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武蔵野文化小ホール:ジョン・リル・ピアノリサイタル [音楽時評]

1月30日,武蔵野文化会館小ホールへ,ジョン・リルのベートーヴェンの最後期のピアノ・ソナタ;30,31,32番,op.109~111を聴きに行って来ました.シューベルトの最後のピアノ・ソナタ3曲も好きですが,ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ3曲も大好きだからです.

ジョン・リルは,1944年生まれですから67歳といったところでしょうか,2000年にロンドンの自宅で強盗に遭い両手を負傷して心配されたのですが,見事復活を遂げて,2004年に,ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集を出して,健在振りをアピールしたのですが,今回の来日はちょっとハード・スケジュールだったのではないでしょうか.

日本での演奏会は
1月28日,名古屋市宗次ホール,
29日新潟県魚沼市小出郷文化会館,
31日東京文化会館小ホールで
いずれもベートーヴェン3大ソナタ,
ソナタ第8番 ハ短調「悲愴」op.13
ソナタ第13番 変ホ長調「幻想曲風」op.27-1
ソナタ第14番 嬰ハ短調「月光」op.27-2
ソナタ第23番 ヘ短調「熱情」op.57

そして,間の30日に,武蔵野文化会館小ホールで,
ソナタ第30~32番,op.109~111
というスケジュールです.

チャイコフスキー国際コンクール第1位(1970年),イギリスが誇る大巨匠にして、ベートーヴェンの大御所、ジョン・リル.久々の来日で,ベートーヴェンを弾く.みずみずしく,洗練された豊かな感性がつむぎだす深い味わい.これこそ,大人の音楽.と宣伝されていました.

しかし,正統派といわれるベートーヴェン解釈はたしかに健在でしたが,2004年のレコーディングで聴かれた見事で繊細なピアノ・タッチが紡ぎ出す深い味わいには,少し外れた演奏に終始したと思われてなりません.
右手と左手のバランスが少し崩れがちでしたし,思わぬ所でフォルティッシモが聴かれました.

今夜,一番の聴きモノだったのは,休憩後に弾かれた,2楽章構成の第32番だったのではないでしょうか.この曲でようやく調子を取り戻されたようで,たいへん好演されたと思います.

どこがエージェントだったのか分かりませんが,もう少しご本人に配慮した日程を組んであげられなかったのだろうか,とたいへん残念に思われた一夜でした.
むしろ武蔵野も三大ピアノ・ソナタで通していた方が,ジョン・リルの現在の素顔を見られたかも知れないと思われました.

帰宅してから,ブログを書きかけて,思わず,ブレンデルによるこの3曲を聴いてから,このブログを書いたことを付言しておきます.

 

 

 


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サントリーホール:山田和樹指揮,都響プロムナード [音楽時評]

1月28日,サントリーホールへ東京都交響楽団のプロムナード・コンサートに出かけ,期待の若手指揮者,山田和樹を聴いてきました.トランペットのマティアス・ヘフスがソロで協奏曲に参加していました.また,コンサート.マスターは筆頭の矢部達哉でした.

山田和樹は,松尾葉子さんと小林研一郎さんの弟子で,2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し,一躍,脚光を浴びた期待の若手です.
同年に,サイトウキネンの指揮者に招かれ,なんと,小澤征爾ワンマン・ショウに飽きがきていた聴衆から,サイトウキネン始まって以来の好演と賞賛された素晴らしい指揮者です.

プログラムは,
チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」より〈ポロネーズ〉
アルチュニアン: トランペット協奏曲 変イ長調
       ※※※※※※※※
ラフマニノフ:   交響曲第2番 ホ短調 作品27
でした.

山田和樹の指揮振りは,あまり身体を動かさず,両腕だけで指揮するタイプですが.最初の「ポロネーズ」からしっかりと都響を掌握して,まことに鮮やかにポロネーズのリズムを刻んでいました.
歌劇は,厭世的なオネーギンが,村の地主の娘タチアナの純愛を拒否しながら,やがて彼女が公爵夫人として首都の社交界に華やかに登場したのに出会って,今度はオネーギンが求愛して拒否されるという筋書きですが,このポロネーズは第3幕冒頭でペテルブルクの社交界を描写したモノです.
この曲だけで山田は,なかなか非凡な才能の持ち主であることを強く印象づけました.

次のトランペット協奏曲は単一楽章ですが,3部構成で,即興的な序奏主題,明朗な第1,メランコリックな抒情的第2主題が第1部で提示され,その展開の後,弱音器を付けたトランペットが抒情的で美しいメロディを歌う緩徐部分が入り,第3部では第1部の第1主題が回帰し,カデンツァを経て結ばれます.
アンコールに応えて,この緩徐部分が再演奏されました.

ラフマニノフの第2交響曲は,約1時間を要する,名曲コンサートの定番ですが,
第1楽章:Largo - Allegro moderato ホ短調 序奏つきのソナタ形式
第2楽章:Allegro molto イ短調 複合三部形式スケルツォ
第3楽章:Adagio イ長調 三部形式
第4楽章:Allegro vivace ホ長調 ソナタ形式
という構成ですが,第1楽章の長大な序奏冒頭の低弦の音型が,全曲の循環動機となっています.その後,ラフマニノフ特有のメランコリックな第1主題とロマンティックな第2主題が提示され盛り上がりますが,中間部への序奏が入り,中間部では各種の動機が入り交じって盛り上がり,再現部でも主題が反復された後,不安げなコーダで終わります.
第2楽章は緩徐楽章の前に置かれたスケルツォで,特記すべきは「グレゴリオ聖歌」の《怒りの日》が主題として現れ,展開されていることです.
第3楽章は情感に溢れた緩徐楽章で,ここでもラフマニノフらしい耽美的なメロディが歌われます.
第4楽章は,ロシア交響曲の伝統に従って先行楽章の動機や主題が集約的に総括される終楽章となっています.

山田和樹は,絶えず,小さな動きで的確な指示を与えながら,大オーケストラをぐいぐいと引っ張っていました.最近,管弦の演奏が充実した都響を背景に,希に見る好演だったと思います.

山田和樹は近くスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者の地位に就くそうですが,彼の今後さらなる成長を期待してやみません.


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【短信】サイトウ記念は吉田秀和氏の常識に従うべき [音楽時評]

最近の水戸室内管弦楽団の水戸芸術館とサントリーホールでの公演で,小澤征爾が水戸の2日目は指揮者なし演奏への変更,サントリーホールでは後半のハイドンのチェロ協奏曲(約30分)だけの指揮に変更したことについて,水戸芸術館の吉田秀和さんは,英断をもって,チケット代をチケットのランクにかかわらず,一律に3,000円払い戻すこととされました.

