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神尾真由子&クルティシェフ・デュオ・リサイタル [音楽時評]

ご無沙汰しました.
初秋に肺炎で1ケ月余の入院の後,私にとって最初の音楽会,「神尾真由子&ミロスラフ・クルティシェフ」デユオ・リサイタルを聴きに,11月24日,オペラ・シティに行って来ました.

ミロスラフ・クルティシェフは,神尾真由子が優勝した2007年のチャイコフスキー・コンクールで,1位なしの2位に入賞したピアニストで,コンクール入賞者のガラ・コンサートで知り合った仲だそうです.この人の伴奏は素晴らしく,神尾真由子を盛り立てていました.

プログラムは,オール・ベートーヴェンで,ヴァイオリン・ソナタ第7番から弟9番「クロイツエル」までの3曲でした.

第7番は私が初めて聴いたクラシック音楽会(東京大学教養学部講堂で植野(服部)豊子さんが当時の日比谷公会堂でのリサイタルを前に開いた演奏会)で弾いた曲で,私にとって思い出の曲なのです.
ここでは,第7番についてのみ,五嶋みどりさんの作品解説を引用しておきます.

(以下引用)
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第7番 ハ短調作品30-2 (1802年作曲)

第1楽章:Allegro con brio
第2楽章:Adagio cantabile
第3楽章:Scherzo
第4楽章:Finale: Allegro-Presto

18世紀や19世紀の頃の作曲法理論では、特定の調には独特の曲想があると考えられていました。例えば、ハ短調の場合は"悲劇、大きな不幸、英雄の死"という雰囲気があると言われていました。

これは1802年に作曲された『ソナタ第7番ハ短調作品30-2』にも当てはまります。この作品は、ヴァイオリンとピアノの為に書かれたデュオの名作の中でも元祖的存在と考えられています。ベートーヴェンは、同時期に7つの器楽曲を手がけていますが、その中で、このソナタと他の3つの作品(悲愴ソナタ、弦楽三重奏、ピアノ協奏曲)がハ短調で書かれている事実は注目に値します。難聴が深刻化していたベートーヴェンの心の動揺が、ハ短調の特徴である陰鬱で不吉とも言えるこの曲の雰囲気にぴったりと合っているように思われます。

第1楽章の冒頭の控えめなオクターブが明確に不吉な運命を予測し、すぐに激しくかきたてるような軍隊マーチに似た対照的なテーマにとってかわり、感情の爆発につながります。悲劇的な美しさとふざけたような旋律という相反する要素の混合は、偉大な力と結束力を生み出し、抒情詩のような雄壮な作品に仕上がっています。

2つの楽器はお互い補い合うような関係を終始保っていますが、色調としては、ピアノ寄りに感じられます。しかしながら、両パートの重要性という意味では、全く平等に扱われていると言えます。

ゆっくりとしたテンポの第2楽章のAdagio cantabileは、首尾一貫して穏やかな感情があふれ出ており、歌のようで心が動かされます。ピアノで弾かれる最初の牧歌的なテーマが様々な形に変化し、見え隠れします。ソナタの中で最も静かなこの楽章でさえも、突然の感情の爆発が2度もあり、上昇音階が不意に出てきます。しかし、その衝撃も瞬時で、叙情的なテーマが戻ってきます。

第3楽章のリズミカルなScherzoは、3拍子で書かれており、第1楽章の軍隊マーチを思い起こさせます。特に、真ん中のトリオの部分では、ドイツの田舎の踊りのような雰囲気があります。その前後の部分では、装飾音符がユーモアといたずらっぽさをつけ加えています。

最終楽章では、苦悶と恐怖に染まった雰囲気が戻ってきます。この楽章のテンポは息もつけないほど速く、突然の感情の爆発や休止は、テンポが速いだけに抜群の効果をあげています。Prestoと書かれたコーダでは、熱狂的気運が高まり、ハ短調の主和音でこの曲は終わり、不安や神経質な雰囲気が余韻として残ります。

2005年 五嶋みどり
(編・訳:花田由美子)
(引用終わり)

とにかく,神尾真由子は3曲とも完璧な演奏を展開してくれました.それは改めて,チャイコフスキー・コンクールの権威を納得させるモノでした.

今回は,私見を控えていますが,私にとって大病を挟んで全く久しぶりの音楽会で,自分の耳に対する不安を払拭するという目的をとにかく果たせたことを,大いに喜んでいます.

今回はこれで終わりにさせて頂きます.



 


 

 

 


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中間報告1 [音楽時評]

残念ながら,体調を崩し,芸術の秋のブログを書けません.

くれぐれもご健康第一にエンジョイ下さい.


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サントリーホール:都響B定期下野指揮館野pf [音楽時評]

8月28日,サントリーホールに東京都交響楽団B定期演奏会を聴きに行って来ました.
タイトルには指揮下野龍也と書きましたが,第1曲目のケージの曲は,オーケストラを4群に分けて演奏するので,指揮者は下野を含めて4人でした.他の3人は,
大河内雅彦:東京芸大卒,上野学園講師
松村秀明   洗足学園卒,新日鐵文化財団の指揮研究員
沖澤のどか 東京藝大学指揮科卒,同大学院音楽研究科在籍
でした.

プログラムは,
ケージ: エトセトラ2(4群のオーケストラのための)
      ※※※※※※※※
一柳慧: ピアノ協奏曲第5番「フィンランド」-左手のための(初演)
一柳慧: 交響曲第8番「リヴェレーション2011」 (管弦楽版初演)
でした.

ケージの曲は,たいへん個性的で,4群のオーケストラが,入れ替わり立ち代りトッティを鳴らすのですが,ステージ上では,平服の楽員が前後4つずつの空席に入れ替わり立ち替わり4群から移動したり戻ったりするのがプラス・アルファの感じで,約30分を興味深く聴かせました.
サントリーホール開館に当たって委嘱された作品で,20年振りの再演だったそうです.

一柳慧の左手のためのピアノ協奏曲は,プログラムの記事では,最近2度フィンランドの音楽祭に招かれたこと,そして,フィンランド在住の館野泉さんに触発されて作曲したモノだそうです,
ほとんど現代音楽とは呼べないクラシックな作品でしたが,ピアノが淡淡と緩ー急の2楽章を弾き進むうちに,オーケストラがトッティでかぶると,ピアノが聴こえなくなるのがたいへん気になりました.

交響曲第8番は,昨年の東日本大震災の経験から,日本の復興の将来に向けて書かれた黙示録だそうです.4つのセクションが続けて演奏されましたが,4つは,「予兆」「無情」「祈り」「再生」と題されています.しかし,基調として,循環と無常がイメージ形成の要になっていると説明されています.
オーケストラは下野さんの指揮で好演していましたが,いまひとつ液状化の被害を被った私にはピント来ない作品でした.
とくに福島の原発事故がカラ菅を初めとする無知から生じた人災であったことは,政府,国会,民間などの事故調査委員会報告を読んでいたら理解できたはずですが,再生には何10年とかかるでしょう.それを考えただけでも,これは救いようのない作品でした.
遅ればせながら,ここから大ブーイングを送ります.


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シャネル:谷口洸ヴァイオリン・リサイタル [音楽時評]

8月25日,銀座シャネルにCHANEL Pigmarion Days コンサートを聴きに行って来ました.幸い抽選に当たったのです.

出演はヴァイオリンの谷口 洸(1984年生まれ),ピアノ伴奏に永野光太郎(1988年生まれ)でした.
谷口 洸は昨年11月に同じシャネルで聴いて,フランクの有名なヴァイオリン・ソナタの演奏に物足りなさを感じた記憶があります.

プログラムは,
ファリア(コハンスキー編曲);   スペイン民謡組曲より
                     「ムーア人の織物」「ナナ」「カンシオン」「ポロ」
                     「アストイーリア地方の歌」「ホタ」 
ドビュッシー(ハイフェッツ編曲):ゴリウォッグのケークウォーク
ドビュッシー:                        ヴァイオリン・ソナタ
サラサーテ:             ザパテアド
サラサーテ:             ツイゴイネルワイゼン
でした, 

配布されたプログラムが不完全だったので,2曲ほどは私の推測です.お気づきの点がありましたらコメントでご教示下さい.

谷口洸は,モスクワ・グネシン音楽学校,アメリカのイーストマン音楽院,ジュリアード音楽院修士課程修了,アスペンその他の音楽祭のアカデミーに参加,以後,いくつかのオーケストラの奏者として参加して来たそうです.

全体として,なかなか艶やかな音で,音楽を聴かせてくれました.ドビュッシーは生誕150年記念で力点を置いて,特にソナタをなかなか綺麗に纏めていました.

ただ,最近は,アジアのヴァイオリニストは多士済々ですから,日本といわず欧米でも,どこかのオーケストラの首席なりフォア・シュピーラーの席を確保して活躍して欲しいモノだとと思いました.         


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JTアートホール:アフィニス夏の音楽祭東京公演 [音楽時評]

8月24日,山形県で開かれているアフィニス夏の音楽祭の東京公演を聴きに,JTアートホールに行って来ました.
アフィニス夏の音楽祭は,四方恭子さんが音楽監督で,20もの日本のオーケストラ団員の参加を得,かつ海外からの選りすぐりの名手の出演も得て,オーケストラ公演と室内楽公演を聴かせているモノです.

今回の東京公演の特色は,JTアートホールでは珍しい金管楽器の演奏がふんだんに聴けたことです.

プログラムと演奏者は,
ベートーヴェン: ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.16
                         Ob;斉藤真美,Cl;ヨハネス・バイツ,Fg:田邊武士
              Hr;アブ・コスター,Pf;村田千佳.
コルンゴルド:   弦楽六重奏曲 ニ長調 Op.10
                          Vn1;久保木隆文,Vn2;蔵川留美,Va1;ポール・ペシュティ 
                          Va2;佐藤裕子,Vc1;大内麻央,Vc2;樋口泰世
        ※※※※※※※※
バッハ:       プレリュードとフーガ ハ短調(D.Taylor編曲・金管五重奏版)
              Tp1;オマール・トマゾーニ,Tp2;亀島克敏,Hr;林伸行
              Trb;ロジャー・フラット,Tub;喜名 雅
クレスポ:      組曲「アメリカーナ」第1番(抜粋4曲) 
                          Ragtime, Bossa Nova, Vals Peruano, Son de Mexico
              Tp1;オマール・トマゾーニ,Tp2;亀島克敏,Hr;林伸行
               Trb;ロジャー・フラット,Tub;喜名 雅  
でした.

最初のベートーヴェンは,馴染みのメロディが現れますが,オーボエ,クラリネット,ファゴット,ホルンにピアノという組み合わせで,とにかくその合奏の妙に感嘆しました.

コルンゴルドはオーストリアの後にアメリカに渡っていますが,未だ若い頃,ブラームスの同一楽器編成の曲を基礎にして書かれた作品だそうで,ロマン的な作品です.たいへん美しい曲が好演されました.

後のバッハ(Taylor編曲)とクレスポの2曲は,ただただ金管楽器の輝きに圧倒されて聴いていました.

アフィニス夏の音楽祭東京公演が,こうした珍しい楽器の組み合わせを聴かせてくれたことに,心から敬意を表したいと思います.ただ,聴衆が満席ではなかったことが惜しまれます.

 


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Mostly Mozart Festival in reorganized Avery Fissher Hall [音楽時評]

このところ欧米ではSummer Festival 続きで,あまり話題を提供できなかったのですが,日本でも10年間くらいは行われてご記憶の方も多いと思われる The Mostly Mozart Festivalにかかわって,たいへん興味深い記事に出会いました.

The Mostly Mozart Festival の会場の Avery Fissher Hall はNew York Philharmonic の定期演奏会場でもあるのですが,そのshoe box 型で,4階建て,2698人収容というのが,音響の点でとりわけ Mostly Morzart で取り上げられるバロックや古典派音楽には不向きで知られていました.

ところが今年は一工夫して,ステージを前に出して,その両脇と後方にも客席を作って,2500人くらいの収容力は維持して,Bach, Mozart and Mendelssohn にはたいへん好ましい音響を提供したというのです.
これは日本でも余りに細長すぎるオペラ・シティなどでも応用出来るのではないかと考えられますから,ご紹介させて頂きます.

There are many reasons to like Lincoln Center’s Mostly Mozart Festival. But one of the best is its subtle yet crucial transformation of the chronically woeful Avery Fisher Hall, the home base of the festival’s orchestra, which played a program of Bach, Mendelssohn and Mozart on Tuesday evening, led by Andrew Manze, making his festival debut.

The intimacy of Baroque and classical music, which makes up most of the ensemble’s summer repertory, projects in the big shoe box of Avery Fisher only with difficulty. So Mostly Mozart cleverly pulls the stage closer to most of the audience, adding a few rows of seating on either side of it and a large section behind.

The result is far more immersive than usual for the hall, an experience closer to that of Walt Disney Concert Hall in Los Angeles and other great music spaces of the 21st century. It is a rough model for what Avery Fisher could be after its long hoped for, perpetually deferred renovation.

ここでは,長年待ち望まれてきたAvery Fisher Hall の改装のおおよそのモデルになるとまで述べています.

プログラムは,
Bach’s Orchestral Suite No. 3
Mendelssohn’s Piano Concerto No. 1 in G minor Stephen Hough played the solo part
Mozart’s Jupiter Symphony
だったようです.

