いにお気づきの方はお教え下さい)

全員が前半と後半で衣替えをされたので,いっそう華やかでした.

とにかく現在活躍中のメンバーをピックアップして華麗に演奏されたコンサートでしたから,たいへん心地よく皆さんの演奏を楽しむことが出来ました.
とくに圧巻はブランデンブルグ協奏曲で,第3番では各出演者が順にソロを担っていましたし,第5番では,玉井菜採,佐久間由美子,曽根麻矢子の3人のソリストがたいへん好演を聴かせてくれました.とりわけ,曽根麻矢子のカデンツアはまことに見事でした.

またの企画を楽しみにしたいと思います.


 

 


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17-year-old concert pianist an ‘old soul’ [音楽時評]

いくつか前のブログで,スーパー高校生達が,テクニックはともかくとして,音楽の分析解釈や作曲者の内面の掘り下げの点で物足りなかったと書きましたが,アメリカにすごい天才少年が現れて,ちゃんとそれらを成し遂げているという記事に接しました.

日本語訳になじまないので原文中心にしますが,当の少年は,17-year-old concert pianist,Jan Lisiecki で,幼少期からビデオゲームなどに夢中になることなく,毎日,7時間のピアノ練習を進んでやったのだそうです.

Turns out Lisiecki did it all on his own. No time for video games. Serious by the age of nine, he was amazing when he was 13, and has since tackled the toughest cadenzas from the heaviest composers with the most respected orchestras in some of the world’s most famous concert halls.

“What is normal? There are so many things that are different in each person’s life. Some people have the privilege of being born in Canada, others in countries where they can’t even go to school. For me, I have the privilege to do what I truly love.”

Lisiecki is also well aware of the bias against young classical musicians, that they can’t possibly have the depth of life experience to deliver the emotions crucial to performing the classical masters, despite the amazing chops. Here, it seems, is an exception.

I feel on one hand that music doesn’t have boundaries of age, but on the other side, it’s about what you feel with the music – and that changes with age,” Lisiecki says. “So you find a balance. I’m not sure why I have the luck of what people call an old soul. It’s something I was given and I simply have now.”

“I’m not trying to evoke emotions purely on technique and speed and brilliance,” he says. “That’s very superficial. Those are not emotions that come from the heart. What I try to do is show how beautifully the piece was written.” So sure, there’s going to be some spectacular playing here and there, he adds, but there’s a big difference between being a technician and being an artist. Lisiecki speaks with authority about his opinions on masters like Glenn Gould – “only a few bars and you know exactly who it is” says – and on the lineage of the masters, “These composers were inspired by one another, in many cases. Bach inspired Mendelssohn, he inspired Chopin, many composers looked up to him. And if you listen to the first few pieces that Beethoven wrote, they were in Mozart’s style, but then he grew into who we know him for.”

結びがたいへん説得的です.Both Mendelssohn and Mozart, by the way, were child prodigies.

 

CLASSICAL MUSIC: 17-year-old concert pianist an ‘old soul’

July 10, 2012
By Mike Ross


Asked what kind of music he likes outside of classical, piano wunderkind Jan Lisiecki doesn’t hesitate, “I love Pink Floyd.”

Good answer, kid. He says it “takes him back.”

So what’s more amazing – that a teenager loves Pink Floyd, or that a teenager has reached international fame as a master concert pianist? On stage at the Winspear Centre on Friday as part of the Les Choralies Internationales Edmonton 2012, you could call the Calgary musician the Justin Bieber of classical music – if he didn’t laugh at the very idea, “If you compare my 7,000 fans on Facebook to how many billion he has, I don’t think so.” One for every person who’s ever lived on Earth, apparently.

Teenage pop stars don’t face the same sort of questions the classical prodigies do. No one uses the word “prodigy,” for one thing, as if they were freaks of nature, or wonders if their parents forced them to practice seven hours a day when all the other kids were all out playing video games. Turns out Lisiecki did it all on his own. No time for video games. Serious by the age of nine, he was amazing when he was 13, and has since tackled the toughest cadenzas from the heaviest composers with the most respected orchestras in some of the world’s most famous concert halls.

Lisiecki is familiar with all the usual questions. The obvious one is how he managed to get this good so young without giving up a so-called “normal” childhood.