私は,以前に,サイトウキネンで小澤征爾がたった僅か9分間のセレナード演奏でお茶を濁した事例と,短いオペラ公演を代役に委ねた事例について,チケットの払い戻しをすべきだとこのブログに書きましたが,サイトウキネンは多額の資産積み立金にもかかわらず,チケット代の払い戻しに応じませんでした.

しかし,今回,吉田秀和さんという音楽界を代表する知識人が,水戸芸術館長としての責任で,チケット料金の一部払い戻しを実施された事実を真摯に受け止め,サイトウキネンは,昨年と一昨年のチケット代の一部払い戻しにこれからでも応ずべきですし,今年,予定されている「マダム・バタフライ」のチケット販売に当たっては,万一指揮者交替の場合は,チケット料金の一部払い戻しに応ずる旨を明記すべきだと考えるものです.

アメリカで小澤征爾が長居し過ぎたあと,ボストン交響楽団を一流に引き戻したJames Levine は,Metropolitan Opera のMusic Director と Boston Symphony のMusic Director を兼任していましたが,腰の何度目かの手術のあと,Boston を辞任し,Metropolitan Opera は,いち早く,2013年までの休演を申し出て休養中です.

小澤征爾も,Levine のような責任ある身の処し方を見習って,思い切って来年までの休養を決められるのも一つのあり方ではないでしょうか? 

以上のことを,サイトウキネンに強く要望するモノです.


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サントリーホール:読響定期,上岡指揮,ブランク(sp) [音楽時評]

1月25日,サントリーホールに読売交響楽団第511回定期演奏会を聴きに行って来ました.
私はかねて小澤征爾と大植英次にはアメリカで幻滅し,代わって,大野和士と上岡敏之を高く評価しているのですが,その上岡がマーラーの第4交響曲を振るというので出かけたのです.

プログラムは,
モーツアルト: 交響曲第34番ハ長調 K.338
            ※※※※※※※
マーラー:    交響曲第4番 ト長調〈大いなる喜びへの賛歌〉 ソロ:ブランク(sp)
でした.

モーツアルトの交響曲第34番は余り演奏されない曲ですが,
1.Allegro vivace 2.Andante di molto piu tosto Allegretto 3.Allegro vivace の3楽章を,上岡は,この曲の構成をくっきりと浮き彫りにさせる,身体全体を使った精妙な指揮で,好演してくれました.アンコールで3回もステージに呼び戻されていました.

マーラーの第4番は,ほぼ1時間弱のマーラーにしては短い曲ですが,4楽章構成で,
第1楽章:中庸の速さで、速すぎずに.ト長調4/4拍子 ソナタ形式
第2楽章:落ち着いたテンポで、慌ただしくなく.スケルツォハ短調3/8拍子 三部形式
第3楽章:静かに、少しゆるやかに ト長調 4/4拍子 変奏曲形式
第4楽章:非常に心地よく.ト長調 4/4拍子
と,あまりテンポの変化は明確ではありませんが,各楽章が独立性を持ちながら,実は密接に結びついています.第4楽章はソプラノ独唱で「少年の不思議な角笛(天上の生活)」が用いられていますが,それは,第2楽章,そしてとりわけ第3楽章でも用いられており,楽章間の連関が形成されています.

上岡は,この総体的にゆったりしたテンポの各楽章を,実に丁寧に音響の強弱をたっぷりと効かせて,たいへんドラマティックに演奏して呉れました.時にオーバーでは?と感じさせるほどでしたが,第1楽章で,いったん収束した上で,フエルマータを巧みに使って,最弱音から最強音まで盛り上がりを作って終始させた演奏はまことに見事でした.
第2,第3楽章でも曲の盛り上がらせ方は充実していましたが,2楽章では.コンマス藤原浜雄の長2度高く調弦したヴァイオリン・ソロが入っていました.
3楽章の盛り上がりから入ったソプラノ・ソロ入りの第4楽章では,歌詞がフモレスケというか,ユーモア混じりの歌詞ですから,あまり盛り上がらずに,比較的,静かに終わりました.
ソプラノのキリステン・ブランクは,トイツ人歌手ですから,よく曲に乗せて透き通るような美声で歌っていました.

改めて上岡敏之の実力を示した,たいへん内容豊かな演奏会だったと思います.

 

 


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サントリーホール:都響B定期,野平&杉山指揮 [音楽時評]

1月24日,サントリーホールに東京都交響楽団B定期公演を聴きに行って来ました.(日本管弦楽の名曲とその源流⑭プロデユース:一柳慧)を聴いてきたのです.

野平一郎の作品を2曲,野平一郎が指揮し,2曲目に堤剛がチェロのソロを担っていました.休憩後にブーレーズの曲を,若手の杉山洋一が指揮していました.

プログラムは,
野平一郎:  オーケストラのための「トリプティーク」
野平一郎:  チェロとオーケストラのための「響きの連鎖」  ソロ:堤剛
       ※※※※※※※※
ブーレーズ:  エクラ/ミュルティプル(2002年最新改訂版・日本初演)
でした.

野平の「トリプティーク」は3楽章構成で,1.音のかたち,2.リズムの遊び,3.色の隔たり,が続けて演奏されました.1では,ハープに始まった単純な摩擦音が,次第に多様な楽器によって複雑化され.それが打楽器の強弱の音型によってt静まります.2では,さまざまなパルスやリズム感が堆積し,次第に収まると,3では,音響の不均衡が遠近感やでこぼこ感が連続して表現されます.
なかなか興味深かったのですが,後半のブーレーズに見られたような斬新さからは少し距離があったように思います.

野平の「響きの連鎖」は4楽章構成で,1.自然の荒々しさの森,2.木から楽器へ,3.楽器は語り始める,4.楽器の成長,そして響きは宇宙へ,と響きの連鎖が,チェロ協奏曲の形で描かれています.最初,暗くなったステージの中で,チェロ,ピアノ,3つの大太鼓,シンバルにだけ照明が当たり,チェロが音楽的形象を象徴します.2では,低弦から次第に照明が広がって,高音域へと広がり,協和的な2つの和音で閉じられます.3では,この2つの和音が菅と弦で応答し合い,オーケストラ全体を巻き込んだ上でチェロが1を回想します.4は,チェロと3管編成オーケストラの対応する楽章で,フィナーレでは,1で見た4人の打楽器とピアノ,チェロが反復されて閉じられます.
どちらかというと日本人的な自然感覚が表現されているように思われました.

ブーレーズは,エクラとミュルティプルの2楽章構成ですが,楽器構成から視覚的にも斬新でした,
登場楽器は,エクラではアルトフルート,イングリッシュホルン,トランペット,トロンボーン,クロッケンシュピール,ヴィヴラフォン,チャイム,マンドリン,ギター,ツインバロ,ハープ,ピアノ2台持ち替え,チェレスタ,ヴィオラ,チェロですが,ミュルティプルで,やっと前列にいたビオラ9人とパセットホルンが参加します.
たいへん緻密な音楽なので,エクラが15人,ミュルティプルで25人,それでも弦楽部門はチェロ1人とヴィオラ10人,マンドリン,ギターという構成です,チョロとヴァイオリンを兼ねるヴィオラの位置づけにたいへん興味深いモノがありましたし,この人数と多彩な楽器群で,しかも12音技法をバラして,いくつもの和音を作り,きわめてフレキシブルに和音を多用していました.
たいへん視覚的にも興味深い緻密な作品でしたが,若手指揮者,杉山洋一が,完全にこの曲を把握して,実に詳細な指揮振りで好演して呉れました.