In Mozart’s Jupiter Symphony the orchestra was focused and bright. In the fourth movement there is an unexpected series of crazily chromatic chords; but in this performance, given the vibrancy of what had preceded it, it seemed utterly natural. The audience was ready for anything under Mr. Manze’s exciting direction.

と,ジュピター交響曲の終楽章で音をミスった点についても,in this performance, given the vibrancy of what had preceded it, it seemed utterly natural. と音をミスったことまで,許容範囲だとして,演奏会の好演を評価しています.

 

 

Music Review

Melodies, Immersive and Vibrant

Mostly Mozart Festival with Stephen Hough and Andrew Manze

There are many reasons to like Lincoln Center’s Mostly Mozart Festival. But one of the best is its subtle yet crucial transformation of the chronically woeful Avery Fisher Hall, the home base of the festival’s orchestra, which played a program of Bach, Mendelssohn and Mozart on Tuesday evening, led by Andrew Manze, making his festival debut.

Ruby Washington/The New York Times
Intimate encounter: Andrew Manze leading the Mostly Mozart orchestra in his festival debut Tuesday night at Lincoln Center’s Avery Fisher Hall.

The intimacy of Baroque and classical music, which makes up most of the ensemble’s summer repertory, projects in the big shoe box of Avery Fisher only with difficulty. So Mostly Mozart cleverly pulls the stage closer to most of the audience, adding a few rows of seating on either side of it and a large section behind.

The result is far more immersive than usual for the hall, an experience closer to that of Walt Disney Concert Hall in Los Angeles and other great music spaces of the 21st century. It is a rough model for what Avery Fisher could be after its long hoped for, perpetually deferred renovation.

The festival orchestra and its music director, Louis Langrée, have responded to this setup with playing of polish and flair in recent seasons. On Tuesday the performance was shining and tight, responsive and lively but never exaggerated.

Bach’s Orchestral Suite No. 3 in D featured coppery solos from the concertmaster, Ruggero Allifranchini, including in the famous Air. In the fourth-movement Bourrée, Mr. Manze brought out the dotted rhythm in the winds that lies under the flowing passagework in the upper strings, one of many occasions when he emphasized inner lines without distorting the larger phrases.

Stephen Hough played the solo part in Mendelssohn’s Piano Concerto No. 1 in G minor with intensity in its virtuosic passages and a willingness to restrain his sound within the orchestral textures.

In the first movement the pianist has a short duet of sorts with the cello section, then plays a series of grand chords before repeating the melody alone. Mr. Hough handled the chords with strength and delicacy, as if gently moving the cellos aside.

At a preconcert recital he played the New York premiere of his own 2010 “Sonata for Piano (broken branches).” A pianist-composer is nothing new, but Mr. Hough is also part of a generation of artists schooled in social media; he is active on Twitter and writes a clever, illuminating blog on the Web site of The Daily Telegraph. (There, in a characteristically witty and true moment, he recently described Ravel’s “immaculately tailored suits, his fastidious cleanliness repelling intimacy — the love that dare not tweak his mane.”)

In Mozart’s Jupiter Symphony the orchestra was focused and bright. In the fourth movement there is an unexpected series of crazily chromatic chords; but in this performance, given the vibrancy of what had preceded it, it seemed utterly natural. The audience was ready for anything under Mr. Manze’s exciting direction.


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フエスタ・ミューザ川崎2012東京交響楽団,指揮ウルバンスキー,アブドゥライモフ(p)の名演 [音楽時評]

今日は川崎の昭和音大テアトロ・ジーリオ・ショウワへフエスタ・ミューザ川崎2012フィナーレ公演を聴きに行って来ました.
先日の新日フィル,山田和樹の物足りなさを吹き飛ばすような,今年一番の名演を聴くことが出来ました.

指揮のクシシュトフ・ウルバンスキーは1982年ポーランド生まれ(山田和樹は1979年生まれ),ヨーロッパの有名オーケストラ(ベルリン・フィルに2014年5月予定)から次々に招かれている俊英で,来年4月から東京交響楽団の首席客演指揮者に就任予定だそうです.

ピアノのベフゾド・アブドゥライモフは1990年ウズベキスタン生まれ(22歳でしょうか),2009年にロンドン国際ピアノ・コンクール第1位という入賞歴の持ち主です.

プログラムは,ミューザ・フイナーレに相応しく,名曲それも大曲2曲で,
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
      ※※※※※※※※
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47
でした.

チャイコフスキーの協奏曲は,最初,ルビンシュタインに草稿を送りアドヴァイスを求めたそうですが,貧弱な作品で演奏不可能であると酷評されたので,代わって,ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈され,そのピアノ協奏でアメリカ,ボストンで初演されています.
ロシアでは,サンクト・ペテルブルグに続いて,モスクワで,ルビンシテイン指揮、セルゲイ・タネーエフのピアノによって演奏され,その後は,ルビンシュタインの重要レパートリーになったといいます.
ただ,曲は,1879年の夏および1888年の12月に2度にわたって改訂されています.
Allegro non troppo e molto maestoso - Allegro con spirito/Andantino semplice - Prestissimo - Quasi Andante/Allegro con fuoco の3楽章構成です.第1楽章冒頭の壮麗な序奏は,その後2度と再登場することはなく,ベートーヴェンの「皇帝」協奏曲に類似しています.第2楽章は簡素なアンダンテで始まりますが,むしろテンポを早めた中間部でピアノの高い技巧が発揮されています.第3楽章では,第1楽章序奏のテンポが,この中間部で再現されコーダに至るので,曲に一体感が高められて終わります.
とにかく構成感豊かな演奏で,たいへんな好演でした.
アブドゥライモフは3度目にステージに戻ったときに,アンコールにゆったりした鮮麗なメロディを奏でてくれましたが,曲名は分かりませんでした.

とにかく驚くほど緻密な演奏が展開されて聴衆を感動させたのがショスターヴィチの第5交響曲でした.この曲は比較的良く聴く曲ですが,私が名演として記憶しているのが,アシュケナージ指揮フィルハーモニア菅のLondon Royal Festival Hall での演奏ですが,今日のウルバンスキーの指揮はそれに迫るまことに見事な演奏でした.
Moderato - Allegro non troppo/Allegretto/Largo/Allegro non troppo の4楽章構成です.一見,緩-急-緩-急の構成ですが,各楽章が複雑な表情を交差させながら,調性の変化やリズム,テンポの変化など,表の顔と裏の顔など入り組んだ構成になっています.

スターリン体制に強く批判され,それに応えて書いた曲ですが,初演時には,フィナーレの途中から興奮した観客が自然に立ち上がり、終わると猛烈なスタンディングオベーションとなり、「荒れ狂ったような喝采を送り,みな、次のようなフレーズを繰り返したといいます.『(プレッシャーに)答えた。立派に答えた.』 ショスタコーヴィッチは下唇を噛みながら舞台に現れましたたが,泣いているかのようであった」(シャポーリン夫人)と証言されたような騒ぎとなり,かえって体制への抗議活動と見なされることを恐れた関係者の機転で、作曲者は裏口から脱出したといいます.
しかし,体制側はむしろこの作品を歓迎し、ショスタコーヴィチは体制下で生き延びることになったのだといわれます.

そうした背景を持った曲ですが,古典的なスタイルで書かれたこともあって,比較的,理解しやすい曲で,とくに終楽章では行進曲風のリズムに乗って,爆発的なエネルギーが解放されて壮麗に曲を閉じます.

この曲のテンポ指定については議論が分かれているのですが,ウルバンスキーは.かなりハッキリと緩-急-緩-急のテンポで,各楽章ごとにメリハリをハッキリと付けて,たいへん緻密なしかし分かりやすい指揮をしていました.小澤征爾のようなボディ・ランゲージは一切とらず,両腕だけの指揮で,とくに左腕の管楽器,打楽器への細かな指示は聴衆からもそれと分かりやすいモノでした.
全般に,多少音程が狂うことなど恐れずに,打楽器,金管楽器,木管楽器と五弦を見事なまでに良く鳴らさせてバランスを改善し,全体のバランスの上にオケを一杯に鳴らしていたのが印象的でした.コントラバスとチェロが滅多に聴かないほど精一杯の音を出して,五弦のバランスを支え,それによって五弦と金管,木管,打楽器のバランスがきわめて良く整えられていたのです.
それはとりわけ終楽章の高揚する部分で一段と際立っており,見事なフィナーレを作り出していました.

この若さで良くここまでと思わせる見事な指揮だったことを強調しておきたいと思います.

幸い,来年からは首席客演指揮者に就任するそうですから,また若々しい彼を聴けるのが大いに楽しみです.

 

 


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トリフォニーホール:新日フィル「扉」.山田和樹,荻原麻未(p) [音楽時評]

8月10日,久しぶりに新日本フィルハーモニーの「新クラシックの扉」を聴きに行って来ました.指揮が山田和樹で,ピアノに荻原麻未が出演していたからです.

なお,コンマスは崔文洙,オルガンに室住素子でした.

プログラムは,
ラヴェル:     亡き王女のためのパバーヌ
ラヴェル:        ピアノ協奏曲 ト長調
    ※※※※※※※※
サン=サーンス: 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付」
でした.

「亡き王女のためのパバーヌ」は,ラヴェルがルーヴル美術館を訪れた時にあった、17世紀スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いたマルガリータ王女の肖像画からインスピレーションを得て作曲したといわれます,「亡き王女」は韻律上の表現で,特定の人物を指すものではないそうです.最初ピアノ曲として作曲され,翌年にはオーケストレーションされたそうです.
比較的小編成で,冒頭で,弦楽器のピッチカートに乗り、ホルンのソロでロンド主題が提示されるのですが,ここでホルンが音を外していたので,この短いけれど旋律美を持って最弱音で終わる曲は楽しめませんでした.
山田和樹の指揮は明快で,構成もしっかりしていました.

ピアノ交響曲は,最晩年に左手のためのピアノ協奏曲と平行して作曲され,有名なピアニスト,マルグリット・ロンのピアノ,指揮ラヴェルで1932年に初演され,好評を博したといいます,
とりわけ20世紀初頭に流行したジャズの影響を強く受けています.
Allegramente/Adagio assai/Prestoの3楽章構成です.冒頭のピアノが提示するアルペジオの繰り返しがジャズに似て印象的です.ピアノのカデンツァに先立ちハープ・木管楽器によるカデンツァが挿入されている点もユニークです.第2楽章では冒頭にピアノの独奏が入ってユニークですし,中間で,コールアングレとピアノが美しい旋律で対話するところも魅力的です.終楽章は,再び,ジャズの雰囲気に近づいて,華やかに曲を終えます.
なかなかの好演だったと思いますが,アンコールで予想外のことが起こりました,山田和樹が3度目のアンコールまで指揮台近くに残っていて,2度目にソリストがアンコールから引っ込んだ後,山田和樹が次々と楽団員を指さして立たせて拍手を受けさせ,それを一通り終えてから,指揮台近くからソリストを手招きしたのです.
こんな光景を見たのは初めてでした,いくら自分が先輩であったにせよ,ソリストをソリストとして敬意を表しないこと,聴衆のアンコールはソリストを呼んでいるのに,山田和樹が勝手に楽団員に拍手を割り振ったことは,ソリストに対する最低のステージ・マナーだったと思います.
20世紀から五嶋みどり始め10歳前後で初協演するソリストが大きく増えているのです.山田和樹のような最低のマナーに出会ったら,10代のソリストは傷つくでしょう.

サン=サーンスの交響曲第3番は,オルガンを含めてなかなかメリハリの効いた好演だったと思います.しかし,その後がやはり頂けませんでした.
山田和樹は打楽器,金管,木管の順に全員を順番に立たせ,最後に五弦をコントラバスから順番に次々と一斉に立たせて拍手を受けさせたのです,
遠来の楽団でもない月例の「新・クラシックの扉」なのですから,2,3の人を別にして後は一斉に立たせれば良いので,なんでこんなことをするのだろうと呆気にとられました.

昨日のブログで書いた Yannick Nézet-Séguinが,born 6 March 1975 in Montréal, Québec, Canada で今秋からPhiladelphia 菅のMusic Director ですが,1979年生まれの山田和樹は,今秋から経営にPhiladelphia と類似した問題を抱えた日本フィルの正指揮者に就任予定です.スイス・ロマンド菅の首席客演指揮者に決まっていますが,昨日のブログに引用したYannick Nézet-Séguin の他を圧する個性に近いものは,今日の山田和樹からはほとんど感じられなかったことを付言して終わりたいと思います.

10月には,同じ新日フィルを,ヨーロッパの下積みから着実に向上した上岡敏之が振るのを聴く予定をしていますから,その日をいっそう楽しみにしたいと思います.

なお,山田和樹で気になって,ブザンソン国際指揮者コンクールについて,日本人以外にはあまりプロフィールに掲げているのを聞かないので,主要歴代優勝者を列記してみました.