He responds, “What is normal? There are so many things that are different in each person’s life. Some people have the privilege of being born in Canada, others in countries where they can’t even go to school. For me, I have the privilege to do what I truly love.”

Lisiecki is also well aware of the bias against young classical musicians, that they can’t possibly have the depth of life experience to deliver the emotions crucial to performing the classical masters, despite the amazing chops. Here, it seems, is an exception.

“I feel on one hand that music doesn’t have boundaries of age, but on the other side, it’s about what you feel with the music – and that changes with age,” Lisiecki says. “So you find a balance. I’m not sure why I have the luck of what people call an old soul. It’s something I was given and I simply have now.”

There’s a YouTube video (see below) that features the then-14-year-old Lisiecki killing Chopin, if killing is the appropriate term for such virtuosity. It’s clearly meant to impress, to make jaws drop, but now – three years later and much taller – Lisiecki insists that technical proficiency on its own is never enough.

“I’m not trying to evoke emotions purely on technique and speed and brilliance,” he says. “That’s very superficial. Those are not emotions that come from the heart. What I try to do is show how beautifully the piece was written.” So sure, there’s going to be some spectacular playing here and there, he adds, but there’s a big difference between being a technician and being an artist. Lisiecki speaks with authority about his opinions on masters like Glenn Gould – “only a few bars and you know exactly who it is” says – and on the lineage of the masters, “These composers were inspired by one another, in many cases. Bach inspired Mendelssohn, he inspired Chopin, many composers looked up to him. And if you listen to the first few pieces that Beethoven wrote, they were in Mozart’s style, but then he grew into who we know him for.”

Both Mendelssohn and Mozart, by the way, were child prodigies.


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オーチャードホール:N響定期;イシイ=エトウ指揮小菅優ピアノ [音楽時評]

7月8日,渋谷オーチャードホールに,NHK交響楽団オーチャード定期を聴きに行って来ました.小菅優がピアノ・ソロに入って,シューマンのピアノ協奏曲がプログラミングされていたからです.というのも,今年に入って,河村尚子に対するよりも小菅優に一段と関心が高まったということがあります.
それは,その計画的なキャリア形成の点で,小菅優が,一歩,二歩と河村尚子よりも先んじていることに気づかされたからです.

出演者は,
指揮:  キンボー・イシイ=エトウ(2010年からドイツ・マグデブルグ歌劇場音楽監督)
ピアノ:  小菅優
オーケストラ: NHK交響楽団 
コンマス;    篠崎史紀
でした.

プログラムは
ドビュッシー:  小組曲(H.ビュッセル編)
          第1曲,「小舟にて」,第2曲,「行列」,第3曲,「メヌエット」,第4曲,「バレエ」
シューマン:   ピアの協奏曲 イ短調 作品54
      ※※※※※※※※
ベートーヴェン: 交響曲 第7番 イ長調 作品92
でした.

プログラムに,小菅優のインタビューが掲載されていましたが,彼女はたいへん謙虚に次のように述べています.
「シューマンは自分のレパートリーの中心です.協奏曲は何度も弾いています.すごく愛情の籠もった曲で,クララへの思いが伝わってきます.これまでいろいろな指揮者の方のアドバイスを取り入れたり,いろんな実験をしたりして,私の演奏も変化しています.今回は初めて協演させていただく指揮者なので,どういうシューマンになるか楽しみです.シューマンのピアの協奏曲は,第1楽章の中間部とか,管楽器との対話が多いので,N響の素晴らしい音楽家の方々とじっくりリハーサルをして,室内楽的な面を楽しみたいと思っています.」
「聴衆が音楽を作るみたいなところがあって,お客様がどうかは弾いている側にも伝わってきます.それによって私の弾き方も変わります.それが楽しみです.」

私は,自分で人違いかと思ったのですが,今日小菅さんを見て,彼女とは,一昨日,王子ホールで同じエレベーターに乗り合わせたように思います.彼女は,それだけ優れた演奏会からは何かを吸収しようと合間を縫って通っているようです.
彼女はミュンヘン在住ですが,そこでの「コンサート(オペラを含む)通いはすごく楽しいです」と語っています.それでいて,彼女は,「日本人の要素も大事だと思います....それは,繊細で美しいモノを大切にする誠実で真っ直ぐな姿勢を持っています.自分のパーソナリティにも日本的な面が入っています.」

そんなところが,私が小菅優の将来性を高く評価する理由になっています.

