SSブログ

シューベルトの三大歌曲集:クリスティアン・ゲルハーヘル [音楽時評]

1月30日が「美しき水車屋の乙女」,2月1日が「冬の旅」,2月3日が「白鳥の歌その他」です.

1月30日19時半開演という珍しいリサイタルに王子ホールに行ってきました.
王子ホールという理想的なホールを得て,ゲルハーヘルは声を張り上げる必要もなく,豊かで甘いバリトンで淡々と全20曲を詩情豊かに歌いきりました.
この曲では,粉職人が親方を目指して旅に出て,ある水車屋の娘に恋し,はじめ順調だった愛が,ライバルの狩人の登場で暗転し,最後には粉職員は小川に身を投じて小川に眠ることになる悲劇的な内容ですが,歌が粉職人の心を,ピアノが小川や様々な情景や情感を表しているといわれます.
その両者が相まつた見事な名演でしたが.ゲルハーヘルの声の幅を一段と広く使った後半の盛り上げもこの歌曲集に静かな中にも劇的な展開を表現していました.

1点気になったことは,ソリストが自分の左側にスコアボードを置いて,それをめくりながら演奏を続けたことです.私は席が後方でしたからあまり気にはなりませんでしたが,前列右側の人には目障りだったと思います.
私には初めての経験でしたが,ドイツ人歌手が,シューベルトの楽譜,そのドイツ詩人の歌詞を諳んじることは容易なことだったろうにという思いがありました.ゲルハーヘルがインタビューで「美しき水車屋の乙女」が一番好きだといっていただけにいささか気になりました.

2月1日に聴いた「冬の旅」は,おそらく「美しき水車屋の娘」と並んで歌曲集の頂点に立つ作品だと思います.
作曲当時,友人達はその暗い陰鬱な音楽を十分には理解出来なかったようですが,シューベルトは「君たちもいずれ気に入ってくれることだろう」と語っていたといわれます.また,シューベルトが死の床でまで後半部の校正を行っていたといわれ,いわば心血を注いだ作品といえるのでしょう.
「美しき水車屋の娘」が長調主体の作品であったのに対して,「冬の旅」は24曲中15曲が短調で書かれ,同じように「失恋した若者」をテーマにしながら,「美しき水車屋の娘」には見られないような暗い孤独感,絶望感が支配しています.

今夜もゲルハーヘルは最初の「おやすみ」は静かに始めましたが,次第に声の幅を広げて,「菩提樹」,「あふれる涙」でひとつの頂点を作っていました.
「鬼火」と「春の夢」では激情とはかない叙情がくっきりと対照され,「霜おく髪」以降は漂泊のなかの絶望感が劇的に歌われました.
印象的だったのが,最後の「辻音楽師」の絶望的な静けさから最終フレーズの終わりで声を張り上げることをせず,静かなまま終わったことです.20世紀のパターンから21世紀への新たな再現手法といえるのかも知れません.

今夜も楽譜を傍らに置いて,譜面をめくりながらの歌唱でした.三大歌曲集を暗譜するなどということは現代の歌手には無用,無益なことなのでしょうか.

これまでアンドラーシュ・シフ,アルフレッド・ブレンデルなどという超一級のピアノ伴奏を聴いてきた立場からいうと,ピアノのゲロルト・フーバーにはやや弱さを懸念しましたが,フーバーはゲルハーヘルとの共演歴は長く,ゲルハーヘル自身が彼は伴奏者でなく自分のパートナーと呼んで絶大な信頼を置いているということですから,聴き手も全幅の信頼を置いて良いようです.

2月3日日曜日,首都圏は久しぶりの大雪に見舞われましたが,三大歌曲集に執着して無理をして出かけました.果たせるかな,チケット完売の席にちらほら空席が目立ちました.      
この日は,入口に「お詫び」の掲示があり,一部のチケットに前2夜と同様,途中休憩がないという注意書きを書いてしまったが,今夜は途中休憩があるということでした.

実際のプログラムは,よくあるシューベルト三大歌曲集とは大きく異なっていました.
「白鳥の歌」は「白鳥は死の直前に一声美しく鳴く」という言い伝えから転じて,「最後の歌」を意味しますが,現実の「白鳥の歌」はシューベルトがまとめたものではなく,彼が余りにも早い31歳で亡くなってから,出版社が彼の晩年の歌曲を集めたもので,レールシュターブの7曲とハイネの詩の6曲に,ザイドルの詩による「鳩の使い」を加えてまとめられたものです.
シューベルトもレールシュターブ歌曲集とハイネ歌曲集をいとしていたことが今では定説となっており,ザイドルの詩による「鳩の使い」の明るさがそれらの後に来ることに疑問が提起されています.
しかし,今日の「白鳥の歌」は,明るい「鳩の使い」を,死を予感させあるいは愛する人の不在から来る絶望感に包まれた暗さからの最後の救いになるとして定着させています.

ゲルハーヘルは,大胆に,レールシュターブの歌曲集のあとに,シューベルト最晩年のライトナーの3曲を,ひとつの区切りをもった3連曲として並べていました.そして休憩を挟んでハイネ歌曲集とザイドルの「鳩の使い」をまとめて歌ったのです.

レールシュターブの悲しげで時に厳しい,有名な「セレナード」を含む7曲が,ライトナーのしっとりとした3曲の潤いで締めくくられた後,ハイネの劇的な6曲が,ザイドルの「鳩の使い」の安らぎで締めくくられました.
前2夜を凌ぐほどの名演だったと思います.今回は,譜面台が置かれていたのは4人の詩人からの詩ですからやむを得なかったと了解できました.

鳴りやまぬ拍手に応えて,3夜で初めて唯一のアンコールとして,「夕映えに」が歌われましたが,その静寂が3夜の締めくくりとしてたいへん相応しく聴かれました.

昨年9月のマティアス・ゲルネについて書いた時に,劇的表現の多用か端正なシューベルトかの選択をあげましたが,ベルハーヘルは時にドラマチックでしたが,全体として端正なシューベルトを聴かせてくれたと思います.決して身振りを使わず,音量豊かな声を抑制しつつ声と言葉で劇的な歌詞を歌いきってくれたからです.「人間は最良の楽器である」という名言を改めて痛感しました.

最後の日に,3夜のうち最後だけチケットが取れたという嘗ての教え子に会ったのですが,すっかり彼の声に魅せられて,ロビーに並んでいたマーラーの「大地の歌」を含む5種類のCDを全部買ってしまったといっていました.
それほど魅力溢れるドイツからのバリトンの新星として今後を大いに期待したいと思います.

なお,書き忘れましたが,2日目の「冬の旅」にだけNHKが録画に入っていました.歩道に2台のNHK車両が乗り上げて止まっていましたから,放送は未定だそうですが,多分ハイビジョンで放映されると思います.ご関心の方はぜひご覧になることをお奨めします.

ご意見をお寄せいただければ幸いです.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。