  • 小澤征爾 (1959年、第9回)
  • ミシェル・プラッソン (1962年、第12回)
  • ズデニェク・マーカル (1965年、第15回)
  • ヘスス・ロペス=コボスフィリップ・ベンダー (1968年、第18回)
  • シルヴァン・カンブルラン (1974年、第24回)
  • ヨエル・レヴィ (1978年、第28回)ミシェル・プラッソン (1962年、第12回)
  • 松尾葉子 (1982年、第32回)
  • ヴォルフガング・デルナー (1984年、第34回)
  • 呂紹嘉 (1988年、第38回)
  • クリストファー・ゲイフォード佐渡裕 (1989年、第39回)
  • 沼尻竜典 (1990年、第40回)
  • ジョージ・ペリヴァニアン (1991年、第41回)
  • トマソ・プラシディ (1992年、第42回)
  • シルヴィア・マサレリ曽我大介 (1993年、第43回)
  • 阪哲朗 (1995年、第44回)
  • マルコ・パリゾット (1997年、第45回)
  • アルバロ・アルビアチーフェルナンデス (1999年、第46回)
  • 下野竜也 (2001年、第47回)
  • (該当者なし) (2003年、第46回)
  • リオネル・ブランギエ (2005年、第49回)
  • ダレル・アン (2007年、第50回)
  • 山田和樹 (2009年、第51回)
  • 垣内悠希 (2011年、第52回)

  • 日本人をピックアップしますと, 
    小澤征爾 (1959年、第9回)
    松尾葉子 (1982年、第32回)
    佐渡裕 (1989年、第39回)
    曽我大介 (1993年、第43回)
    阪哲朗 (1995年、第44回)
    下野竜也 (2001年、第47回)
    山田和樹 (2009年、第51回)
    垣内悠希 (2011年、第52回)

    と,どうも欧米指揮者にとっては,最早,魅力的な登竜門でも何でもなくなってしまっているようです.
    なかで現在も欧米で活躍中なのは,
    ズデニェク・マーカル (1965年、第15回),
    シルヴァン・カンブルラン (1974年、第24回)
    位のモノではないでしょうか.


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    Yannick Nézet-Séguin(Music Director designate of Philadelphia)の個性的演奏 [音楽時評]

    一度破産したPhiladelphia菅が再生を期して秋シーズンから長年空席だったMusic Directorに迎える予定のYannick Nézet-Séguin(born  6 March 1975 in Montréal, Québec, Canada) が,New York でのMostly Mozart に登場し,Chamber Orchestra of Europeを指揮して,そのかなり個性的な演奏が評価されていましたので,ほとんど原文のままご紹介します.

    Its new approach was evident in its two Mostly Mozart Festival concerts at Alice Tully Hall: a Beethoven program on Thursday evening, already reviewed, and works by Mozart, Bach and Mendelssohn on Sunday afternoon.

    Both were led by Yannick Nézet-Séguin, an inspiring, kinetic conductor on the eve of his first season as music director of the Philadelphia Orchestra, and no doubt some of the performance’s animating vigor could be attributed to him.

    He came to the task with compelling ideas. In Mozart’s “Don Giovanni” Overture, for example, it is natural to emphasize the dissonances that foreshadow both the don’s darker appetites and his eventual comeuppance, but few conductors lean on them more heavily — or more consistently, as they reappear through the piece — than Mr. Nézet-Séguin.

    That decision to pound home the work’s portentousness, exciting as it was, exacted a cost in subtler passages, like the rising and falling chromatic figures that follow soon after the introduction. Those should have sounded unsettling but were lost in the shock of what preceded them. And balances went awry in the fast section, though there, too, Mr. Nézet-Séguin’s focus on fleeting dissonances kept the attention mostly on the score’s narrative qualities rather than on the niceties of its execution.

    Mr. Nézet-Séguin took a similarly hard-driven, high-contrast approach to Mendelssohn’s Symphony No. 3 (“Scottish”). The most immediately striking quality of his reading was its dynamic play, which occasionally bordered on fussy manipulation but more typically pointed up the exquisite shape and emotional heft of Mendelssohn’s tuneful score. And he drew a delightfully meaty sound from the orchestra in the woodwind- and brass-heavy passages that give this piece so much of its character.

    この辺でもう十分と思いますが,この個性的な指揮者が,Principal Conduntor として,空席のMusic Director の穴埋めをしてきた,日本人にお馴染みのシャルル・デユトワのいわばオーソドックスな指揮に取って代わるのが,たいへん新鮮な響きを漲らせて,定期会員数の増大につながれば,Philadelphia菅の再建に大いに貢献するのではないかと期待されます.

    あとは,どうぞご自由に,ご渉猟下さい.

     

    Music Review

    Highlighting Contrasts and Not Holding Back

    Karsten Moran for The New York Times

    Mostly Mozart Festival Yannick Nézet-Séguin leading the Chamber Orchestra of Europe at Alice Tully Hall.

     

    When the Chamber Orchestra of Europe took its first steps into the spotlight, it left a mixed impression. This was an ensemble of young musicians, mostly alumni of the European Union Youth Orchestra, who wanted to continue working together as a professional group, and you wanted to root for them. They gave you plenty to work with: on their early recordings and tours the playing was energetic and trim, but it could also be cautious and prim, as if only the most finely polished performances were acceptable.

    Now, with more than three decades behind it, the orchestra plays with all the power, punch and sheer personality that was lacking in the early years. Its new approach was evident in its two Mostly Mozart Festival concerts at Alice Tully Hall: a Beethoven program on Thursday evening, already reviewed, and works by Mozart, Bach and Mendelssohn on Sunday afternoon.

    Both were led by Yannick Nézet-Séguin, an inspiring, kinetic conductor on the eve of his first season as music director of the Philadelphia Orchestra, and no doubt some of the performance’s animating vigor could be attributed to him.

    He came to the task with compelling ideas. In Mozart’s “Don Giovanni” Overture, for example, it is natural to emphasize the dissonances that foreshadow both the don’s darker appetites and his eventual comeuppance, but few conductors lean on them more heavily — or more consistently, as they reappear through the piece — than Mr. Nézet-Séguin.

    That decision to pound home the work’s portentousness, exciting as it was, exacted a cost in subtler passages, like the rising and falling chromatic figures that follow soon after the introduction. Those should have sounded unsettling but were lost in the shock of what preceded them. And balances went awry in the fast section, though there, too, Mr. Nézet-Séguin’s focus on fleeting dissonances kept the attention mostly on the score’s narrative qualities rather than on the niceties of its execution.

    Mr. Nézet-Séguin took a similarly hard-driven, high-contrast approach to Mendelssohn’s Symphony No. 3 (“Scottish”). The most immediately striking quality of his reading was its dynamic play, which occasionally bordered on fussy manipulation but more typically pointed up the exquisite shape and emotional heft of Mendelssohn’s tuneful score. And he drew a delightfully meaty sound from the orchestra in the woodwind- and brass-heavy passages that give this piece so much of its character.

    Between the Mozart and the Mendelssohn, the violinist Lisa Batiashvili and the oboist François Leleux gave a zesty, stylishly ornamented account of Bach’s Concerto in C minor (BWV 1060), reconstructed from the surviving two-harpsichord version. As an encore they played a sizzling duet version of “Der Hölle Rache,” the Queen of the Night’s flighty aria from “The Magic Flute.”


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    サントリーホール:都響プロムナード,チガーン指揮,スムvn [音楽時評]

    8月4日,サントリーホールに,東京都交響楽団プロムナード・コンサート,ユージン・チガーン指揮,アレクサンドラ・スムViolin を聴きに行って来ました.

    出演者は,.
    指揮:ユージン・チガーン;北西ドイツ・フィル首席指揮者,アメリカ人と日本人を両親に持つ.
    Violin: アレクサンドラ・スム;モスクワ生まれ,広く欧米のオーケストラと協演,昨年に続い 
                       ての来日です.
    コンサートマスターは矢部達哉でした.

    プログラムは,
    ブルッフ:     ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26
            ※※※※※※※※
    R.シュトラウス: 交響詩「ドン・フアン」 作品20
                      :  交響詩「死と変容」 作品24
    でした.

    ブルッフは,なかなかの名演でした.
    Vorspiel: Allegro moderato/Adagio/Finale: Allegro energico の3楽章構成ですが,第1楽章は「前奏曲」と題されており、第2楽章と直接アタッカでつながれていて、実際に第2楽章の前奏の役割を果たしています.緩やかな第2楽章は、抒情性あふれる魅惑的な旋律で有名で,最初にフルートによって歌われた後、魅力的なヴァイオリン独奏によって受け継がれます.第3楽章のフィナーレは、弱音によるオーケストラの数小節によって始まり、ヴァイオリン独奏のダブルストップ奏法による熱狂的な主題が主部を占めます.第2主題は、ロマン主義に溢れています
    ブルッフはどこにもカデンツア挿入の余地を残してはいません.
    スムのガダニーニはまことに叙情性溢れた旋律にぴったりで,久しぶりに聴くこの曲の好演でした.

    シュトラウスの交響詩「ドンフアン」は,いうまでもなくドンフアン伝説にしたがったモノですが,全体の中間部近くで現れるオーボエの甘美な旋律と,それに続く4本のホルンの旋律が対照的で,終曲部では,ホルンの否定的な旋律が優位を占めて終わります.

    「死と変容」は,誰かの文学作品に触発されたものではなく,実際に重病人であったシュトラウスが.自己小説的に作曲した作品で,作曲順に(1)死の床にある病人と子供の頃の幸福な回想,(2)死との闘争,(3)死んでいく者の夢,死,(4)変容,の4部構成ですが,旧知の詩人;アレクサンダー・リッターに作品の内容を伝えてそれを詩にすることを依頼し,完成された詩は詩人の名を伏せて総譜の冒頭に掲げられることとなったそうです.
    時計の死を刻むリズム,ティンパニーに導かれて展開される闘争的な主部,ヴァイオリンに導かれて始まり,フルートの少年時代の回想,トロンボーンの死の動機,ハープを加えた変容の動機が続き,沈鬱さから解放されて闘いが浄化変容され,最後は明るく透明なハ長調の主和音で穏やかに閉じられます.

    2曲とも,東京都響の実力を遺憾なく引き出したまことに見事な好演でした.
    1981年生まれといいますから,まだ31歳くらいですが,なかなかの実力者なのに感心しました,またの来演を楽しみにしたいモノです

     

     

     

     

     


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    トッパンホール:アレクサンドラ・スムviolin リサイタル [音楽時評]

    7月31日,トッパンホールにアレクサンドラ・スムのヴァイオリン・リサイタルを聴きに行って来ました.先日の武蔵野文化会館小ホールでのダルバの聴きづらかったリサイタルの不快感を吹き飛ばしてくれる好演でした,

    昨年,1度,東京都港区のホールで聴いたことがあり,今回もぜひ聴きたいと思ったのです.なお,今回の来日では,東京都交響楽団のプロムナード・コンサート(8月4日)に出演して,ブルッフのヴァイオリン協奏曲を協演する予定です.

    スムの使用楽器は,以前,レオニダス・カヴァコスが使っていた1785年製のガダニーニだそうです.
    なお,ピアノ伴奏はフランソワ・ランブレでした.

    プログラムは,
    シューマン:   ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 op.105
    グリーグ:     ヴァイオリン.ソナタ第3番 ハ短調 op.45
              ※※※※※※※※
    プロコフィエフ:  5つのメロディ op.35 bis
    ルトワフスキー: スビト
    ラベル:      ツィーガーヌ
    でした.

    最初のシューマン第1番は,先日のダルバの演奏した第2番の方が傑作といわれて総体的には地味な感じですが,スムのビロードのような美麗な音が,この曲をグンと引き立たせました.
    この曲の初演は1852年3月21日に、ゲヴァントハウスのマチネ公演でダヴィットとクララによって行われたといわれます.

    Mit leidenschaftlichem Ausdruck/Allegretto/Lebhaft の3楽章構成ですが,2つの楽器のバランスが図られ,簡潔な中にも、力強さや情熱的なものを感じさせる曲で,第3楽章のコーダで第1楽章の第1主題が回想されて,全曲の統一が図られています.
    譜面台をたてての演奏でしたが,曲の構成を理解した見事な演奏でした.

    グリーグの第3番は,グリーグのヴァイオリン・ソナタ中最も有名で演奏機会の多い曲です.初演は,依頼者のイタリヤ人ヴァイオリニストではなく,1887年12月10日ライプツィヒで,ロシア人ヴィルトゥオーソアドルフ・ブロツキーとグリーグによって行われています.グリーグはこの曲を愛していたといわれます,
    曲は,Allegro molto ed appassionato/Allegretto espressivo alla romanza/Allegro animato の3楽章構成で,
    The first movement is characterized by its bold and heroic opening theme.The agitated opening theme is contrasted with a more lyrical secondary theme. The second movement opens with a serene piano solo in E major with a lyrical melodic line. In the middle section, Grieg uses a playful dance tune. The finale is written in sonata form with coda but lacks a development section.
    と解説されています.
    とにかく,ブラームス,フランクと同時期に作曲された19世紀後半の3大ソナタと言われていますが,
    スムはたいへん曲の構成を把握した,表現力豊かな好演を聴かせてくれました.

    後半のプロコフィエフの5つのメロディ,ルトワフスキーのスビト,ラヴェルのツィガーヌは解説をしませんが,とりわけツィガーヌは冒頭の長いヴァイオリン・ソロが見事な有名曲ですが,それぞれを表情豊かに聴かせてくれました.

    ドイツ,ノルウエー,ロシア,ポーランド,フランスの曲の綺麗なヴァイオリン独奏をたっぷり楽しんだ一夜でした.
    8月4日のブルッフが今から楽しみです.

     


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    フエスタ・ミューザ川崎2012読売交響楽団 [音楽時評]

    7月29日,新百合ヶ丘駅近くのテアトロ・ジーリオ・ショウワ(昭和音楽大学ホール)に,フエスタ・ミューザ川崎2012の読売交響楽団の演奏会を聴きに行って来ました.
    ネット上の案内では新百合ヶ丘駅徒歩1分とありましたが,不動産屋さんよりひどい表現でした.