個人的には,やはりこのブーレーズの大物振りを実感させられた一夜でした.
それにしても,今夜の聴衆は50%前後しか入っていませんでしたが,こうした「日本管弦楽の名曲とその源流」というシリーズは,東京都響の聴衆の支持を得ていないということなのでしょうか,私としては,今夜は前日からの雪が未だ残って,かなり寒い夜だったことも原因していると考えて置きたいと思いますが.....

 


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武蔵野文化小ホール:ヴォロディン・ピアノリサイタル [音楽時評]

梶本e+のピアニスト・シリーズでヴォロディンのチケットを持っていたのですが,今月25日はどうしても私が日本人指揮者で大きな期待をかけている上岡敏之が読売交響楽団に客演するのを聴きたくて,オペラシティ公演は人に譲り,今夜,武蔵野文化会館小ホールに,ロシア出身のアレクセイ・ヴォロディンを聴きに行って来ました.

プログラムは多彩で,
シューベルト:   4つの即興曲 D.899
ベートーヴェン:  ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」
       ※※※※※※※※
チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲 (編曲;プレトニョフ)
Nカプースティン: ピアノ・ソナタ 第2番 Op.54
でした.多分,前半は25日のリサイタルと同じだと思います.

シューベルトの即興曲で,この人の特徴が既に明らかでした.
第1には,当たり前ですが,楽譜に忠実に弾くなかで,強弱を強調していたことです.ただ,もう少し別の即興性があっても良かったのではないでしょうか,
第2に,かなり左手が強く弾かれる傾向があること,即興曲で右手がメロディを奏で,左手がトレモロを弾き,次にそれが逆転して,左手がメロディを奏でる時に,こちらの方が際立っていました.
全体としては,強弱の強調が目立って,もっと柔らかな曲だったのでは,という印象が残りました.

「悲愴」は,ほとんど一気呵成に,力任せに弾かれた印象が残りました.第1音がかなり強く叩かれたのが印象的でした.

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」はお手の物だったようで,たいへん分かりやすく弾いてくれました.

ウクライナ出身のカプスーチンは,ネット上で調べますと, 1937年生まれで,During the 1950s he acquired a reputation as a jazz pianist, arranger and composer. He is steeped, therefore, in both the traditions of classical virtuoso pianism and improvisational jazz. He fuses these influences in his compositions, using jazz idioms in formal classical structures.
とあるように,このソナタはきわめて斬新なモノでしたが,これを完全にマスターして弾いてくれたヴォロディンに敬意を表したいと思います.
ただ,これだけの即興性を持ったピアニストが,どうして前半の曲群で,それを垣間見せてくれなかったのだろうと,残念に思いました.

今夜が,おそらく来日後,最初の演奏会だったのかと思いますが,大胆にこのフュージョンにチャレンジしてくれたことに,謝意を表したいと思います.

 

 

 


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紀尾井ホール:南紫音ヴァイオリン・リサイタル [音楽時評]

1月17日,紀尾井ホールに南紫音のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行って来ました.ピアノ伴奏は江口玲でした.
私は彼女を,フェスティバル・ソロイスツの室内楽演奏会に参加していたのを聴いたのと,JTアートホールで,期待の新人として,やはりトリオをメインにした演奏会でしたが,その最初にサンサーンスのヴァイオリン・ソナタを弾いたのが印象に残っていて,今夜の紀尾井ホールでのヴァイオリン・リサイタルを期待を持って聴きに行って来ました.

なかなか考えられたフランスの作曲家を集めたプログラムで,
プーランク: ヴァイオリン・ソナタ(『ロルカの追憶に』)
ラヴェル:  ヴァイオリン・ソナタ ト長調
       ※※※※※※※※
フランク:   ヴァイオリン・ソナタ イ長調
でした.

プーランクの曲は,スペイン内戦で亡くなったフェデリコ・ガルシア・ゴルカの追悼のために作曲された曲で,急ー緩ー急の3楽章が,「炎のごとく」「間奏曲,とてもゆっくりと静かに」「悲劇的に」と指定されており,第2楽章のIntermezzo(間奏曲)が,とりわけゴルカを回想しています.
終楽章「悲劇的に」は駆り立てるようなフィナーレで,その終結部は,悲劇の連続を問いかけるように終わります.初演は,1943年に,名ヴァイオリニスト,ジネット・ヌブーとプーランク自身のピアノで行われています.
南紫音さんは,たいへん美しい音を奏でながら,確かなテクニックで,この曲を好演してくれました.

ラヴェルのソナタはやはり3楽章で,Allegro, Blues:Moderato, Perpetuum Mobile(無窮動): Allegretto と今流にいえば,クロス・オーバーといえるような作品です.有名なヴァイオリニスト,エネスコとラヴェル自身のピアノで1927年に初演されています.
南紫音さんは,この幅広く複雑な曲を,まことに明快に,自家薬籠のモノとして好演してくれました.

フランクは,余りにも有名な曲ですから,曲を云々することはしませんが,イザイに献呈された作品で,1886年にイザイによって初演されています.
急ー急ー緩ー急の4楽章構成の曲ですが,このヴァイオリンの名曲中の名曲を,南さんは,下降音型が続く箇所でやや不安定でしたが,それ以外は完璧で,実に堂々と自己主張をしながら,しかし全体としては端正に好演してくれました.聴きながら,数年前に聴いた神尾真由子の個性的なフランクを思い出していました.

私は,アンコールは聴かない主義なのですが,今夜はフランス・モノのあと何をやるのだろうという関心から,聴いてしまいました.2曲ですが,
フォーレ:   夢のあとに
ドビュッシー/ハイフェッツ編曲:美しい夕暮れ
でした.
特にフォーレは,まことに美しい鳥肌の立つような名演で,今夜の演奏の中で最高のモノではなかったでしょうか.
アンコールを聴かない主義は,人を見てに,趣旨替えしようと思ったほどでした. 


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Dudamel & LA Phil started Mahler Project [音楽時評]

華々しく著名なエサ・ペッカ・サロネンの後任に指名されて,一躍,世界の指揮者界のトップに躍り出た Dudamel が,新年度に,マーラー・チクルスを,Los Angels Philharmony と南米ヴェネズエラ,Calacus のSimón Bolivar Symphony Orchestra を指揮して,同時並行して行うそうですSymphony 全9曲と,交響曲を背景とした主要な歌曲 と取り上げることになっています.