ドビューシーは,初期の古典的な作品で,オリジナルにはピアノ連弾(4手)のための曲であったモノを,ビュッセルのオーケルトレーションで演奏されました.
全体にたいへん頼もしく感じました.優美な音楽で,第1,第2曲でのフルートの美しさが印象的でした.

シューマンは,
ⅠAllegro affettuoso,ⅡIntermezzo;Andantino grazioso,ⅢFinale;Allegro vivace の3楽章構成ですが,最初は1楽章の幻想曲だったものが,拡充して協奏曲構成になったモノです.
第1楽章では,オーケストラの強奏で入り,ピアノがリズミックで強烈な序奏を奏で,オーボエのロマンティックな第1主題提示がピアノに引き継がれ,第2主題がクラリネットによって導入されます.作曲者自身によるなかなか技巧的なカデンツァが入り,コーダでは木管楽器が主題を繰り返します.
第2楽章は,ピアノとオーケストラの優しい語らいで始まり,中間部でチェロがロマンティックな旋律を歌い,終結部では木管楽器による第1楽章の主題が断片的に回想され,そのまま終楽章に入ります.
終楽章ではピアノが第1主題を提示し,第2主題は管楽器による軽快な音楽となり,管弦楽とピアノが時にオブリガートを互いに務める凝った構成の後,終結はピアノのトッカータ的演奏と打楽器とが曲想を盛り上げて華麗に終わります.
小菅優も大変な名演で.今後に向けてたいへん頼もしく感じました.
なお,小菅優がアンコールを弾いて呉れましたが,リスト編曲によるシューマンの「献呈」だったと思います.

ベートーヴェンの交響曲7番は,「のだめ」で余りにも有名になりましたが,1カ所ホルンが大きくミスったところを別にして,リズムの権化といわれる大曲を,大いに盛り上げて終わりました.

とにかく小菅優の将来性に大いに期待を持たせる演奏会でした.


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王子ホール:東京クヮルテットの名演 [音楽時評]

7月6日,王子ホールに,来年6月解散予定なので,王子ホールは最後になる東京クワルテットの2夜にわたるコンサートの初日を聴きに行って来ました.

演奏はまさにこれ以上を望めないというほどの素晴らしいモノでした.

メンバーは,
第1Violin: Martin Beaver      2002年から, 初代は原田幸一郎
第2Violin: 池田菊衛          1974年から  初代は名倉淑子
Viola:    磯村和英        1969年からの創設メンバー
Cello:    Clive Greensmith 2000年から  初代は原田貞夫
でした.

最初は昨年,池田菊衛と磯村和英が引退を決意し,今年,後任新メンバーを公表予定でしたが,
Martin Beaver と Clive Greensmithが,熟慮の末,東京クヮルテットの解散を決意したということです.
写真は王子ホールではありませんがご参考までに.
ファイル:Tokyo String Quartet.jpg

プログラムは,
ハイドン:    弦楽四重奏曲 ト短調 Op.74-3「騎士」
ドビュッシー:  弦楽四重奏曲 ト短調 op.10
ウエーベルン:弦楽器のための5つの断章 Op.5   (配布プログラムでは明日の1曲)
      ※※※※※※※※
ブラームス:  弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 Op.88       Violist 清水直子が参加
でした.

ハイドンの「騎士」は,第1,第4楽章の主題が,馬のギャロップを思い起こさせることから付けられたニックネームです."Apponyi" quartets と呼ばれる一群の最終曲で,Apponyi伯爵に献呈されています.
Allegro/Largo assai/Menuet-Allegretto/Finale:Allegro con brio
の4楽章構成ですが,急ー緩ー急ー急の構成です.軽快な第1楽章,荘重な第2楽章,メヌエットの第3楽章,爽快出,元気な第4楽章を,たいへん折目正しく好演してくれました.これぞ経験を積んだクヮルテットという実感がつのりました.