    しかし,馬蹄形で3階まである1367席のホールには,ちゃんとエレベーターが設置されていました.かなり音響効果も良かったと思います.

    ただ,出演予定だったヴァイオリンの松田里奈さんが体調不良で,1990年にロン・ティボー・コンクールで優勝歴を持つ小林美恵さんに交替したことを会場に到着して初めて知りました.

    出演:指揮者:梅田俊明
        ヴァイオリン:小林美恵
        コンマス:鈴木理恵子(女性だったので推定)

    プログラムは,
    シャブリエ: 狂詩曲「スペイン」
    サラサーテ:カルメン幻想曲
                    「スペイン舞曲集」よりアンダルシアのロマンス
            ツィゴイネルワイゼン
    ビゼー:   歌劇「カルメン」組曲より; 第1幕への前奏曲,アラゴネーズ.衛兵の交替.
               ハバネラ,セギティーリャ,闘牛士の歌,間奏曲,アルカラの竜騎兵,
               ジプシーの踊り
    でした.

    休憩なしの1時間10分の演奏会で,アンコールもなしでした.

    まあ,夏の名曲コンサート,スペイン中心,を気軽に聴いて楽しんだということで,演奏内容をとやかくいうことはやめにしますが,小林美恵さんは最近ツィゴイネルワイゼンをレコーディングされたそうで,この演奏がたいへん情熱的で盛り上がりがあって良かったと思います.

    東京および近郊のオーケストラが参加し,川崎をフランチャイズとする東京交響楽団が7/28のオープニングと8月12日のフイナーレを担当して,その間入れ替わり立ち代りで続いていますから,川崎近辺の方は,ご自由な選択で聴けますから,お薦めしておきたいと思います.
    お問い合わせは,ミューザ川崎で良いようです.

     

                  

     


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    武蔵野文化小ホール:コリー・ダルバ・vnリサイタル [音楽時評]

    7月24日,武蔵野文化会館小ホールに,レイチェル・コリー・ダルバ(born May 21, 1981 in Lausanne, Switzerland)のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行って来ました.

    演奏は余り感心したモノではありませんでした.¥1,000で文句をいうなといわれるかも知れませんが,このリサイタルは元来はイザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の予定だったのです.私はそれならと右端の席を購入していました.
    ところが7月20日になって,友人のピアニスト,クリスティアン・シャモレルを連れて来たいので,イザイの無伴奏2曲を含む通常のヴァイオリン・リサイタルに変えるということになったのです.
    右端の席を買っていた者には迷惑千万な話でしたが,武蔵野文化会館は,非常識にも「キャンセルー払い戻し」ではなく,それを受け入れたのです.
    ダルバの来日は元々NHK交響楽団の招き7月20~22日でしたから,既に来日していたダルバを武蔵野がキャンセルしても何の支障もなかったでしょうが..

    プログラムは,
    シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 Op.121
    イザイ:    無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.27-3「バラード」
          ※※※※※※※※
    イザイ:   無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ト長調 Op.27-5
    フランク:  ヴァイオリン・ソナタ
    でした.

    イザイの無伴奏ソナタ全6曲の演奏時間は標準的には66~70分ですから.この新しいプログラムの方が,10分ほど演奏時間が長くなっていますし,シューマンの傑作とされるソナタ2番と,これも大傑作とされるフランクのソナタですから,もし名演奏が展開されていれば,文句はなかったと思います.

    彼女の使用楽器は1732年製のストラディヴァリュースだそうです.

    シューマンとフランクはヴァイオリンも譜面台を置いて弾いていたのがまず気になりました.
    しかも,シューマンからピアノとヴァイオリンがバラバラの感じがして仕方ありませんでした.ピアノを全開にして,互いに勝手に弾いている感じが拭えませんでした.
    Ziemlich langsam. Lebhaft(かなりゆっくりと、短くかつエネルギッシュに-生き生きと)/Sehr lebhaft(きわめて生き生きと/Leise, einfach(静かに、素朴に/Bewegt(活発に、動きをもって) の4楽章構成ですが,どれだけ2人でリハーサルをやったのか疑問に思うほど,曲の流れとバランスが悪かったのです.

    イザイの2曲は,レコーディングしているだけに,名演とはいいませんが,生き生きとよく纏まっていました.とくに第5番の2楽章構成の対比は,見事でした.

    しかし,有名なフランクが,また,ピアノとの連携が取れておらず,どうにも頂けませんでした.
    Allegretto ben moderato/Allegro/Recitativo-Fantasia (ben moderato)/Allegretto poco mosso の4楽章構成で,各楽章が鮮やかなメロディに溢れているのですが,そのメロディの豊かさが伝わらなかったのです.第1楽章と第2楽章の間に,無用の長い休憩を入れたのも納得しがたい出来事でした.
    ちなみに,この曲は,元来,「ヴァイオリンピアノのためのソナタ」として作曲されていますから,プログラムでも,そう記述すべきだったはずです.

    ダルバ自身が,イザイの前に,分かりやすい英語で,最初は曲目の変更をポジティブに説明して,シューマンもフランクも素晴らしい名曲で,イザイを合わせた演奏時間は長くなっていると語り,2度目には,イザイとフランクの短い解説をしていました.

    しかし,それは東京の聴衆のレベルを知らないような,教えてあげる調で,あまり感じのいいものではありませんでした.

    そもそも,武蔵野文化会館が,20日付けで曲目変更を通知してきましたが,無伴奏リサイタルが,伴奏者付きリサイタルに変わるなどという前代未聞の変更を,断固,拒否すべきだったと思えてなりません.
    ただ,NHK交響楽団の夏の演奏会を聴きに行った知人からの話で,N響でも切れ味の鋭さがなくって不調だったそうですが,最近指を痛めて,未だ完治していないのだという情報が流れていたそうです.それなら本来なら自らキャンセルすべきだったのでしょうが...

    この伴奏者とのコンビは長いらしく,彼女のHomepage で見ると,フランクは今年既に協演していますし,シューマンは8月1日に,フランスで共演が予定されています.恐らくは,指を庇って,最近,これらの有名曲を練習していなかったのでしょう...

    早い完治と,日本での出直しの¥1,000無伴奏リサイタルを期待したいモノです.

     

     


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    紀尾井ホール:小菅優ベートーヴェン・ピアノソナタ・サイクル [音楽時評]

    つい先日,オーチャード・ホールでシューマンのピアノ協奏曲をNHK交響楽団と好演したばかりの小菅優が,かねてから展開中のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲のチクルス第4回が紀尾井ホールで開催されたのを聴きに行って来ました.

    プログラムは,オール・ベートーヴェンで,
    ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 Op.78《テレーゼ》
              第25番 ト長調 Op.79
                     第15番 ニ長調 Op.28《田園》
          ※※※※※※※※
    ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 Op.10-2
                    第21番 ハ長調 Op.53《ワルトシュタイン》
    でした.

    テレーゼは,第23番《熱情》に続くソナタですが,4年ぶりに1809年に書かれたソナタです.その間に交響曲第4・5・6番,ピアノ協奏曲第4・5番が作曲されています.
    ただ,ナポレオンにヨーロッパが席巻された時期ですが,この曲は伯爵令嬢テレーゼ・フォン・ブルンスヴィクに献呈されたことから《テレーゼ》と呼ばれています.ベートーヴェンはかつてその妹のヨゼフィーネに熱愛したことは周知のことです.
    Adagio cantabile - Allegro ma non troppo/Allegro vivace の2楽章構成ですが,第1楽章に長い反復があります.叙情性豊かな曲ですが,小菅優が感性豊かにフレージングを浮き上がらせて好演してくれました.
    this and the "Appassionata" sonata, op.57, were Beethoven's favorite of his piano sonatas prior to the "Hammerklavier."という証言があります.

    次の第25番はPresto alla tedesca/Andante/Vivace の3楽章構成ですが,3楽章以上の彼のソナタのなかでは最も短い曲です.第3楽章のセクションが,the chord progression found at the beginning of the A section to start his Op. 109 sonata とピアノ・ソナタ最後の3曲の初めの曲に連なっていることが知られています.
    最後のコーダの冒頭部分で彼女の左手が3つの音程を外したのが意外でしたが,彼女は続けて第15番に入りました.

    15番《田園》は,1801年耳の病が進行した時期の作品ですが,曲はむしろ明るい牧歌的な雰囲気です.Allegro/Andante/Scherzo: Allegro vivace/Rondo: Allegro ma non troppo の4楽章構成で,牧歌的ななかに嵐が起きる部分もあります.
    《田園》は出版社によるモノです.第1,第4楽章はそれに近い印象を与えますが,2,3楽章はおよそ違った色合いです.30分少しの長さですが,小菅がたいへん構成力豊かに各フレーズを浮き彫りにしてくれましたから,ある種の期待感を持って聴くことが出来ました.

    後半最初の第6番は.3曲作曲された2曲目で,Allegro in F major/Allegretto in F minor/  Presto in F major の3楽章構成で,緩徐楽章を欠いています.14分ほどの曲ですが,終楽章の快活さが印象に残ります.

    最後の《ワルトシュタイン》はCount Ferdinand Ernst Gabriel von Waldstein of Viennaに献呈されたことから付いた名称です.彼の中期を代表する作品で説明を要しないと思いますが,これほどの有名曲になると,これまで個性的な演奏振りだった小菅優が,急に,曲の構成に取り付かれて没個性的に聞こえました.左手のトリル,右手のメロディに追われるような演奏でした.

    Allegro con brio/Introduzione: Adagio molto - attacca/Rondo. Allegretto moderato - Prestissimo の3楽章構成です.
    彼女はアルツール・シュナーベルの録音を何度も聴いているそうですが,ここでは曲の構成に押されて,第1から第3楽章までの展開を追うのに専念した感じでした.

    第8回まで予定されるサイクルの4回目の中間点で,なんとかベートーヴェンの偉大さに迫った所ですから,これから4回の果敢な挑戦がいっそう楽しみといったところです.

    なお,紀尾井ホールのマナーの悪さを前にも指摘しましたが,この夜もまことに惨めでした.
    ワルトシュタインはよく知られた曲ですから,どこで終わるのかを皆が知っているはずですが,ピアノ・ソナタの演奏の終わりは,鍵盤とペダルを完全に離した時と考えるべきです.それをピアノの鍵盤やペダルがよく見える位置から,彼女がペダルを離さないうちに拍手が起こったのです.

    次回からは,他のホールでは良識に任せているリサイタルのマナーを,紀尾井ホールでは繰り返しアナウンスされるよう望んでやみません.念を入れて,ピアニストが立ち上がってからとでも,オーバーにアナウンスしたら良いと思います.


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    サントリーホール:都響B定期小泉和裕指揮 [音楽時評]

    7月19日,サントリーホールに東京都響B定期を聴きに行って来ました.指揮は,元来は,大植英次が予定されていたのですが,リハーサル2日目で,頸椎症で1週間の休養が必要という診断で,降板し,レジデント・コンダクターの小泉和祐がピンチヒッターで登場し,前半予定のリヒヤルト・シュトラウスの「バラの騎士」組曲(23分)に代えて,ベートーヴェンの「エグモント序曲」(9分)とワグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」より《前奏曲と愛の死》(19分)を聴かせてくれました.後半のチャイコフスキーの「悲愴」はそのままでした.

    大阪フィルの大植英次については,いくつか前のブログでその虚像について書いたばかりでしたから,私にとっては歓迎すべき交替でした.

    そんな訳で,指揮者は小泉和祐,
    コンマスは矢部達哉でした.

    プログラムは,ダブりますが,きちんと書きますと,
    ベートーヴェン: 「エグモント」序曲 作品84
    ワーグナー:   楽劇「トリスタンとイゾルデ」より〈前奏曲と愛の死〉
          ※※※※※※※
    チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
    でした.

    小泉指揮,都響は「エグモント」序曲冒頭のユニゾンから好調でした.エグモントは16世紀のネーデルランドで,当時のスペインの圧政に抗して立ち上がったフランドルの領主エグモントの物語を,ゲーテが戯曲として書き著したモノを,ベートーヴェンが全10曲の劇音楽として完成させたなかで,最も有名で単独で演奏される機会の多い曲です.そのコーダはエグモントが刑場に赴いて幕が閉じられたあとに演奏される「勝利のシンフォニア」の音楽と同一で,輝かしく曲が閉じられます.

    ワーグナーの〈前奏曲と愛の死〉は余りに有名ですが,本来はイゾルデを案内して帰るべきトリスタンが,イゾルデと恋に落ち,愛と死を求めて彷徨う姿を描く前奏曲と,トリスタンの遺骸に寄り添ってイゾルデ(ソプラノ)が歌うパートは,オーケストラのクラリネットが歌うのが慣例になっています.
    この2つの曲の演奏も見事でした.

    後半のチャイコフスキーの「悲愴」は,
    Adagio - Allegro non troppo/Allegro con grazia/Allegro molto vivace/ Adagio lamentoso - Andante
    の4楽章構成です.作曲者自身が初演して,その後6日で亡くなったため,オリジナルな自筆譜に加えられた修正を巡って,長く論争があり,終楽章はAndante lamentoso が正しいとした改訂版が,1990年に相次いでロシア人指揮者によって初演,演奏されています.
    今夜は,Adagio lamentoso演奏されましたが,小泉さんは,ほとんど最後の静かなチェロとコントラバスによるコーダの直前まで,3楽章を引きずって,力強く指揮していたのが印象的でした.

    チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)なので,「悲愴」は誤訳だとする議論もありますが,チャイコフスキーは,手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する "Pathétique" (パテティーク)という副題を用いていたので,「悲愴」で正しいということになっています.
    その意味では,第4楽章のどの辺から演奏を静めるかも,指揮者によって差があるといえます.

    ご関心の方は,聞き比べてみるのも一興かと思います.


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    Andris Nelsons: Boston Symphony's Music Directorに有力 [音楽時評]

    この記事は,New York Times が記者を送って,Tanglewoodから送らせた記事です.

    The second weekend of the Boston Symphony Orchestra’s residency here at the Tanglewood Festival spoke to past as well as present. And quite possibly to the future. と書き出しています.

    past は,土曜日に the 75th anniversary of the establishment of Tanglewood as the orchestra’s summer home. を祝ったことです.
    A catchall of classical and pops pieces, it included a film on the history of the festival, which was founded in 1937 by the conductor Serge Koussevitzky, and the presentation of the first Tanglewood Medal, which the orchestra described as a “new tradition.”
    The medal went to Seiji Ozawa, the orchestra’s music director from 1973 to 2002,

    このメダルのことはNHKも良い口実にしてスタッフを送って,TV 放映していましたから繰り返しません.

    問題は,この記念日に前からBSOの次期Music Director の有力候補として追っかけているAndris Nelsons が指揮者として招かれたことです.

    彼は,Riga の生まれですが,5歳の時に両親に連れて行って貰った歌劇タンホイザーに深く感動し,それがキッカケで両親(いずれも音楽家)の影響もあって音楽の道に進んだそうです.
    最初ピアノを始め,次にトランペットもマスターし,オーケストラ・メンバーになっています.

    同郷のマリス・ヤンソンスに認められて,指揮を教わり始め,In 2003, Nelsons became principal conductor of the Latvian National Opera. He concluded his tenure there after five years in 2007. His other work in opera has included his first conducting appearance at the Metropolitan Opera in October 2009, in a production of Turandot. In July 2010, Nelsons made his debut at the Bayreuth Festival, conducting a new production of Wagner's Lohengrin at the opening performance of the festival.

    In 2006, Nelsons became chief conductor of the Nordwestdeutsche Philharmonie of Herford, Germany, a post he held until the end of the 2008/2009 season.
    In October 2007, the City of Birmingham Symphony Orchestra (CBSO) named Nelsons as its 12th principal conductor and music director, effective with the 2008–2009 season. His initial contract was for 3 years,In July 2009, Nelsons extended his CBSO contract for an additional 3 years, through the 2013–2014 season.
    という経歴です.因みに,CBSOはサイモン・ラトルがベルリンに移る前のポストです,

    He first conducted the BSO in March 2011, filling in for Mr. Levine on short notice in Mahler’s Ninth Symphony at Carnegie Hall, with little more than a day’s rehearsals.

    Mr. Nelsons canceled subscription performances in Boston last season because of the birth of his child but has been re-engaged for next season. Meanwhile, he conducted the Boston Symphony here not only in the anniversary concert but also in a program of his own on Sunday afternoon. And for the most part he shone in disparate works.  

    この評者は,それほどNelsons を高く評価していないようで,次のように書いています.

    His reading of Stravinsky’s “Symphony of Psalms,” with typically superb work from John Oliver’s Tanglewood Festival Chorus, was taut and expressive in its first two movements. But Mr. Nelsons eased into the hypnotic strains of the final hymn of praise with utmost delicacy and refinement.

    That was paired on Sunday with Brahms’s Second Symphony, given a shapely reading with due regard for the “non troppo” (“not too much”) markings in the opening Allegro and the following Adagio. The forward surge in the finale (Allegro con spirito) was arguably too much, and you could have wished for breaths between phrases in the all-out rush to conclusion, but to a listener whose favorite recording of the work is one in which Herbert von Karajan’s impetuousness in the finale outstripped even the formidable capabilities of the Berlin Philharmonic, Mr. Nelsons’s interpretation seemed only exhilarating. And more power to the Boston Symphony for having kept up in fine style.

    Nelsons は2012~2013年シーズンに,定期演奏会に出演予定ですが,上手くすれば,BSO はその直後に彼にMusic Director のoffer を出すモノと思われます.
    しかし,born 18 November 1978 の若さで,CBSOの監督として,ヨーロッパで既にベルリン,ウイーン,ウイーン・オペラ,コンツェルトヘボウの常連になっているNelsons が,その offer を受けるかどうかが問題です.
    欧州では,広く,小澤征爾が,長居して,BSOをアメリカの2流オーケストラに落としてしまったと考えられているからです.

     

     

    Music Review

    Tanglewood Tries Out a New Face

    Andris Nelsons Conducts Boston Symphony at Tanglewood

     

     

    LENOX, Mass. — The second weekend of the Boston Symphony Orchestra’s residency here at the Tanglewood Festival spoke to past as well as present. And quite possibly to the future.

    A concert on Saturday evening celebrated the 75th anniversary of the establishment of Tanglewood as the orchestra’s summer home. A catchall of classical and pops pieces, it included a film on the history of the festival, which was founded in 1937 by the conductor Serge Koussevitzky, and the presentation of the first Tanglewood Medal, which the orchestra described as a “new tradition.”

    The medal went to Seiji Ozawa, the orchestra’s music director from 1973 to 2002, for “his myriad contributions to the B.S.O.’s performance, touring and recording activities.” Mr. Ozawa, who is recuperating from surgery for esophageal cancer in 2010 and continuing back problems, could not attend but sent a statement of gratitude, read by the cellist Yo-Yo Ma.

    As for the present, the concert prominently featured James Taylor, who has essentially become the house songster. He is a consistent audience draw at the festival, and his presence undoubtedly contributed heavily to the attendance of almost 17,000 on a lovely Saturday evening, even though he had given concerts of his own on July 2, 3 and 4.

    Here he performed three standards with the Boston Pops Orchestra (made up of Boston Symphony players), conducted by John Williams. Mr. Taylor sounded less than comfortable in soupy arrangements of “Somewhere Over the Rainbow” and “Shall We Dance?,” but, guitar in hands, he made “Ol’ Man River” something of his own.

    Yet the main interest of the weekend had to do with a potential future, in performances conducted by Andris Nelsons, a 33-year-old Latvian who is widely thought to be a prime candidate for the music directorship of the Boston Symphony, left vacant by James Levine’s resignation in 2011. This, though Mr. Nelsons has yet to conduct a subscription week with the orchestra.

    He first conducted the orchestra in March 2011, filling in for Mr. Levine on short notice in Mahler’s Ninth Symphony at Carnegie Hall, with little more than a day’s rehearsals. Though sympathetic to the circumstances, I was not particularly impressed with his muscular performance of a work better served by expansiveness and resignation. But seemingly a minority of one in this assessment, I remained curious to hear him again.

    Mr. Nelsons canceled subscription performances in Boston last season because of the birth of his child but has been re-engaged for next season. Meanwhile, he conducted the Boston Symphony here not only in the anniversary concert but also in a program of his own on Sunday afternoon. And for the most part he shone in disparate works.

    His reading of Stravinsky’s “Symphony of Psalms,” with typically superb work from John Oliver’s Tanglewood Festival Chorus, was taut and expressive in its first two movements. But Mr. Nelsons eased into the hypnotic strains of the final hymn of praise with utmost delicacy and refinement.

    That was paired on Sunday with Brahms’s Second Symphony, given a shapely reading with due regard for the “non troppo” (“not too much”) markings in the opening Allegro and the following Adagio. The forward surge in the finale (Allegro con spirito) was arguably too much, and you could have wished for breaths between phrases in the all-out rush to conclusion, but to a listener whose favorite recording of the work is one in which Herbert von Karajan’s impetuousness in the finale outstripped even the formidable capabilities of the Berlin Philharmonic, Mr. Nelsons’s interpretation seemed only exhilarating. And more power to the Boston Symphony for having kept up in fine style.

    It was illuminating to see Mr. Nelsons not only in performance but also in rehearsal, on Saturday morning. He is a somewhat hulking presence on the podium, insistently active. Though not particularly balletic, his gestures speak music eloquently and draw ready and wholehearted response from the players.

    Mr. Nelsons put his hands-on, detailed approach to good use in the anniversary concert with a kaleidoscopic account of “La Valse,” Ravel’s sardonic deconstruction of the Viennese waltz, with the Boston Symphony. He also conducted the students of the Tanglewood Music Center Orchestra in Sarasate’s “Carmen Fantasy,” in which the heroine is a violin. Anne-Sophie Mutter, as soloist, gave proof, if such were needed, that she has little Gypsy in her soul, but she has plenty of electricity in her fingertips and bow, which served to good effect.

    In other rewarding solo stints with the Tanglewood fellows, Emanuel Ax, always deft of touch, made the piano sound uncannily like a fortepiano in two movements from Haydn’s Piano Concerto in D (Hob. XVIII:11), and Mr. Ma drew the young string players and the audience into his orbit in an unconducted, understated performance of Tchaikovsky’s Andante Cantabile for cello and strings.

    The pianist Peter Serkin, with the Boston Symphony and Tanglewood Festival Chorus conducted by David Zinman, seemed intent on single-handedly redeeming Beethoven’s Choral Fantasy, a way station toward the Ninth Symphony, from the potboiler status to which some would consign it. Mr. Serkin’s father, Rudolf Serkin, a deeply serious performer, made something of a specialty of this work but performed it relatively straight. Here Peter Serkin offered a deliberate, deeply probing reading of the opening and carried it through the subsequent incursions of orchestra, vocal soloists and chorus. This made for an apt culmination (and finally some work for the chorus, which had sat through some two and a half hours as mere stage dressing for the PBS broadcast of the concert next month).

    Presumably to compensate for the logistical nightmare that was the Saturday gala, the Boston Symphony opened its weekend on Friday in low-key fashion, with a concert of Mozart violin concertos (Nos. 2, 3 and 5), with two dozen or so players led (more or less) by the soloist, Ms. Mutter. No one needs to be told that Ms. Mutter can play these works beautifully, as she has been doing for most of her life. But that she could do so in the drooping humidity on Friday (at one point, changing the tension in her bow in midcadenza) was truly remarkable.

     


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    JTアートホール室内楽シリーズ;向山佳絵子と仲間達 [音楽時評]

    7月11日,JTアートホールに,室内楽シリーズ:向山佳絵子と仲間たち,を聴きに行って来ました.皆,一線で活躍中の仲間を集めた,それも女性ばかりのアンサンブルで,演奏もたいへん真摯に向き合っていて,このホールで久しぶりに心地よい演奏会でした.

    出演者は,
    Violin: 玉井菜採  東京芸大准教授
               井上静香   紀尾井シンフォニエッタ・メンバー
               戸上眞里  東フィル第2ヴィオリン首席
               重岡菜穂子 ソリストとして活躍中
               渡邉ゆづき 都響第1ヴァイオリン副主席
    Viola:   篠﨑友美  新日フィル首席
               直江智沙子 桐朋学園2007年卒,ベルリン留学,ヴァイオリニストでもある.
               森口恭子   フリーランス
    Cello:   向山佳絵子 本公演のプランナー
                高橋純子  都響団員
                渡邊方子  NHK響団員
    Contrabasss:小笠原茅乃  東フィル副主席
    Flute:    佐久間由美子  ソリストとして活躍 
    Chennbaro:曽根麻矢子  ソリスト
    と,多士済々でした.

    プログラムは,

    J.S.バッハブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV.1048
    A.ルーセルフルート三重奏曲 Op.40
    J.イベール2つの間奏曲
    G.ロッシーニ弦楽のためのソナタ 第5番 変ホ長調
    J.S.バッハブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV.1050

    と名曲揃いでした.

    バッハ;ブランデンブルグ協奏曲は第3は,全員参加,
    ルーセル;フルート三重奏曲は,佐久間由美子,玉井菜採,向山佳絵子,
    イベール;間奏曲は.佐久間由美子,玉井菜採,曽根麻矢子,
    ロッシーニ;弦楽のためのソナタ 第5番は,渡邉ゆづき,井上静香,向山佳絵子,小笠原茅乃 
    バッハ;ブランデンブルグ協奏曲第5番は,玉井菜採,佐久間由美子,曽根麻矢子をソリストとして全員賛歌
    でした.(プログラムの紹介順で判断しましたが,平面の客席からは顔がよく確認できませんでしたので,間違いにお気づきの方はお教え下さい)

    全員が前半と後半で衣替えをされたので,いっそう華やかでした.

    とにかく現在活躍中のメンバーをピックアップして華麗に演奏されたコンサートでしたから,たいへん心地よく皆さんの演奏を楽しむことが出来ました.
    とくに圧巻はブランデンブルグ協奏曲で,第3番では各出演者が順にソロを担っていましたし,第5番では,玉井菜採,佐久間由美子,曽根麻矢子の3人のソリストがたいへん好演を聴かせてくれました.とりわけ,曽根麻矢子のカデンツアはまことに見事でした.

    またの企画を楽しみにしたいと思います.


     

     


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    17-year-old concert pianist an ‘old soul’ [音楽時評]

    いくつか前のブログで,スーパー高校生達が,テクニックはともかくとして,音楽の分析解釈や作曲者の内面の掘り下げの点で物足りなかったと書きましたが,アメリカにすごい天才少年が現れて,ちゃんとそれらを成し遂げているという記事に接しました.