その第1回が,Walt Disney Concert Hall で,先週の金曜日に開催され,マーラーの 
"Songs of a Wayfarer,"  with Thomas Hampson現在,世界最高クラスのバリトン) 
The Fourth Symphony  with Miah Persson(soprano)
が演奏されたそうです.

2つの優秀なオーケストラを率いて,およそ1ヶ月でそれぞれで全曲演奏するというのは,たいへん珍しいことだと書いています.

私には,東京芸術劇場の開館記念事業として行われた,今は亡きシノーポリ指揮のPhilharmonia 管が,2週間で10回の演奏会を開いて行った,マーラー全曲演奏会のたいへん充実した演奏が思い出されます.
今ではその維持費が負担になっているに違いないパイプ・オルガンが,古典曲用と近現代曲用と称して回転式で2面,つまり2つ押し売りされたものが,そのマーラー・チクルスには間に合わなかったという珍事も,忘れがたい失態でした.

Dudamel はその1ヶ月の間に,マーラー全曲を暗譜してしまうだろうと書かれていますが,実際に写真で見ても,歌曲との協奏を既に暗譜でやってのけたようですから,なかなかの才人ぶりに感心します.

The physical and mental challenges are plenty grueling, but the psychic ones may prove greater still. Mahler’s are the symphonies of life’s major moments, and no conductor has ever packed so many of them into so compact a period. An intemperate project perhaps, but Dudamel has eased his way into it by prudently pacing himself.
と評者も書いています.

この才人の成功を祈りたいと思いますし,できれば,東京で,シノーポリの偉業の再現をやって欲しいモノです.

あとは,どうぞご自由に,ご渉猟下さい.

 

 

Music review: The L.A. Phil Mahler Project begins

Thomas Hampson and Gustavo Dudamell
Photo: Thomas Hampson sings Mahler's "Songs of a Wayfarer," with Gustavo Dudamel conducting the Los Angeles Philharmonic. Credit: Francine Orr

The Mahler Project, begun Friday night at Walt Disney Concert Hall, is big.

Los Angeles Philharmonic officials have calculated that by the time Gustavo Dudamel finishes performing the nine complete symphonies, the Adagio of the Tenth and “Songs of a Wayfarer” with the L.A. Phil and Simón Bolivar Symphony Orchestra, he will have conducted, most likely from memory, more than 70 hours of Mahler in rehearsal and concert in less than a month. With a mere day’s break to fly to Venezuela, Dudamel then reboots the whole shebang in Caracas.

The physical and mental challenges are plenty grueling, but the psychic ones may prove greater still. Mahler’s are the symphonies of life’s major moments, and no conductor has ever packed so many of them into so compact a period. An intemperate project perhaps, but Dudamel has eased his way into it by prudently pacing himself.

The initial symphony of the Project is the Fourth, the most lyrical and classical, its sophistication disguised by a childlike aura. At just under an hour, it is also a short one. The Fourth is the symphony for those easily overwhelmed by Mahlerian Romanticism and all-around excess.

With a little help from a friend, Dudamel gives himself time to warm up by beginning the concert with Mahler’s early “Songs of a Wayfarer.” The imposing Thomas Hampson was soloist, and that meant that for its first 25 minutes, the Mahler Project became the Hampson Project.

The American baritone, of course, happens to be a master Mahler singer. Twenty-two years ago, he recorded these four songs with Leonard Bernstein, a young man inspiring a sublime Mahler conductor nearing his end. In 2009, Hampson recorded the “Wayfarer” songs with Michael Tilson Thomas, which proved a penetrating collaboration by two mature Mahlerians.

For Friday’s performance the baritone dominated, and Dudamel sympathetically accompanied him. The songs, the reaction of a jilted lover, already reveal Mahler’s taste for extreme pathos. In them, lust for life and an irresistible attraction to impending doom are equals and equally persuasive. The cycle, moreover, sets the Mahler stage by previewing melodic themes that would be developed in the First Symphony.

Hampson made every word matter and each song a small moment of compelling theater. The last song, the first of Mahler’s extraordinary funeral marches, might have survived on a tad less sentimentality (Mahler asks for none and none is heard in the MTT recording). But love and sorrow are a continual theme in Mahler, and the scene for nine symphonies was amply set.

Dudamel began the Fourth Symphony with an amiably light touch, almost as a carefree amble. Throughout the opening, he kept the textures delicate, played with details, animated the lower winds. He didn’t rush. There was time to smell the roses, but not for too long.

The Fourth is not all sweetness and it is not all that classical either. Mahler is always up to his expressive tricks. Even here he can turn unexpectedly dark. Anxiety is, in all his music, Mahler’s constant companion.

Dudamel had a playfully athletic approach to sudden mood swings and to those flicking, instantaneous dynamic shifts, to say nothing of those turbulent climaxes in the first and third movements. Even when Mahler thought small, he could still get carried away, and the same can be said for Dudamel.

Irony, a major Mahler trait, and a taste for the grotesque, are there for the exploitation in the second movement, a demonic yet Gemütlichkeit scherzo. The concertmaster plays a fiddle tuned a whole tone higher than normal for folksy effect. Still, Martin Chalifour retained the beautiful tone that he had exhibited in his solos in the first movement. There was elegant horn playing from Andrew Bain.

The slow movement, a series of double variations on an ethereal theme and a doleful one, is meant to glow. Dudamel softened the sleek string tone and basked in the reverie of it all.

The last movement is the Mahler of song, with a soprano singing of a childish heaven. Miah Persson, who had been the radiant soloist in a performance of a Mozart mass with the L.A. Phil five years ago, was a radiant soloist once more.

How well the orchestra will hold out remains to be seen, but the players were clearly primed on Friday, and the playing all evening was exquisite.

Dudamel has begun his Mahler escapade light on his feet. It can’t remain like that, but it’s an appealing way to start out on an epic Romantic journey.

 


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トッパンホール:アルカント・カルテットの好演 [音楽時評]

1月15日,トッパンホールにアルカント・カルテットを聴きに行って来ました.
アルカントは,12日と13日に王子ホールで連続演奏会を開いて,1日だけ間を置いて,トッパンで演奏会をやったのです.

王子ホールでは,
初日が,
モーツァルト:  弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K421
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 Op.135
ブラームス: 弦楽四重奏曲 第3番 変ロ長調 Op.67
2日目が,
J.S.バッハ: フーガの技法 BWV1080より コントラプンクトゥス 1、4、6、9
クルターグ: 6つの楽興の時
J.S.バッハ: フーガの技法 BWV1080より コントラプンクトゥス 11
シューベルト: 弦楽四重奏曲 第15番 ト長調 D887
でしたから,
今日の
バルトーク: 弦楽四重奏曲第6番
ハイドン: 弦楽四重奏曲 ロ短調 Op.64-2 Hob.III-68
ドビュッシー: 弦楽四重奏曲 ト短調 Op.10
を合わせると,10曲をほぼ連日で演奏したことになります.