ドビュッシーが残した唯一の弦楽四重奏曲は,有名なイザイが主宰するイザイ弦楽四重奏団によて初演されたそうです.
4楽章構成で,
Animé et très décidé(活き活きと、きわめて決然として)/Assez vif et bien rythmé(かなり急速に、とてもリズミカルに)/Andantino, doucement expressif(アンダンティーノ、甘く表情豊かに)/Très modéré - Très mouvementé - En animant peu à peu - Très mouvementé et avec passion(きわめて穏やかに - きわめて躍動して - 少しずつ動きを付けて - きわめて躍動して、かつ情熱的に) と速度指定されています.
有名曲で聴き慣れた曲ですが,活気を持った楽章に混じって,第3楽章で子守歌風の優しいメロディが第1ヴァイオリンによって奏でられます.また,最終楽章の堂々たるコーダの4人もまことに見事でした.

ドビュッシーの後,いったん立ち上がってお辞儀をした4人が,また着席して,上記したようにウエーベルンの弦楽四重奏のための5楽章を,聴かせてくれました.無調的作風を確立した年に書かれた曲で,
  1. 激しい動きで(Heftig bewegt)
  2. きわめて遅く(Sehr langsam)
  3. きわめて活発に(Sehr bewegt)
  4. きわめて遅く(Sehr langsam)
  5. やさしい動きで(In zarter Bewegung)

の5楽章が,全曲11分と短い楽章が激しく早く,遅く(弱音器),活発に,再び遅く(弱音器),優しくと極めて独創的に作られた曲が,緊迫感を持って好演され,静かに終わりました.

後半は,ベルリンフィルの首席ヴィオリスト清水直子さんが加わって,ブラームスの弦楽五重奏曲が好演されました.この曲は明日も再演される予定です.
とりわけ,磯村和英さんのヴィオラの美しさが,とても強く印象に残りました.

The Nippon Music Foundation hosts the quartet in Encounter with Stradivari 2012 in the fall, featuring 10 Stradivaris in concert at three different venues. The “Farewell Tour” in Japan will take place in May, 2013, with concerts in Musashino, Tokyo’s Oji Hall and Tokyo Opera City.
とHomepage に書かれていますから,今秋にはクヮルテットでストラディバリを貸与されていた日本財団主催のイベントが予定されており,さらに来春の5月にFarewell Tour をやり,武蔵野文化ホール,王子ホール,東京オペラシティでConcerts をやるようです.

また,the Tokyo Quartet returns for three tours in Europe next season, offering master-classes at the Conservatoire de Paris and at Tokyo’s Suntory Hall.

とありますから,そうした機会を最大限活用したいモノです.

 

 


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JTアートホール:JTが育てる室内楽シリーズ:スーパー高校生達 [音楽時評]

7月5日,JTアートホールに「JTが育てる室内楽シリーズ」:「スーパー高校生達の室内楽」を聴きに行って来ました,

出演者はいずれもかなり豊富な演奏歴を持つ次の高校生達でした.
毛利文香(ヴァイオリン) 2010年第79回日本音楽コンクール第3位 洗足学園高校
山根一仁(ヴァイオリン) 2010年第79回日本音楽コンクール第1位 桐朋女子校
田原綾子(ヴィオラ)    いくつかの受賞歴                  桐朋女子校
上野通明(チェロ)             々                     桐朋女子校
神谷悠生(ピアノ)                         々                                    桐朋女子校
といった面々でした.上野通明を除いて,すべて原田幸一郎に師事しています.

プログラムは,
ハイドン:   弦楽四重奏曲 第47番 嬰ヘ短調 Op.50-4 Hob.Ⅲ-47
シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D.810 「死と乙女」
       ※※※※※※※※
シューマン: ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44
でした.ハイドンの第1ヴァイオリンは毛利文香,シューベルトとシューマンの第1ヴァイオリンは山根一仁と交替していました.

たまたま明日は王子ホールに東京クァルテットを聴きに行きますので,このブログは今夜のうちに書いておきます.

最初に指摘しておきたい点は,おそらく原田幸一郎さんは細かな指導はせず,彼等の自主性に任せたと思われることです.

まず,ハイドンでがっかりしたのです.それは日本のクァルテットにありがちなチェロの大きな太い音が目立ったからです.これは明らかにまともな弦楽四重奏のアンサンブルではありませんでした.チェロはもう1点,最低音の弦の音響が他の弦と音質が変わっていたのが気になりました.
彼はアンサンブルが余り問題にならない三重奏,たとえばピアノ三重奏向きだと思います.それなら1人1人が自由に弾けば済むでしょう.