    日本語訳になじまないので原文中心にしますが,当の少年は,17-year-old concert pianist,Jan Lisiecki で,幼少期からビデオゲームなどに夢中になることなく,毎日,7時間のピアノ練習を進んでやったのだそうです.

    Turns out Lisiecki did it all on his own. No time for video games. Serious by the age of nine, he was amazing when he was 13, and has since tackled the toughest cadenzas from the heaviest composers with the most respected orchestras in some of the world’s most famous concert halls.

    “What is normal? There are so many things that are different in each person’s life. Some people have the privilege of being born in Canada, others in countries where they can’t even go to school. For me, I have the privilege to do what I truly love.”

    Lisiecki is also well aware of the bias against young classical musicians, that they can’t possibly have the depth of life experience to deliver the emotions crucial to performing the classical masters, despite the amazing chops. Here, it seems, is an exception.

    I feel on one hand that music doesn’t have boundaries of age, but on the other side, it’s about what you feel with the music – and that changes with age,” Lisiecki says. “So you find a balance. I’m not sure why I have the luck of what people call an old soul. It’s something I was given and I simply have now.”

    “I’m not trying to evoke emotions purely on technique and speed and brilliance,” he says. “That’s very superficial. Those are not emotions that come from the heart. What I try to do is show how beautifully the piece was written.” So sure, there’s going to be some spectacular playing here and there, he adds, but there’s a big difference between being a technician and being an artist. Lisiecki speaks with authority about his opinions on masters like Glenn Gould – “only a few bars and you know exactly who it is” says – and on the lineage of the masters, “These composers were inspired by one another, in many cases. Bach inspired Mendelssohn, he inspired Chopin, many composers looked up to him. And if you listen to the first few pieces that Beethoven wrote, they were in Mozart’s style, but then he grew into who we know him for.”

    結びがたいへん説得的です.Both Mendelssohn and Mozart, by the way, were child prodigies.

     

    CLASSICAL MUSIC: 17-year-old concert pianist an ‘old soul’

    July 10, 2012
    By Mike Ross


    Asked what kind of music he likes outside of classical, piano wunderkind Jan Lisiecki doesn’t hesitate, “I love Pink Floyd.”

    Good answer, kid. He says it “takes him back.”

    So what’s more amazing – that a teenager loves Pink Floyd, or that a teenager has reached international fame as a master concert pianist? On stage at the Winspear Centre on Friday as part of the Les Choralies Internationales Edmonton 2012, you could call the Calgary musician the Justin Bieber of classical music – if he didn’t laugh at the very idea, “If you compare my 7,000 fans on Facebook to how many billion he has, I don’t think so.” One for every person who’s ever lived on Earth, apparently.

    Teenage pop stars don’t face the same sort of questions the classical prodigies do. No one uses the word “prodigy,” for one thing, as if they were freaks of nature, or wonders if their parents forced them to practice seven hours a day when all the other kids were all out playing video games. Turns out Lisiecki did it all on his own. No time for video games. Serious by the age of nine, he was amazing when he was 13, and has since tackled the toughest cadenzas from the heaviest composers with the most respected orchestras in some of the world’s most famous concert halls.

    Lisiecki is familiar with all the usual questions. The obvious one is how he managed to get this good so young without giving up a so-called “normal” childhood.

    He responds, “What is normal? There are so many things that are different in each person’s life. Some people have the privilege of being born in Canada, others in countries where they can’t even go to school. For me, I have the privilege to do what I truly love.”

    Lisiecki is also well aware of the bias against young classical musicians, that they can’t possibly have the depth of life experience to deliver the emotions crucial to performing the classical masters, despite the amazing chops. Here, it seems, is an exception.

    “I feel on one hand that music doesn’t have boundaries of age, but on the other side, it’s about what you feel with the music – and that changes with age,” Lisiecki says. “So you find a balance. I’m not sure why I have the luck of what people call an old soul. It’s something I was given and I simply have now.”

    There’s a YouTube video (see below) that features the then-14-year-old Lisiecki killing Chopin, if killing is the appropriate term for such virtuosity. It’s clearly meant to impress, to make jaws drop, but now – three years later and much taller – Lisiecki insists that technical proficiency on its own is never enough.

    “I’m not trying to evoke emotions purely on technique and speed and brilliance,” he says. “That’s very superficial. Those are not emotions that come from the heart. What I try to do is show how beautifully the piece was written.” So sure, there’s going to be some spectacular playing here and there, he adds, but there’s a big difference between being a technician and being an artist. Lisiecki speaks with authority about his opinions on masters like Glenn Gould – “only a few bars and you know exactly who it is” says – and on the lineage of the masters, “These composers were inspired by one another, in many cases. Bach inspired Mendelssohn, he inspired Chopin, many composers looked up to him. And if you listen to the first few pieces that Beethoven wrote, they were in Mozart’s style, but then he grew into who we know him for.”

    Both Mendelssohn and Mozart, by the way, were child prodigies.


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    オーチャードホール:N響定期;イシイ=エトウ指揮小菅優ピアノ [音楽時評]

    7月8日,渋谷オーチャードホールに,NHK交響楽団オーチャード定期を聴きに行って来ました.小菅優がピアノ・ソロに入って,シューマンのピアノ協奏曲がプログラミングされていたからです.というのも,今年に入って,河村尚子に対するよりも小菅優に一段と関心が高まったということがあります.
    それは,その計画的なキャリア形成の点で,小菅優が,一歩,二歩と河村尚子よりも先んじていることに気づかされたからです.

    出演者は,
    指揮:  キンボー・イシイ=エトウ(2010年からドイツ・マグデブルグ歌劇場音楽監督)
    ピアノ:  小菅優
    オーケストラ: NHK交響楽団 
    コンマス;    篠崎史紀
    でした.

    プログラムは
    ドビュッシー:  小組曲(H.ビュッセル編)
              第1曲,「小舟にて」,第2曲,「行列」,第3曲,「メヌエット」,第4曲,「バレエ」
    シューマン:   ピアの協奏曲 イ短調 作品54
          ※※※※※※※※
    ベートーヴェン: 交響曲 第7番 イ長調 作品92
    でした.

    プログラムに,小菅優のインタビューが掲載されていましたが,彼女はたいへん謙虚に次のように述べています.
    「シューマンは自分のレパートリーの中心です.協奏曲は何度も弾いています.すごく愛情の籠もった曲で,クララへの思いが伝わってきます.これまでいろいろな指揮者の方のアドバイスを取り入れたり,いろんな実験をしたりして,私の演奏も変化しています.今回は初めて協演させていただく指揮者なので,どういうシューマンになるか楽しみです.シューマンのピアの協奏曲は,第1楽章の中間部とか,管楽器との対話が多いので,N響の素晴らしい音楽家の方々とじっくりリハーサルをして,室内楽的な面を楽しみたいと思っています.」
    「聴衆が音楽を作るみたいなところがあって,お客様がどうかは弾いている側にも伝わってきます.それによって私の弾き方も変わります.それが楽しみです.」

    私は,自分で人違いかと思ったのですが,今日小菅さんを見て,彼女とは,一昨日,王子ホールで同じエレベーターに乗り合わせたように思います.彼女は,それだけ優れた演奏会からは何かを吸収しようと合間を縫って通っているようです.
    彼女はミュンヘン在住ですが,そこでの「コンサート(オペラを含む)通いはすごく楽しいです」と語っています.それでいて,彼女は,「日本人の要素も大事だと思います....それは,繊細で美しいモノを大切にする誠実で真っ直ぐな姿勢を持っています.自分のパーソナリティにも日本的な面が入っています.」

    そんなところが,私が小菅優の将来性を高く評価する理由になっています.

    ドビューシーは,初期の古典的な作品で,オリジナルにはピアノ連弾(4手)のための曲であったモノを,ビュッセルのオーケルトレーションで演奏されました.
    全体にたいへん頼もしく感じました.優美な音楽で,第1,第2曲でのフルートの美しさが印象的でした.

    シューマンは,
    ⅠAllegro affettuoso,ⅡIntermezzo;Andantino grazioso,ⅢFinale;Allegro vivace の3楽章構成ですが,最初は1楽章の幻想曲だったものが,拡充して協奏曲構成になったモノです.
    第1楽章では,オーケストラの強奏で入り,ピアノがリズミックで強烈な序奏を奏で,オーボエのロマンティックな第1主題提示がピアノに引き継がれ,第2主題がクラリネットによって導入されます.作曲者自身によるなかなか技巧的なカデンツァが入り,コーダでは木管楽器が主題を繰り返します.
    第2楽章は,ピアノとオーケストラの優しい語らいで始まり,中間部でチェロがロマンティックな旋律を歌い,終結部では木管楽器による第1楽章の主題が断片的に回想され,そのまま終楽章に入ります.
    終楽章ではピアノが第1主題を提示し,第2主題は管楽器による軽快な音楽となり,管弦楽とピアノが時にオブリガートを互いに務める凝った構成の後,終結はピアノのトッカータ的演奏と打楽器とが曲想を盛り上げて華麗に終わります.
    小菅優も大変な名演で.今後に向けてたいへん頼もしく感じました.
    なお,小菅優がアンコールを弾いて呉れましたが,リスト編曲によるシューマンの「献呈」だったと思います.

    ベートーヴェンの交響曲7番は,「のだめ」で余りにも有名になりましたが,1カ所ホルンが大きくミスったところを別にして,リズムの権化といわれる大曲を,大いに盛り上げて終わりました.

    とにかく小菅優の将来性に大いに期待を持たせる演奏会でした.


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    王子ホール:東京クヮルテットの名演 [音楽時評]

    7月6日,王子ホールに,来年6月解散予定なので,王子ホールは最後になる東京クワルテットの2夜にわたるコンサートの初日を聴きに行って来ました.

    演奏はまさにこれ以上を望めないというほどの素晴らしいモノでした.

    メンバーは,
    第1Violin: Martin Beaver      2002年から, 初代は原田幸一郎
    第2Violin: 池田菊衛          1974年から  初代は名倉淑子
    Viola:    磯村和英        1969年からの創設メンバー
    Cello:    Clive Greensmith 2000年から  初代は原田貞夫
    でした.

    最初は昨年,池田菊衛と磯村和英が引退を決意し,今年,後任新メンバーを公表予定でしたが,
    Martin Beaver と Clive Greensmithが,熟慮の末,東京クヮルテットの解散を決意したということです.
    写真は王子ホールではありませんがご参考までに.
    ファイル:Tokyo String Quartet.jpg

    プログラムは,
    ハイドン:    弦楽四重奏曲 ト短調 Op.74-3「騎士」
    ドビュッシー:  弦楽四重奏曲 ト短調 op.10
    ウエーベルン:弦楽器のための5つの断章 Op.5   (配布プログラムでは明日の1曲)
          ※※※※※※※※
    ブラームス:  弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 Op.88       Violist 清水直子が参加
    でした.

    ハイドンの「騎士」は,第1,第4楽章の主題が,馬のギャロップを思い起こさせることから付けられたニックネームです."Apponyi" quartets と呼ばれる一群の最終曲で,Apponyi伯爵に献呈されています.
    Allegro/Largo assai/Menuet-Allegretto/Finale:Allegro con brio
    の4楽章構成ですが,急ー緩ー急ー急の構成です.軽快な第1楽章,荘重な第2楽章,メヌエットの第3楽章,爽快出,元気な第4楽章を,たいへん折目正しく好演してくれました.これぞ経験を積んだクヮルテットという実感がつのりました.

    ドビュッシーが残した唯一の弦楽四重奏曲は,有名なイザイが主宰するイザイ弦楽四重奏団によて初演されたそうです.
    4楽章構成で,
    Animé et très décidé(活き活きと、きわめて決然として)/Assez vif et bien rythmé(かなり急速に、とてもリズミカルに)/Andantino, doucement expressif(アンダンティーノ、甘く表情豊かに)/Très modéré - Très mouvementé - En animant peu à peu - Très mouvementé et avec passion(きわめて穏やかに - きわめて躍動して - 少しずつ動きを付けて - きわめて躍動して、かつ情熱的に) と速度指定されています.
    有名曲で聴き慣れた曲ですが,活気を持った楽章に混じって,第3楽章で子守歌風の優しいメロディが第1ヴァイオリンによって奏でられます.また,最終楽章の堂々たるコーダの4人もまことに見事でした.

    ドビュッシーの後,いったん立ち上がってお辞儀をした4人が,また着席して,上記したようにウエーベルンの弦楽四重奏のための5楽章を,聴かせてくれました.無調的作風を確立した年に書かれた曲で,
    1. 激しい動きで(Heftig bewegt)
    2. きわめて遅く(Sehr langsam)
    3. きわめて活発に(Sehr bewegt)
    4. きわめて遅く(Sehr langsam)
    5. やさしい動きで(In zarter Bewegung)

    の5楽章が,全曲11分と短い楽章が激しく早く,遅く(弱音器),活発に,再び遅く(弱音器),優しくと極めて独創的に作られた曲が,緊迫感を持って好演され,静かに終わりました.

    後半は,ベルリンフィルの首席ヴィオリスト清水直子さんが加わって,ブラームスの弦楽五重奏曲が好演されました.この曲は明日も再演される予定です.
    とりわけ,磯村和英さんのヴィオラの美しさが,とても強く印象に残りました.