前回来日時も,チェロのケラスを中心とした素晴らしいアンサンブルに感動した記憶がありますが,今回は,その優れたアンサンブルにいっそう磨きがかかって,前回,随所で見られたエッジでのバラツキがほとんどまったく影を潜め,ほとんど完璧な演奏を聴かせてくれました.

バルトークの第6番は,彼がアメリカに亡命する1939年に作曲されたバルトーク最後の弦楽四重奏曲で,楽譜はニューヨークに持参され,1941年1月20日、ニューヨークでコーリッシュ弦楽四重奏団によって初演されいます.
第4番,第5番では5楽章構成を試みたバルトークが再び4楽章構成で作曲したやや古典的な作品ですが.各楽章の冒頭はいずれもメスト(悲しげに)と記された共通の主題で開始され、作品全体の統一が図られています.この主題は楽章を追うごとに拡大し、第4楽章ではついに楽章全体を覆います.それは,当時のヨーロッパを覆っていた戦争へ向かう不可避な雰囲気を象徴しています.  .1. Mesto - Più mosso, pesante - Vivace

2. Mesto - Marcia con sordino
3. Mesto - Burletta
4. Mesto

ヴィオラが始める第1楽章のメスト主題がきわめて印象的です,テンポが次第に速まります.第2楽章では,チェロが主導して少し長いメスト主題が展開されます.第3楽章では,第1ヴァイオリンが主導し,諧謔的な中間部を含んでいます,第4楽章では,長い序奏部のメストが4つの楽器で対位法的に展開され,第1楽章を断片的に回想されながら,メストが全楽章を覆い尽くして終わります.
随所に鋭い切れ味がアンサンブルに要求されて,緊迫感が支配しますが,まことに見事な名演でした.

ハイドンの曲は,エステルハージー家に仕えてきた最後の年で,特定の貴族ではなく,広い聴衆を対象に書かれた最初の曲です.その故もあって,この曲は,芸術性と陽気さと良い趣味と演奏しやすさを結びつけることに成功した作品といわれます.
この古典曲を,アルカントの面々は,まことに颯爽と弾き抜けてくれました.

ドビュッシーの作品は,独墺系の作品とがらりと変わった曲で,クァルテットの常識を覆して,そこに豊かな色彩感覚を盛り込んだ作品です.提示ー展開ー再現と行った構成形式にとらわれず,多様な旋法のアラベスクを展開しています.
1,Animé et très décidé(活き活きと、きわめて決然として)

2.Assez vif et bien rythmé(かなり急速に、とてもリズミカルに)
3.Andantino, doucement expressif(アンダンティーノ、甘く表情豊かに)
4.Très modéré - Très mouvementé - En animant peu à peu -   
    Très mouvementé et avec passion(きわめて穏やかに - きわめて躍動して -   
    少しずつ動きを付けて - きわめて躍動して、かつ情熱的に)
の4楽章構成で,第1楽章の冒頭の主題は楽曲全体を通して何度も表れます.第2楽章ではピチカートに乗って,舞踊が展開され.第3楽章では,弱音器を使った甘美な音楽が展開されますが,中間部でヴィオラが活躍します.第4楽章では,導入部から次第にテンポを速めつつ,全曲を回想しながら躍動的,情熱的に曲を閉じます.

このドビュッシーは,聴き慣れた曲だったのですが,たいへん新鮮な響き,見事なアンサンブルで聴かせてくれました.


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武蔵野文化小ホール:P.v.ダイク,オルガン・リサイタル [音楽時評]

1月14日,武蔵野文化会館小ホールに,マチネーでピーター・フォン・ダイクのオルガン演奏会を聴きに行って来ました.

1958年生まれといいますから,50代半ばに近づいた,最盛期にある人という印象で,なかなか聴き応えがありました.

プログラムは,
バッハ:『クラヴィーア練習曲集 第3部』(全曲)でした.

「ドイツ・オルガン・ミサ」として知られるこの作品は、バッハが出版したオルガン曲では、最初でかつ最大の作品集です.1726年に自費で始めた《クラヴィーア練習曲集》の出版は、当初、一連のパルティータを1曲ずつに分けて印刷・販売する、という程度のものでしたが、時とともにシリーズとしての構想が徐々に膨らんでいったのは、周知の通りです.その第3回分として1739年9月末に刊行されたのが、この曲集です.様々な意味で苦境にあった時期に創作された ためか、作曲の手腕を誇示するかのようなところも随所に認められ、バッハがこの作品に託した夢と野心を窺わせます.

バッハが初版譜に刻んだ表題は以下の通りです,「教理問答歌およびその他の賛美歌に基づく
オルガンのための種々の前奏曲集.愛好家、および、特にこの種の作品に精通する人たちの心の慰めのために.ポーランド国王兼ザクセン選帝侯宮廷作曲家、およびライプツィヒ音楽隊監督、
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲」と書かれています.

曲集の構成は、
ドイツ語によるキリエとグローリアが3曲1組で3セット(BWV 669-677)、
2曲1組よりなる6つの教理問答コラール(BWV 678-689)、
4つのデュエット(BWV 802-805)、
そして全てを挟むような形で配置されるプレリュードとフーガ変ホ長調(BWV 552)の全27曲です.

武蔵野文化会館が,この27曲の標題のみを載せて,この曲集の解説にはまったくページを割いていないのはまことに残念で,不親切極まりありません.
武蔵野市国際オルガンコンクールを主宰している文化財団として,これは,いただけません.

全27曲は,3曲1組3セットとか,2曲1組3セットとかが続きますが,その場合,ほとんど3度ないし5度転調していて,曲の構成は聴き取ることが出来ました.
また,冒頭の「プレリュード」と結尾の「フーガ」は,それぞれ1曲で曲集の3曲くらいに相当するほど長く,内容も充実したモノでした.

演奏は,この曲のレコーディングをしているだけあって,たいへんメリハリを効かせた演奏で,休憩を挟んで2時間15分ほどの長大な曲を,飽きさせずに聴かせる充実したモノでした.
ただ,前半だけで帰ってしまった人,後半,バラバラと席を立つ人がいたのは,真面目に聴きに行った人にはいささか目障りでした.
それが武蔵野市民の文化水準の縮図だとすると,いかにも残念です.

 

 


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New York Phil: 携帯音でマラ9第4楽章中断 [音楽時評]

事件は,1月11日,火曜日の夜に起こったそうです.

Allan Gilbert の指揮でNew York Philharmonic がLincoln Center でマーラーの傑作,交響曲第9番を演奏していて,第4楽章で静かで消え入るような終わりにさしかかったところで,突然,最前列の客席からiPhoneの電話音がホール中に響き渡ったそうです.