それでもシューベルトではチェロはずっと控えめになっていて,こちらの方に練習時間を割いたのだろうと思いました.それでも,本来,ヴィオラと共に,アンサンブルの下支えをするという境地にはまだまだでした.あるいは彼の楽器が優れて大きな音量が出てしまうのかも知れませんが...

田原綾子さんのヴィオラの美音はたいへん優れていました.この人が室内楽で成長してくれると将来が期待されると思います.

チェロが気になったひとつの理由は,ヴァイオリンが2人ともそれほど豊潤な響きを聴かせていなかったからということにもなります.2人共,テクニックは優れていて,美音を聴かせてくれたのですが,音量ではチェロに押されていました.むしろチェロの問題なのかも知れませんが...

山根一仁の1昨年の日本音楽コンクール本選での演奏を思い出していましたが,大胆にショスタコーヴイチの協奏曲に挑んだのですが,テクニックに流れて,ショスタコーヴィチの内面に食い込んだ解釈を怠った空虚さを思い出していました.このまま売れ続けると,そのテクニックに流れる傾向が固定化してしまうのではないかと大いに懸念するモノです.早くヨーロッパに留学して,もっと個性を磨き,作曲者の内面の理解も深めるよう期待したいのですが...

その点では,今夜の白眉は,シューマンにあったと思います.ここではピアノと弦楽四重奏が渡り合う形ですから,弦楽の4人共,のびのびとピアノと渡りあっていたと思えるからです.
ピアノが必ずしも達者ではなかったことも付言しておきます.

最後に,気になった点を挙げますと,この4人は本当に室内楽奏者として将来を見定めているのでしょうか.いきなり「死と乙女」を持ってきたあたりに,この4人が「思い出」に弾いておこうという気持ちが働いたのではという疑念を禁じ得ませんでした.

「スーパー高校生たち」というタイトルは誰の発案か知りませんが,私には,聴き終わって,どうにもいただけないオーバーなタイトルと思えてなりませんでした.理由の第1は,日本音楽コンクールはいつまでたっても国際的にオープンにならないコンクールで,その優勝にどれほどの意味があるのか分からない存在だからです.

明日は,対象的に,来年6月に解散を予定しているクァルテットを聴きますが,今秋久しぶりの帰国公演が予定されているロータス・クァルテットと並ぶ存在が,どうやらメンバー交代を控えていそうなアルモニコと,フィリアホールの経営形態の変化と共に今年が最後になりそうなアルティ弦楽四重奏団といずれも不透明な点があって,早く21世紀を背負う日本のクァルテットの成長を期待したいモノです.


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JTアートホール室内楽シリーズ;ベートーヴェン・ピアノ・トリオ [音楽時評]

7月3日,JTアートホールに,その室内楽シリーズ;練木・徳永・堤のベートーヴェンピアノ・トリオ演奏会Iを聴きに行って来ました.

出演者は,
練木繁夫;piano
徳永二男;violin
堤 剛;Cello
でした.

プログラムは,
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-1
          ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-2
          ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-3
という,初期の作品3曲でした.

ベートーヴェンの初期の作品が,総て4楽章構成で書かれていたことは驚きです.
また,モーツアルトやハイドンの影響を残す11-1から次第にロマン主義の色合いへの動きを感じさせる3曲が纏めて弾かれたことに意義が認められます.

Allegro/Adagio cantabile/Scherzo:Allegro assai/Finale:Presto
Adagio~Allegro vivace/Largo con espressione/Scherzo:Allegro/Finale:Presto
Allegro con brio/Andante cantabile con variazioni/Menuetto:quasi alllegro/
                Finale:Prestiissimo

という3曲の4楽章構成ですが,その構成の変化にも興味が持てます.

ただ,成熟した3人の名手によるとはいえ,1回の演奏の中から,こうした変化を感じ取ることは困難でした.

ただ,3曲の内,最終曲だけが,静かに閉じられたのは強く印象に残りました.

