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武蔵野文化:ダン・タイ・ソン(pf)リサイタル  [音楽時評]

6月14日,武蔵野文化会館小ホールへダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.1958年ベトナムのハノイ出身といいますから,たいへん苦難の時期を経験したと思います.

フランスの植民地であったベトナムの処理については,日本に敗戦を迫ったポツダム会談で実はフランスの植民地への復帰が決められていたのです.
しかし,1945年8月15日ポツダム宣言を受諾し日本が無条件降伏すると、8月18日から8月28日にかけてベトミンが指導する蜂起がベトナム全土で起こり.ベトミンはベトナム帝国のバオ・ダイ(保大帝)を退位させて権力を奪取し、臨時ベトナム民主共和国政府が成立し(ベトナム八月革命),日本が降伏文書に調印した9月2日ハノイベトナム民主共和国独立宣言が行われました.
しかし,まず,北緯16度線以北は,中華民国が,以南はイギリス軍が一時進駐し,日本軍の武装解除に当たりました.
1946年にベトナムに復帰したフランスは,再植民地化に着手しますが,ベトミンの激しい抵抗に遭うことになります.

1946年2月28日と3月6日、べトミンとフランスは予備協定を締結し、フランス連合インドシナ連邦の一国としてベトナム民主共和国の独立とトンキン地方のフランス軍駐留を認め、3月26日にはフランス権益が多く存在する南部ベトナムにはコーチシナ共和国が成立し、一時的妥協が成立します.植民地化時代からの多くのカトリック信者は,南部に逃れ,イギリスから譲られた統治権を持っことになりました.

その間,1949年8月にソ連が原爆実験に成功し、10月に北隣に共産主義の中華人民共和国が成立すると、翌1950年1月にソ連と中国がベトナム民主共和国(ホー・チ・ミン政権)を正式承認し、武器援助を開始しました。これによりベトミン軍は近代化され、正規軍の規模を拡大,編成することが可能となったのです.

フランス軍は,ベトミン軍を,旧日本軍の飛行場のあった盆地,ディエンビエンフーに誘い出して,壊滅させようと作戦を立てましたが,逆に,1956年,ここで決定的な敗北を喫して,フランス軍は追い落とされ,激化して来たアフリカのアルジェリア戦争に集中することにして,アメリカに後を託してようやくベトナムから撤退します,

北緯17度線で南北に分断されたベトナムは,それからさらに1975年にアメリカを追い落とすまで,アメリカとの長い戦争を続けることになります.

余談ですが,ベトナム戦争の末期に,私がいた大学からマルクーゼを追ってカリフォルニアに移った有名な女性闘士,アンジェラ・デイビスAngela Davisが,裁判所で判事を射殺した事件の犯人にピストルを買い与えたとして指名手配され,FBIに逮捕されて1年半ほど拘置されましたが,裁判所で判事が,デイビスが診療を受けたことのある精神科医事務所にFBIが侵入し,受診歴を写し取るという違法行為を行ったことを取り上げて,違法行為を行った国家には,被告を訴追する権限はないとして,デイビスに全面無罪を宣告したアメリカの良心,司法の独立が,忘れ難い思い出です.

ダン・タイ・ソンは,ハノイ音楽学校で母に学んだ後、モスクワ音楽院に留学,留学中の1980年、ショパン国際ピアノ・コンクールでアジア人として初の優勝を飾り、併せてマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞も受賞してセンセーションを巻き起こし,一挙に世界に進出することになります.
しばらく日本に居住したのですが,期待したほど演奏面の機会を与えられず,ショパン・コンクールの覇者として受け容れられなかったことに失望して,現在はカナダ・モントリオール在住です.ただ,国立音楽大学の招聘教授として,関係は維持しています.

ポーランドは,ショパンがパリで優雅に過ごした一時期を含め,少なくとも3度,その国土が他国(ロシアやフィンランドを支配していたスエーデンなどに分割統治され,地図上では消滅した経験がありますから,ベトナム戦争を経験したダン・タイ・ソンには,ショパンの心情のある側面には,近親感が持てるのではないでしょうか.

今夜のプログラムは,
シューマン: 幻想小曲集 op.12
          Ⅰ夕べに,Ⅱ飛翔,Ⅲなぜに?Ⅳ気まぐれ,Ⅴ夜に,Ⅵ寓話,
          Ⅶ夢のもつれ,Ⅷ歌の終わり
ショパン;   ポロネーズ第1番 嬰ハ短調 op.26-1
                  スケルツォ第2番 変ロ長調 op.31
            ※※※※※※※※
ドビュッシー: 前奏曲集第1巻
            デルフォイの舞姫
           帆
                   野を渡る風
                   音と香りは夕べの大気の中に漂う
                   アナカプリの丘
                   雪の上の足跡
                   西風の見たもの
                   亜麻色の髪の乙女
                   さえぎられたセレナード
                   沈める寺
                   パックの踊り
           ミンストレル(吟遊詩人)
でした.
今年がドビュッシー生誕150年に当たることを考えた選曲ですし,最初にピアノを教わった母がフランスの影響を強く受けていたことを背景にしたものと思われます.

演奏は1曲1曲をたいへん端正かつ丁寧に弾き,そして前後の曲との対比を良く考えた練り上げられた演奏で,全体に,たいへん好演だったと思います.
とりわけ,中間のショパンの2曲はまことに見事な演奏でした.

50代半ばで,絶頂期にアルト思われますが,今後さらなる大成を期待したいと思います.


 

 

 

 

 


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