指揮者,演奏者,聴衆ともショックと不快感でいっぱいになったようですが,2分以上鳴り続けたため,指揮者はオーケストラの演奏を止めて待ったといいます.
As the ringing (one connoisseur said it was the iPhone’s marimba signal) vied with the Adagio climax of bittersweet quietude, Mr. Gilbert had had enough. He stopped the orchestra and turned, one witness said, and sternly asked the offender: “Are you finished?”
そして,Gilbert は振り向いて,当の本人に, “Are you finished?”と厳しい声で呼びかけたということです.

それと共に,聴衆からも,“Kick him out!” came a shout from one music lover. “A thousand dollar fine!” demanded another. といった厳しい叫び声が上がったといいます.

Mr. Gilbert, a native New Yorker certainly used to the world’s run of nuisance, was masterful by all accounts in having the man snuff the phone. “We’ll wait,” he said, asking warily in behalf of everyone: “Is it going to go off again?”
と Gilbert が「少し待つけれども,また鳴ることがありますか?」と聴いたそうです.それに対して,聴衆から満場の拍手が沸きあがったそうです.

he took up the Adagio once more, marimba-free. Just before the Ninth resumed, people in the audience bustled to check their own cellphones.

Gilbert は The Adagio をやり直したようですが,その前に,慌てて時運のセルフォンを確認する人が目立ったといいます.
東京では,開演前のアナウンスを五月蠅いと思う人も多いでしょうが,それもやむを得ないと思うべきなのでしょう.

かつて,サントリーホールでゲルギエフが指揮中に,聴衆から補聴器のハウリングが五月蠅いとクレームがあって,楽章間の小休止が意外に長引いたことがありましたが,それは最近は補聴器の側でハウリング・フリーを出しているようですから,気にされる方は,お試し下さい.
そういえば,アバドが来日したとき,演奏中に携帯電話が鳴って,アバドから終演後にクレームがあって,それから開演前のアナウンスが始まったと記憶しています.

 

 

Editorial

Can You Hear Him Now?

Little could Mahler, a century gone from the modern world, have anticipated the horrific intrusion of an incessant cellphone ring near the end of his ethereal 90-minute masterpiece, the Ninth. The instrument rang untended across excruciating minutes Tuesday night at Lincoln Center from the pocket of a front-row listener, sending the audience, the New York Philharmonic players and the conductor Alan Gilbert into shock and dismay.

As the ringing (one connoisseur said it was the iPhone’s marimba signal) vied with the Adagio climax of bittersweet quietude, Mr. Gilbert had had enough. He stopped the orchestra and turned, one witness said, and sternly asked the offender: “Are you finished?” The rage in the hall was general, according to bloggers who were there. “Kick him out!” came a shout from one music lover. “A thousand dollar fine!” demanded another.

Mr. Gilbert, a native New Yorker certainly used to the world’s run of nuisance, was masterful by all accounts in having the man snuff the phone. “We’ll wait,” he said, asking warily in behalf of everyone: “Is it going to go off again?”

The conductor was rewarded with rousing applause even before he took up the Adagio once more, marimba-free. Just before the Ninth resumed, people in the audience bustled to check their own cellphones.


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オペラシティ:ポストリッジ(tn)の「白鳥の歌」名唱 [音楽時評]

1月10日,昨年から来日が延期されていたイアン・ボストリッジのシューベルトを聴きに,オペラシティに出かけてきました.ピアニストは歌曲伴奏のベテラン,グレアム・ジョンソンでした.

今夜は,冒頭にシューベルトの歌曲,3曲を置いて,その後,「白鳥の歌」から14曲目で,かねて,全体との異質性が指摘されている「鳩の使い」(死の前月に作曲されたという,明るい歌)を抜いたモノでした.

昨年秋,ボストリッジは,Carnegie Hall でピアニスト兼作曲家とのリサイタルを開いて,New York Times の批評家に取り上げられていましたが,それは,
Older Music Refracted Through a Modernist Prism と題されており.By  Published: November 29, 2011 ですが,そのなかで,

There were only two relatively short contemporary works in the remarkable recital performed by the tenor Ian Bostridge and the composer and pianist Thomas Adès on Monday night at Carnegie Hall. Yet this was inspired programming: strategic choices, in the context they set up, teased out the modernist resonances in older music, even a cycle as familiar as Schumann’s “Dichterliebe.”
The works were structured around themes of “depression, loss of love and the artist’s alienation from society,” as the program notes put it. They began with Dowland’s “In Darkness Let Me Dwell,” an Elizabethan lute song. As sung with spectral sound by Mr. Bostridge and played by Mr. Adès with attentiveness to wayward harmonies and flecks of dissonance, the music seemed at once old and new. と書き出していました.

この “depression, loss of love and the artist’s alienation from society,”が,今夜も暗黙のテーマであったように思います.先に挙げた,「鳩の使い」を省いたのは,それにそぐわないと考えたのでしょう.レルシュターブの7つの詩とハイネの6つの詩への作曲が」残り,ザイドルの詩が省略されたことになります.

代わりにというのとは異なるでしょうが,冒頭の3曲は,シュレヒターの詩「水鏡」と,ライトナーの詩2曲「冬の夕べ」「星」に作曲したモノです.これらの歌唱はまことに見事でした.

「白鳥の歌」については,昨秋,同じテノールのパドモアの過度にドラマティックな「美しき水車屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」にいささか興味を削がれたのでしたが,今夜のボストリッジは,ドラマティックなだけでなく,声が美しく澄んでいて,叙情性豊かで,かつポエティックで,とにかく,ものすごく音楽の幅が広がって聴かれました.
特に,私がパドモアについて注目した,「アトラス」と「影法師」の2曲のボストリッジははまことに絶品でした.

オペラ界には,優れたテノールが多々いますが,シューベルトの歌曲に関しては,ドイツの歌手を加えても,ボストリッジに匹敵するテナーはいないといっても過言ではないのではないでしょうか.

今夜,会場に,ボストリッジのシューベルト歌曲集が並んでいましたが,今は,CDではなく,ダウンロード,ないし,ストリーミングで聴いた方が遙かに安いので,そうした方法でお聞きになってみることをお薦めします.

ご参考までに挙げておきますと,
Schubert: Schwanengesang with Antonio Pappano (EMI Classics, 2009)
Schubert: die Schöne Müllerin with Mitsuko Uchida (EMI Classics, 2005)
Schubert: Winterreise with Leif Ove Andsnes (EMI Classics, 2004)
となっており,ピアノ伴奏者の顔ぶれがまたまことに素晴らしいですね.

新春早早に,昨年は来日を回避してしまったボストリッジを聴けたのは,たいへん幸せでした.


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The Pacifica Quartet at Metropolitan Museum [音楽時評]

New York の Metropolitan Museum は,エジプト文明の収蔵品でも有名ですが,そこのGrace Rainey Rogers Auditorium で The Pacifica Quartet が年6回の内の4回目の演奏会をベートーヴェン中心のプログラムで開催したそうです.休憩時間にはエジプト文明に触れられると言いますから,たいへんいい環境にあるといえるのでしょう.