    The Nippon Music Foundation hosts the quartet in Encounter with Stradivari 2012 in the fall, featuring 10 Stradivaris in concert at three different venues. The “Farewell Tour” in Japan will take place in May, 2013, with concerts in Musashino, Tokyo’s Oji Hall and Tokyo Opera City.
    とHomepage に書かれていますから,今秋にはクヮルテットでストラディバリを貸与されていた日本財団主催のイベントが予定されており,さらに来春の5月にFarewell Tour をやり,武蔵野文化ホール,王子ホール,東京オペラシティでConcerts をやるようです.

    また,the Tokyo Quartet returns for three tours in Europe next season, offering master-classes at the Conservatoire de Paris and at Tokyo’s Suntory Hall.

    とありますから,そうした機会を最大限活用したいモノです.

     

     


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    JTアートホール:JTが育てる室内楽シリーズ:スーパー高校生達 [音楽時評]

    7月5日,JTアートホールに「JTが育てる室内楽シリーズ」:「スーパー高校生達の室内楽」を聴きに行って来ました,

    出演者はいずれもかなり豊富な演奏歴を持つ次の高校生達でした.
    毛利文香(ヴァイオリン) 2010年第79回日本音楽コンクール第3位 洗足学園高校
    山根一仁(ヴァイオリン) 2010年第79回日本音楽コンクール第1位 桐朋女子校
    田原綾子(ヴィオラ)    いくつかの受賞歴                  桐朋女子校
    上野通明(チェロ)             々                     桐朋女子校
    神谷悠生(ピアノ)                         々                                    桐朋女子校
    といった面々でした.上野通明を除いて,すべて原田幸一郎に師事しています.

    プログラムは,
    ハイドン:   弦楽四重奏曲 第47番 嬰ヘ短調 Op.50-4 Hob.Ⅲ-47
    シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D.810 「死と乙女」
           ※※※※※※※※
    シューマン: ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44
    でした.ハイドンの第1ヴァイオリンは毛利文香,シューベルトとシューマンの第1ヴァイオリンは山根一仁と交替していました.

    たまたま明日は王子ホールに東京クァルテットを聴きに行きますので,このブログは今夜のうちに書いておきます.

    最初に指摘しておきたい点は,おそらく原田幸一郎さんは細かな指導はせず,彼等の自主性に任せたと思われることです.

    まず,ハイドンでがっかりしたのです.それは日本のクァルテットにありがちなチェロの大きな太い音が目立ったからです.これは明らかにまともな弦楽四重奏のアンサンブルではありませんでした.チェロはもう1点,最低音の弦の音響が他の弦と音質が変わっていたのが気になりました.
    彼はアンサンブルが余り問題にならない三重奏,たとえばピアノ三重奏向きだと思います.それなら1人1人が自由に弾けば済むでしょう.

    それでもシューベルトではチェロはずっと控えめになっていて,こちらの方に練習時間を割いたのだろうと思いました.それでも,本来,ヴィオラと共に,アンサンブルの下支えをするという境地にはまだまだでした.あるいは彼の楽器が優れて大きな音量が出てしまうのかも知れませんが...

    田原綾子さんのヴィオラの美音はたいへん優れていました.この人が室内楽で成長してくれると将来が期待されると思います.

    チェロが気になったひとつの理由は,ヴァイオリンが2人ともそれほど豊潤な響きを聴かせていなかったからということにもなります.2人共,テクニックは優れていて,美音を聴かせてくれたのですが,音量ではチェロに押されていました.むしろチェロの問題なのかも知れませんが...

    山根一仁の1昨年の日本音楽コンクール本選での演奏を思い出していましたが,大胆にショスタコーヴイチの協奏曲に挑んだのですが,テクニックに流れて,ショスタコーヴィチの内面に食い込んだ解釈を怠った空虚さを思い出していました.このまま売れ続けると,そのテクニックに流れる傾向が固定化してしまうのではないかと大いに懸念するモノです.早くヨーロッパに留学して,もっと個性を磨き,作曲者の内面の理解も深めるよう期待したいのですが...

    その点では,今夜の白眉は,シューマンにあったと思います.ここではピアノと弦楽四重奏が渡り合う形ですから,弦楽の4人共,のびのびとピアノと渡りあっていたと思えるからです.
    ピアノが必ずしも達者ではなかったことも付言しておきます.

    最後に,気になった点を挙げますと,この4人は本当に室内楽奏者として将来を見定めているのでしょうか.いきなり「死と乙女」を持ってきたあたりに,この4人が「思い出」に弾いておこうという気持ちが働いたのではという疑念を禁じ得ませんでした.

    「スーパー高校生たち」というタイトルは誰の発案か知りませんが,私には,聴き終わって,どうにもいただけないオーバーなタイトルと思えてなりませんでした.理由の第1は,日本音楽コンクールはいつまでたっても国際的にオープンにならないコンクールで,その優勝にどれほどの意味があるのか分からない存在だからです.

    明日は,対象的に,来年6月に解散を予定しているクァルテットを聴きますが,今秋久しぶりの帰国公演が予定されているロータス・クァルテットと並ぶ存在が,どうやらメンバー交代を控えていそうなアルモニコと,フィリアホールの経営形態の変化と共に今年が最後になりそうなアルティ弦楽四重奏団といずれも不透明な点があって,早く21世紀を背負う日本のクァルテットの成長を期待したいモノです.


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    JTアートホール室内楽シリーズ;ベートーヴェン・ピアノ・トリオ [音楽時評]

    7月3日,JTアートホールに,その室内楽シリーズ;練木・徳永・堤のベートーヴェンピアノ・トリオ演奏会Iを聴きに行って来ました.

    出演者は,
    練木繁夫;piano
    徳永二男;violin
    堤 剛;Cello
    でした.

    プログラムは,
    ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-1
              ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-2
              ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.1-3
    という,初期の作品3曲でした.

    ベートーヴェンの初期の作品が,総て4楽章構成で書かれていたことは驚きです.
    また,モーツアルトやハイドンの影響を残す11-1から次第にロマン主義の色合いへの動きを感じさせる3曲が纏めて弾かれたことに意義が認められます.

    Allegro/Adagio cantabile/Scherzo:Allegro assai/Finale:Presto
    Adagio~Allegro vivace/Largo con espressione/Scherzo:Allegro/Finale:Presto
    Allegro con brio/Andante cantabile con variazioni/Menuetto:quasi alllegro/
                    Finale:Prestiissimo

    という3曲の4楽章構成ですが,その構成の変化にも興味が持てます.

    ただ,成熟した3人の名手によるとはいえ,1回の演奏の中から,こうした変化を感じ取ることは困難でした.

    ただ,3曲の内,最終曲だけが,静かに閉じられたのは強く印象に残りました.

    むしろ,選曲法として,ベートーヴェンは第11番までナンバーの付いたピアノ三重奏曲を作曲しており,それに断章など未完を合わせると15曲同種の曲を作曲していますから,初期,中期,後期くらいから1曲ずつ選曲するのも1つの選曲法ではないかと考えます.
    今回が,ベートーヴェンピアノ・トリオ演奏会Iとなっていて,続編が期待されるだけに,ちょっと趣向を変えていただければ有り難いと思います.


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    存続が危ぶまれる音楽監督/コンマス不在の大阪フィル [音楽時評]

    大阪市の橋下市長は,大阪フィルへの前年度補助金1億1千万円を25%カットすると言っていたのですが,尻すぼみになって,約10%カットの9900万円の予算計上を査定したそうです.

    しかし,これは橋下さんの情報不足から生じた誤った判断だったのではないでしょうか.

    というのは,今年3月末のいわばサヨナラ・コンサートを最後に50代の大植英次が音楽監督を退任.また,首席コンサートマスター長原幸太,セカンドヴァイオリントップ奏者佐久間聡一もこのコンサートを最後に退団し,さらに,ホルントップ奏者池田重一,打楽器トップ奏者坂上弘志もこの日をもって退団した,といわれるからです.

    つまり,音楽監督,コンサートマスターという要職のほか,主要パートの首席奏者がが不在になったのです.大植英次は桂冠指揮者になったそうで,コンマスにも客演首席コンサートマスターとして崔 文洙が上がっていますが,彼は東京の新日本フィルハーモニーのソロ・コンサートマスターが本職なのです.
    これにより,「桂冠指揮者」と首席客演コンサートマスターのみで常任の指揮者もコンサートマスターも欠くという,プロオーケストラとしては極めて異例の状態となっているのです.

    これは,補助金カットの有力な口実になったはずです.

    もともと大植英次は,長く大阪フィルの初代音楽監督を勤めたカリスマ性のあった名指揮者朝比奈隆の後任に選ばれた人ですが,私には,大植英次は何度も,誤った選択で,これまで実力以上の経歴を重ねてきた人だと思えてならないのです.

    彼の略歴は,1991年から1995年までエリーフィルハーモニー音楽監督、1995年から2002年までミネソタ管弦楽団の第9代音楽監督.1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と紹介されていますが,
    彼がミネソタ菅の音楽監督に大抜擢されたのは,ミネソタ菅の指揮者選任委員会が,アメリカの広さ故に,大植の前任地エリーフィルハーモニーをProfessional orchestra と誤認したことに始まっています.それは実はいわば Community Orchestra で,年に20回ほどしか演奏会を開いていないのです.

    破天荒の大抜擢を受けたミネソタでは,最初は大植の親しみやすさが楽団員に受け入れられたのですが,そのリハーサルのだらだらしたやり方,ないしその音楽性やレベルに,間もなくミネソタ菅が気づかされて,大植は6年で追い出されています.
    後任のOsmo Vanska の出来が良すぎたので,ミネソタ菅では大植英次は最早完全に忘れ去られた存在です.

    ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者も,大阪フィルは高く買ったのでしょうが,それも誤解で,北ドイツ放送フィルハーモニーはハンブルグが本拠地で,ハノーファーは大曲を取り上げる力の無い,いわば2軍に過ぎない存在なのです.
    また,スペインのカタルーニャ州立バルセロナ交響楽団常任指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに2006/2007年シーズンから就任していましたが、2009/2010年シーズンを以て終了しています.

    大阪フィルは,ミネソタ菅が間違って大植を選任(大抜擢)したことも,ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団が北ドイツ放送交響楽団の2軍であることも,十分に調べ上げないまま,彼を朝比奈隆の後任に選任してしまったのだと思われるのです.

    大植に実力があれば,朝比奈隆の後任として少なくとも20年は勤めたのでしょうが,彼にその実力が伴なわなかったために,9年で,それも50代で退任の止むなきに至ったのは,ヤムを得なかったと思います.彼が大曲を指揮すると,音楽が流れなくって,止まってしまうのではないかとハラハラさせられたモノです.
    彼はよくもまあ桂冠指揮者を受けたようですが,彼の桂冠指揮者を契機にコンマスやパートの首席がいなくなっては,大植の指揮する今後の大フィルの演奏レベルは思いやられます.

    大植の虚像を知る人は少なくないでしょうから,大阪フィルの音楽監督の後任,それも大植英次の後任などを進んで引き受ける有力指揮者は,まず当分,見当たらないのではないでしょうか.

    本当は,虚飾にまみれた大植には桂冠指揮者などお辞めいただいて,フリーな立場の音楽監督を懸命に探さないと,大阪フィルの将来性は危うい限りだと考えるモノです

     

     

     


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    武蔵野文化:ロシア・ナショナル菅,プレトニョフ指揮,松田華音(pf) [音楽時評]

    6月26日,武蔵野文化会館大ホールに,ロシア・ナショナル管弦楽団演奏会を聴きに行って来ました.指揮は創設者であり,芸術監督でもあるミハエル・プレトニョフ,そしてソロに6歳からモスクワに渡り,ロシアに育てられた16歳の天才ピアニスト松田華音が加わっていました.

    ロシア・ナショナル管弦楽団というと国立を連想しますが,社会主義国には珍しい純民間団体のオーケストラで,興行収入+民間からの寄付で賄われているそうです.

    今回は,6月13日のグリーンホール相模大野に始まって,奈良件文化会館,東京オペラシティ,アルカス佐世保,愛知県芸術劇場と周り,23日から再び,横浜みなとみらい,アクトシティ浜松,周南市文化会館(山口)武蔵野文化会館,昭和女子大学人見記念講堂,そして1日おいて,29日に日立シビックセンターで打ち上げという強行日程です

    その間,プログラムは1~6とあり,ソリストには,樫本大進,河村尚子,アレクサンダー・コブリン(pf),そして松田華音が並んでいます.

    ロシアのオーケストラを聴くのは久しぶりだったのですが,金管,木管の美しさ,巧みさ,打楽器の実力と音量,そして粒の揃った五弦のアンサンブルの見事さに,今更ながら感嘆しました.

    今夜のプログラムは,
    ビゼー: 「アルルの女」第2組曲
           ⅠPastorale,ⅡIntermeszzo,ⅢMenuet,ⅣFarandole.
    サン=サーンス: ピアノ協奏曲第2番 ト短調 Op.22     ピアノ:松田華音
            ※※※※※※※※
    チャイコフスキー: 交響曲第4番 ヘ短調 Op.36
    でした.

    楽器の配置はヨーロッパ型というか,対抗配置で,第1ヴァイオリンの隣にチェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンでサークルを作り,第1ヴァイオリンとチェロの背後にコントラバスが2列並んでおり,チェロ,ヴィオラの背後にホルンと木管楽器群が並び,木管群の背後に金管楽器が並び,打楽器は右後方に配置されていました.

    海外ツアーで全員参加していたらしく,サンサーンスは多少減員されていましたが,前後の大曲は第1,第2ヴァイオリンが6列ずつ並んでいました.