むしろ,選曲法として,ベートーヴェンは第11番までナンバーの付いたピアノ三重奏曲を作曲しており,それに断章など未完を合わせると15曲同種の曲を作曲していますから,初期,中期,後期くらいから1曲ずつ選曲するのも1つの選曲法ではないかと考えます.
今回が,ベートーヴェンピアノ・トリオ演奏会Iとなっていて,続編が期待されるだけに,ちょっと趣向を変えていただければ有り難いと思います.


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存続が危ぶまれる音楽監督/コンマス不在の大阪フィル [音楽時評]

大阪市の橋下市長は,大阪フィルへの前年度補助金1億1千万円を25%カットすると言っていたのですが,尻すぼみになって,約10%カットの9900万円の予算計上を査定したそうです.

しかし,これは橋下さんの情報不足から生じた誤った判断だったのではないでしょうか.

というのは,今年3月末のいわばサヨナラ・コンサートを最後に50代の大植英次が音楽監督を退任.また,首席コンサートマスター長原幸太,セカンドヴァイオリントップ奏者佐久間聡一もこのコンサートを最後に退団し,さらに,ホルントップ奏者池田重一,打楽器トップ奏者坂上弘志もこの日をもって退団した,といわれるからです.

つまり,音楽監督,コンサートマスターという要職のほか,主要パートの首席奏者がが不在になったのです.大植英次は桂冠指揮者になったそうで,コンマスにも客演首席コンサートマスターとして崔 文洙が上がっていますが,彼は東京の新日本フィルハーモニーのソロ・コンサートマスターが本職なのです.
これにより,「桂冠指揮者」と首席客演コンサートマスターのみで常任の指揮者もコンサートマスターも欠くという,プロオーケストラとしては極めて異例の状態となっているのです.

これは,補助金カットの有力な口実になったはずです.

もともと大植英次は,長く大阪フィルの初代音楽監督を勤めたカリスマ性のあった名指揮者朝比奈隆の後任に選ばれた人ですが,私には,大植英次は何度も,誤った選択で,これまで実力以上の経歴を重ねてきた人だと思えてならないのです.

彼の略歴は,1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督.1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と紹介されていますが,
彼がミネソタ菅の音楽監督に大抜擢されたのは,ミネソタ菅の指揮者選任委員会が,アメリカの広さ故に,大植の前任地エリーフィルハーモニーをProfessional orchestra と誤認したことに始まっています.それは実はいわば Community Orchestra で,年に20回ほどしか演奏会を開いていないのです.

破天荒の大抜擢を受けたミネソタでは,最初は大植の親しみやすさが楽団員に受け入れられたのですが,そのリハーサルのだらだらしたやり方,ないしその音楽性やレベルに,間もなくミネソタ菅が気づかされて,大植は6年で追い出されています.
後任のOsmo Vanska の出来が良すぎたので,ミネソタ菅では大植英次は最早完全に忘れ去られた存在です.

ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も,大阪フィルは高く買ったのでしょうが,それも誤解で,北ドイツ放送フィルハーモニーはハンブルグが本拠地で,ハノーファーは大曲を取り上げる力の無い,いわば2軍に過ぎない存在なのです.
また,スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任していましたが、2009/2010年シーズンを以て終了しています.

大阪フィルは,ミネソタ菅が間違って大植を選任(大抜擢)したことも,ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団が北ドイツ放送交響楽団の2軍であることも,十分に調べ上げないまま,彼を朝比奈隆の後任に選任してしまったのだと思われるのです.

大植に実力があれば,朝比奈隆の後任として少なくとも20年は勤めたのでしょうが,彼にその実力が伴なわなかったために,9年で,それも50代で退任の止むなきに至ったのは,ヤムを得なかったと思います.彼が大曲を指揮すると,音楽が流れなくって,止まってしまうのではないかとハラハラさせられたモノです.
彼はよくもまあ桂冠指揮者を受けたようですが,彼の桂冠指揮者を契機にコンマスやパートの首席がいなくなっては,大植の指揮する今後の大フィルの演奏レベルは思いやられます.

大植の虚像を知る人は少なくないでしょうから,大阪フィルの音楽監督の後任,それも大植英次の後任などを進んで引き受ける有力指揮者は,まず当分,見当たらないのではないでしょうか.

本当は,虚飾にまみれた大植には桂冠指揮者などお辞めいただいて,フリーな立場の音楽監督を懸命に探さないと,大阪フィルの将来性は危うい限りだと考えるモノです

 

 

 


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