もともと The Pacifica Quartet の最初の発想は,メンバーの出身地に近いので,1994年創設当時 The original idea was to start and live in L.A.,” だったので,Pacifica(太平洋のadj) を冠にしたのですが,直ぐに “Shortly after, we got a little residency in Chicago, at a school called the Music Institute,” で中部に本拠が移り,やがて For the four young players, home is Champaign, Ill., where they are on the faculty of the University of Illinois at Urbana-Champaign. とresidency を増やすことになります.
さらに,They also manage residencies at the Longy School of Music in Cambridge, Mass. (ほとんどAtlantic大西洋のadj) にということですから,residency を3つ持っていたのです.

そこへ,今度は the Pacifica Quartet will lay out yet another welcome mat, this one at the Metropolitan Museum of Art, where it was recently named quartet in residence. That position was previously held by the venerable Guarneri String Quartet, which played at the museum for 43 seasons before retiring this month.
と43シーズンそこのresidence にあった有名な Guarneri String Quartet の後を継いで,もうひとつ residence を得たというのですから,アメリカ屈指の Quartet に登りつめたことになります.

そのPacifica Quartet が,新春に,年間6回の演奏会の4回目を Grace Rainey Rogers Auditorium で開催したコンサートの review が掲載されたので,ご紹介します.

まず,全体として,the Pacifica Quartet, now in the third year of its residency, seems to have settled in well. It sounded comfortable and lively on Saturday evening, its fourth of six concerts at the museum this season. と賞賛しています.

プログラムは,This season brings all 16 of Beethoven’s quartets, in programs balancing selections from the three major periods of his career. と通常はベートーヴェンの前期,中期,後期から選んで来たのですが,今回は,
two quartets in F: Op. 18, No. 1
           and Op. 59, No. 1
だったそうです.

the jump in style from Beethoven’s early to middle quartets was still obvious: the greater experimentation with combinations of instrumental textures, the increased structural expansiveness. と前期と中期の差異を明確にした演奏だったといいます.

その演奏は,The Pacifica’s interpretations are personal, with lots of rubato and dynamic variation, but the players — the violinists Simin Ganatra (an expressive presence) and Sibbi Bernhardsson, the violist Masumi Per Rostad and the elegant cellist Brandon Vamos — perform with remarkable unanimity of vibrato, attack and volume. とルバートの多用,ダイナミックな変化の強調など個性的で,しかし,4人の合奏のバランス,ビブラート,アタッカ,音量などの合奏のバランスは素晴らしかったといいます.

The quartet never sounds relaxed; even in lighter and quieter sections its mood is tensile. The long pauses in the Adagio of the Op. 18 quartet were charged, and the players seemed happiest and most natural ripping into more vigorous passages, navigating the transitions from courtly to savage dance in the second movement of the Op. 59 quartet with thrilling confidence. Some faster passagework got blurry around the edges, but it was all in the service of the spirit of the work.

the players seemed happiest and most natural ripping into more vigorous passages, navigating the transitions from courtly to savage dance in the second movement of the Op. 59 quartet with thrilling confidence. Some faster passagework got blurry around the edges, but it was all in the service of the spirit of the work.
と演奏については絶賛しています.

ただ,Pacifica への注文として,この3年間,Schostakovichの全曲演奏とか,いわゆるクラシックばかりを取り上げてきたことに対して,新作も取り上げて欲しいと要望しています.その点では,Museum の Manager がプログラミングの経験者に交替したことに期待を寄せています.

あとは,ご自由に,ご渉猟下さい.

 

 

Music Review

So Much Tension, Pulling at These Strings

Jennifer Taylor for The New York Times

The Pacifica Quartet, from left: Simin Ganatra, Sibbi Bernhardsson, Brandon Vamos and Masumi Per Rostad, performing Beethoven on Saturday evening at the Metropolitan Museum of Art.

During intermissions at the Metropolitan Museum of Art’s lovably mid-20th-century-modern Grace Rainey Rogers Auditorium it’s possible to wander through the adjacent galleries of Egyptian art. Attending a concert there, you are aware of history. It makes sense that the Met, with its vast holdings dating back millenniums, should emphasize stability and long relationships in its distinguished concert series.

The Beaux Arts Trio played at the Met for 35 years until its retirement in 2008. Itzhak Perlman’s association with the series — as a performer and mentor of young musicians — has continued for decades.

And for 43 years, before retiring in 2009, the Guarneri String Quartet was the Met’s quartet in residence. It was a daunting assignment to fill such longstanding shoes, but the Pacifica Quartet, now in the third year of its residency, seems to have settled in well. It sounded comfortable and lively on Saturday evening, its fourth of six concerts at the museum this season.

After playing a variety of standard works and one recent piece by Jennifer Higdon in 2009-10, the Pacifica turned to the full cycle of Shostakovich’s quartets in 2010-11. This season brings all 16 of Beethoven’s quartets, in programs balancing selections from the three major periods of his career.

Saturday’s concert — which featured two quartets in F: Op. 18, No. 1 and Op. 59, No. 1 — was the only concert of the six without one of the sublime late quartets. But the jump in style from Beethoven’s early to middle quartets was still obvious: the greater experimentation with combinations of instrumental textures, the increased structural expansiveness.

The Pacifica’s interpretations are personal, with lots of rubato and dynamic variation, but the players — the violinists Simin Ganatra (an expressive presence) and Sibbi Bernhardsson, the violist Masumi Per Rostad and the elegant cellist Brandon Vamos — perform with remarkable unanimity of vibrato, attack and volume.

The quartet never sounds relaxed; even in lighter and quieter sections its mood is tensile. The long pauses in the Adagio of the Op. 18 quartet were charged, and the players seemed happiest and most natural ripping into more vigorous passages, navigating the transitions from courtly to savage dance in the second movement of the Op. 59 quartet with thrilling confidence. Some faster passagework got blurry around the edges, but it was all in the service of the spirit of the work.

The thing that has been almost entirely missing from the Pacifica’s Met residency thus far is new work, which is a major part of its repertory elsewhere. Let’s hope the quartet will work with Limor Tomer, who took over the museum’s concert series last year and has considerable experience programming contemporary music, to change that.


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行徳文化ホール:小菅優ピアノ・リサイタル [音楽時評]

開館当初はそれなりの音響効果だったこの行徳文化ホールが,学童の合唱や吹奏楽からの要求に押されて,ステージを固定で前に約3メール張り出させてしまったため,一挙に音響が悪くなって聴きに行く機会がなかったのですが,最近,張り出しを取り払って(多分,震災の影響からだったのでしょうが?),その部分には折りたたみ椅子が5列並ぶようになって,それなりの音響効果に戻ったというので,小菅優が来演の機会に彼女を聴きに出かけました.

小菅優は,吉田秀和さんが,共に若くしてヨーロッパに渡った河村尚子と小菅優は,日本人ピアニストでは別格で,大いに将来が期待されるという音楽評を書かれて以来,たいへん注目を集めている若手ピアニストの1人です.

今日のマチネーのプログラムは,
ベートーヴェン:     ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
シューマン(リスト編曲): 歌曲集《ミルテの花》op.25-1「献呈」
リスト:           メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」 S.514
        ※※※※※※※※
シューマン:        謝肉祭-4つの音符による面白い情景 op.9
でした.
なお,配布されたプログラムは,いわゆるプログラムではなく,曲と楽章のミニ解説とごちゃ混ぜになっていて,たとえば「月光」の第1楽章は,「月光の曲」として知られています.と書かれていて,何を今更という感じでしたし,曲名の横文字も,各楽章のテンポ指定の横文字もどこにもないのです.
これは,たいへん非常識で聴衆を見下していると思えてなりませんでした.そもそも外国人の聴衆は考えていないのでしょうか.市川市がその程度とは思えないのですが...
内容も,謝肉祭のところで,全体は21曲と書かれていますが,列挙されたなかの「パガニーニ」は,通常は「ドイツ風ワルツ」の中間部としてカウントしないはずで,全20曲とカウントするのが一般的です,ただ,もし1月9日に東京文化会館小ホールでシューマンについてのレクチャー・コンサートをされる小菅優さんによる説明なら,きちんとそう明記すべきですし,そうでない場合にも,文章の責任者を明記すべきでしょう.

演奏では,
「月光」は,東京紀尾井ホールでベート-ヴェン・チクルスを始めている小菅優さんに相応しく,ベートーヴェンの3楽章を,たいへん鮮明に,第1楽章,第2楽章のピアニッシモを中心とした抒情的な演奏と第3楽章の激情的な畳みかけるような演奏の対比がまことに見事でした.

「献呈」は,昨秋の NHK音楽祭で,河村尚子さんが「皇帝」協奏曲のあとのアンコールで弾いた曲だったので,注目して聴いたのですが,2人を較べるとすると,甲乙ではなく,河村さんの方が叙情性を全面に出していたのに,小菅さんは叙情性にダイナミズムがミックスされた感じを受けました.

リストは,必ずしもいわゆる超絶技巧曲ではありませんが,それにしても変化の早い,高度の技巧を要する曲を,鍵盤一杯に両手を駆け巡らせて,バランス良く,ダイナミックで絢爛たる演奏を披露してくれました.

「謝肉祭」はシューマンの傑作曲ですが,副題の「4つの音符による面白い情景」にある4つの音符は,実らなかった恋の相手エルネスティーネ・フォン・フリッケンの出身地アッシュ)のドイツ語表記「ASCH」を音名で表記した、《 As - C - H 》、《 A - Es - C - H 》に基づいており,、「前口上」、「ショパン」を除く総ての曲に,これらの音列のいずれかが用いられています.また,全20曲の中には,架空の「ダビッド同盟」の構成員の他,音楽家,ショパンパガニーニ、後に妻となるクララが登場しています.
たいへん変化に富んだ20曲が,まことに精密,鮮明に,しかもダイナミックに力演されました.たいへんな好演だったと思います.

近接地に優れた音響効果の「独立した建物」の小ホールがあって,こうした若手大物ピアニストを聴く機会に恵まれたことは,たいへん良かったと思います.

大都市で,区単位に作られるホールは,とかく多目的ホールで,設計にも無理をしている場合が少なくありませんが,最近私が行った中では,目黒パーシモン・ホール小ホールと今日の行徳文化ホールは,いずれも独立に音楽ホールとして造られていて,それなりの音響の響きの良さを備えていると思われます.




 

 


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東京文化会館:New Year Concert 2012 [音楽時評]

1月3日,東京文化会館にNew Year Concert 2012 を聴きに行ってきました.
大友直人指揮,東京都交響楽団,ソリストに三浦文彰(vl)でした.
なお,コンマスは正月のせいか,ソロ・コンますではなく,山本友重でした.

プログラムは,
ロッシーニ《生誕220年》: 「どろぼうかささぎ」序曲
ブルッフ:            ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26
      ※※※※※※※※
ドビュッシー《生誕150年》:牧神の午後への前奏曲
ストラヴィンスキー《生誕130年》:火の鳥 1919年版 
でした.

たいへん名曲揃いでしたが,ここでも最近好調の東京都交響楽団の力量が発揮されて,たいへん表情豊かな演奏が続きました.

ロッシーニの歌劇は,地主の家で銀食器がなくなり,嫌疑が美しい村娘にかけられ,死刑になる寸前に,実は「かささぎ」が咥えて持って行ったことが分かり,救われるというストーリーですが,ロッシーニらしい軽妙なリズムと流麗な旋律が溢れた曲で,終わり近くに,クレッシェンドで大きな盛り上がりが作られていました.大友さんの端正な指揮に都響が見事に答えていました.

ブルッフを弾いた三浦文彰は2009年に16歳でハノーバーCompetitionで優勝した若手ホープの1人です.ご両親がいずれもヴァイオリニスト(父親は東京フィルのコンマス)で,早期教育の成果といえるのでしょう.
曲はブルッフのさほど多くない名曲の1つですが,彼らしいロマン派的情感に満ちた美しく華麗な旋律,叙情性豊かな和声が,たいへん美しい協奏曲を織りなしています.
三浦文彰のヴァイオリンは,少し音量に欠けるところがありましたが,大友の指揮がヴァイオリンが入るところではぐっとオーケストラの音量を絞っていましたから,第1楽章の力強い主題と叙情性豊かな第2主題がくっきり浮き彫りにされていました.切れ目なく第2楽章,叙情性溢れる緩徐楽章に移り,カデンツアらしい部分なしで終わり,第3楽章は,ヴァイオリンの重音による主題とオーケストラの高らかに奏でる主題が華麗に押しなされて発展し,フィナーレを迎えます.
終曲に向けて,ソリストも音量を全開させて,締めくくっていました.
現在ウイーンの私立音楽大学で研鑽を重ねているそうですから,さらなる成長,発展を祈りたいと思います.

ドビュッシーの前奏曲は余りに有名ですが,都響は見事に好演していました.

ストラヴィンスキーの火の鳥はバレー音楽で,いわば組曲風になっていますが,魔法にかけられた王女と王子が対照的な曲を連ねた後,魔法が解けて,めでたく両者が結ばれるところで,たいへん盛り上がって終わります.
ここでまた都響の弦楽器,管楽器,打楽器が鮮やかなやりとりを展開して,曲を盛り上げていました.なかなかの好演だったと思います.

聴衆は,95%くらいで,この時期にしては大入りだったのではないでしょうか.
   


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