    とにかく第1曲「アルルの女」から,ロシア大地を想起させるような重厚でどっしりした音を響かせて,木管,金管楽器群の華麗な演奏が続き,圧倒的な演奏が展開されました.ただ,ⅢMenuetでは,ハープの伴奏でフルートが誠に親しみ深いメロディを奏でて,好演していました.

    サンサーンスのピアノ協奏曲第2番は,ピアニストでもあった作曲者の代表作の1つで,技巧的華やかさと色彩感に満ちた名曲です.
    Andante sostenuto/Allegro scherzando/Presto の3楽章構成ですが,第1楽章の冒頭でいきなりピアノがソロで入り,主部に移りますが,最後にまたピアノ・ソロが回帰します.第2楽章はAllegro にテンポを速めて,軽快な楽章,第3楽章でさらにPresto に早めて,ピアノの鍵盤を一杯に使った華麗なフィナーレになります.
    テクニック面の要求度も高い曲でしたが,若い松田華音はその技巧水準はとっくに超えていたようで,まことに見事な演奏を聴かせてくれました.
    1曲難しそうなアンコールが入ったのですが,多分サンサーンスの曲らしいとしか分かりませんでした.
    彼女は,既に,若手対象のコンクールでいくつも首位やグランプリを獲得しているようで,16歳でロシアで育てられた,トリフォノフを追う21世紀レベルの日本人天才ピアニストの出現を,大いに喜びたいと思います. 

    チャイコフスキーの第4交響曲は,チャイコフスキーが結婚に失敗して神経衰弱に悩み,イタリアに転地療養中に完成された作品で,チャイコフスキー自身が,この作品は人生における「運命」を表現した曲と述べていたそうです.
    緩ー緩ースケルツオー急・フィナーレの4楽章構成ですが,第1楽章は悩ましい現実と幸福な夢が交錯する楽章で,運命を象徴するファンファーレに始まり,ドラマティックな展開を見せます.第2楽章はメランコリックな緩徐楽章,哀愁を帯びたオーボエのソロが印象的です.
    第3楽章は空想的なスケルツオで,弦楽器群のピチカートが主体の忘れがたい楽章です.終楽章は総てを忘れ去るような賑々しさに溢れたフィナーレで,大きな盛り上がりを築いて終わります.
    1度聴くと忘れがたい曲ですが,とりわけロシア・ナショナル管弦楽団のプレトニョフ指揮による堂々たる構成の演奏には素晴らしいモノがありました.

    全体に,堂々として華麗さを加えた名演だったと思います.
    今秋にはゲルギエフーマリンスキーの組み合わせを2度聴く予定をしていますが,今から,それがいよいよ楽しみになってきました.


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    パルテノン多摩:トリフォノフ・ピアノ・リサイタルの好演 [音楽時評]

    全く久しぶりにパルテノン多摩へトリフォノフのピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.6割程の客の入りだったのはたいへん残念でした.

    帰宅して,夕刊を読みましたら,五嶋みどりさんの「バッハで奏でる復興の祈り」という記事が載っていましたが,そのなかで「音楽は人の心に働きかける力を持っています.被災者や復興支援に携わっておられる方々に一瞬の心の安らぎを持って頂ければ.そんな気持ちで演奏します」という五嶋みどりさんの言葉が載っていて,世界的なヴァイオリニストの謙虚さに心を打たれました.
    日本の演奏家のほとんどが,平然と「音楽の感動を伝えますor与えます」という押しつけがましい表現をしているのに何となく違和感を感じていたからです.

    今夜のプログラムは,
    シューベルト/リスト編曲:12の歌」より第7曲”春の想い”
    シューベルト/リスト編曲:「白鳥の歌」より第1曲”都会”
    シューベルト:        ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960(遺作)
                ※※※※※※※※
    ドビュッシー:    「映像」第1集
                  第1曲「水に映る影」,第2曲「ラモーを讃える」,第3曲.「動き」
    ショパン:       12の練習曲 作品10全曲
                  第3番に「別れの曲」,第5番「黒鍵」,第12番「革命」を含む.
    でした.

    先ず使用楽器についてですが,イタリアが全く独自に開発した FAZIOLI というピアノで,高音部と低音部でたいへん優れた明晰さを持ったピアノでした.高音部が中間部に較べて音程がかなりフラットになったり,低音部が音がかなり太くなったりしない,素晴らしい優れモノでした.トリフォノフご愛用のピアノで,来日のたびに持ち歩いているモノですが,彼のピアノ演奏の明晰さと広い安定した音域に貢献しているモノです. 

    今夜の休憩を挟んだ後半の曲集は,トリフォノフが第14回チャイコフスキー優勝者ガラ・コンサート(今年の4月23日,サントリーホール)で演奏した曲集でしたから,ダブってコメントすることは控えますが,とりわけ,一昨年のショパン・コンクールで第3位を獲得したトリフォノフのショパンは,トリフォノフの天賦の才能を漲らせた曲集の解釈と構成力のほどを遺憾なく発揮したモノでした.

    シューベルトの歌曲をリストが編曲したモノは,いずれもピアノ伴奏と歌唱を合わせて編曲した優れた作品で,ただ,うっとりと聴き入るのみでした.

    この2曲が終わっても拍手が入らなかったというか,拍手を求めることなく,トリフォノフはそのままシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960(遺作)に入りました.

    しかし,ホール側は,ほんの僅かの間隙を縫って遅参者を入れましたから,後半の席に座っていたモノにはたいへん迷惑でした.生憎とマナーの悪い人達で,演奏が始まっているのに,後方に静かに座らないで,できるだけ前方に来て,手渡されたプログラムと配布物をめくって音を立ててはばからなかったのです.
    序でにホールの照明についてですが,ステージ上面からの照明が全開になっていましたが,オーケストラ演奏ではないのですから,能がなさ過ぎます.ピアノを円形にスポットとライトを当てて,ステージの壁面(背面と両壁面と天井)は多少照明をダウンすべきだったと思います.
    また,プログラムで,2曲目は,シューベルト「白鳥の歌」より第1曲「都会」となっていますが.シューベルトの原曲では「白鳥の歌」の第14曲ですから,解説にリスト編曲の順序と明記されるべきだったと思います.

    それでも,この私の大好きなシューベルトの遺作.Allegro moderato/Andante sostenuto/Scherzo:Allegro vivace con delicatezza-Trio/Allegro ma non troppo の4楽章を,トリフォノフは,まことに大きなスケールで,とても20代とは信じがたい豊かな解釈と構成力,そして確かなテクニックで,各フレーズのアクセントや各楽章の音の強弱の構築を見事にやってのけて,昨秋の内田光子の名演や最近の伊藤恵の好演を彷彿させる,ハイレベルの好演を聴かせてくれました.

    これだけ次々と好きな曲の好演を聴けたことに,たいへん満足して帰りました.
    ただ,この曲のベストなプログラミングは,ピアノ・ソナタ第19,20,21番という,作曲者の死の直前に2ヶ月余りで一気に書き上げられた3曲には,それなりの繋がりがありますから,世界の有名ピアニスト,たとえば,最近では昨秋の内田光子がやっったように,3曲を纏めて弾くのがベストだと私は信じていますが,トリフォノフのような若手にそれを期待するのは無理な相談というべきなのでしょう,

    期間を余り開けないで,このレベル・アップした21世紀を代表するトップ・ランナーのピアニストに,ぜひ,再来日してまた好演を聴かせて欲しいモノです.

      


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    来日間近のYuja Wang with S.F.Symphony [音楽時評]

    11月19日にサントリーホールに来演して,同じラフマニノフのピアの協奏曲第3番を協演する同じ顔ぶれ,ユジャ・ワン+サン・フランシスコ交響楽団が,本拠地サン・フランシスコでシーズン締めくくりの演奏会を行って,たいへん好演したと高評を博していましたので,ご紹介します.

    At this point, there's no more news to report about Yuja Wang. She is, quite simply, the most dazzlingly, uncannily gifted pianist in the concert world today, and there's nothing left to do but sit back, listen and marvel at her artistry.

    Happily for local audiences, Michael Tilson Thomas and the San Francisco Symphony were among the first to recognize her pre-eminence, and quickly forged a relationship with her that has brought us a series of revelatory local appearances. The latest came over the weekend, when Wang joined the orchestra in Davies Symphony Hall for a titanic account of Rachmaninoff's Third Piano Concerto.

    手放しの賞賛という表現をを超えた,早くからこの若き天才ピアニストと協演してきたサン・フランシスコ交響楽団の誇りと喜びが溢れた表現にまず驚かされます.
    ロスアンジェルスでは,ウルトラ・ミニ・スカートで登場してアメリカの話題を集めた彼女ですが,今回は,写真にあるように,まことに落ち着いた服装です.

    賞賛振りは,歯が浮くような表現で訳しようがありませんから,原文のままとしますが,
    Wang's Rachmaninoff was clearly the headline event. It wasn't just the fact that she made this concerto's fabled technical difficulties - its thunderous chordal writing, its intricate passagework, its wearying length - seem easy, although that was part of it.

    More remarkable still was the depth and imagination she brought to the entire score, and the way she made the piece's virtuosic angle just one part of its purpose.

    Of course, there were plenty of opportunities for showmanship, and Wang dispatched them with her customary aplomb. The fierce keyboard explosions in the outer movements - thickets of notes, densely clustered for maximum effect - and the quicksilvery bursts of repeated notes in the central episode of the second movement were beautifully handled.

    But just as striking was Wang's ability, which Thomas and the orchestra suavely supported, to convey the lyricism and grace of Rachmaninoff's writing. In Wang's hands, the opening theme - a simple melody in octaves brimming with nuanced emotion and energy - sounded every bit as impressive as the finger-busting displays that ensued.

    おまけに,アンコールとして,華麗な指さばきで有名な,For pure finger-busting, Wang delivered a stunning encore of Vladimir Horowitz's "Carmen" Variations.を弾いたというのですから,東京でも聴かせてくれるのでは,と楽しみです.

    あとは,どうぞご自由に,ご渉猟下さい.

     

     

    S.F. Symphony review: Wang's awesome Rachmaninoff

    MUSIC REVIEW
    Updated 04:00 a.m., Tuesday, June 19, 2012
    • Pianist Yuja Wang Photo: Felix Broede/DG / SF
      Pianist Yuja Wang Photo: Felix Broede/DG / SF

     

    At this point, there's no more news to report about Yuja Wang. She is, quite simply, the most dazzlingly, uncannily gifted pianist in the concert world today, and there's nothing left to do but sit back, listen and marvel at her artistry.

    Happily for local audiences, Michael Tilson Thomas and the San Francisco Symphony were among the first to recognize her pre-eminence, and quickly forged a relationship with her that has brought us a series of revelatory local appearances. The latest came over the weekend, when Wang joined the orchestra in Davies Symphony Hall for a titanic account of Rachmaninoff's Third Piano Concerto.

    There were other delights on the program on Sunday afternoon, but Wang's Rachmaninoff was clearly the headline event. It wasn't just the fact that she made this concerto's fabled technical difficulties - its thunderous chordal writing, its intricate passagework, its wearying length - seem easy, although that was part of it.

    More remarkable still was the depth and imagination she brought to the entire score, and the way she made the piece's virtuosic angle just one part of its purpose.

    Of course, there were plenty of opportunities for showmanship, and Wang dispatched them with her customary aplomb. The fierce keyboard explosions in the outer movements - thickets of notes, densely clustered for maximum effect - and the quicksilvery bursts of repeated notes in the central episode of the second movement were beautifully handled.

    But just as striking was Wang's ability, which Thomas and the orchestra suavely supported, to convey the lyricism and grace of Rachmaninoff's writing. In Wang's hands, the opening theme - a simple melody in octaves brimming with nuanced emotion and energy - sounded every bit as impressive as the finger-busting displays that ensued. For pure finger-busting, Wang delivered a stunning encore of Vladimir Horowitz's "Carmen" Variations.

    Thomas and the orchestra brought their own brand of magic to the concert's first half. It began with Fauré's "Pavane," in a lovely, rhythmically sustained reading graced by a fragrant contribution from principal flutist Tim Day.

    Even more alluring was the orchestra's sleek and strong-boned rendition of Sibelius' all-too-rarely heard Third Symphony. Thomas seemed intent on underscoring the work's elegance and balance without letting it subside into pure arabesque, and the orchestra followed his lead superbly.

    Joshua Kosman is The San Francisco Chronicle's music critic.


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    サントリーホール:都響プロムナード,梅田指揮,山本contrabass [音楽時評]

    6月23日,サントリーホールに東京都交響楽団のプロムナード・コンサート;梅田俊明,コントラバス山本修,コンマス四方恭子を聴きに行って来ました.

    とにかくサントリーホールのブルーローズでヘンシェル・クァルテットの低レベルの演奏会を3日も聴かされてから,他の何を聴いても良く聴こえる感じがしてしまうのは有り難いことです.

    梅田俊明さんは,前に日本音楽コンクールの本選会の指揮で凡庸に聴こえてから,あまり買っていなかったのですが,今日の都響の指揮はたいへん良かったと思います.

    プログラムは,ロシアモノで
    ムソルグスキー:   交響詩「はげ山の一夜」(リムスキーコルサコフ編)
    クーセヴィッtキー:  コントラバス協奏曲 嬰へ短調 作品3
            ※※※※※※※※
    リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」 作品35(ヴァイオリン独奏/四方恭子)
    でした.

    「はげ山の一夜」はやや怪奇的な作品ですが,曲の構成が優れているので聴く機会の多い作品です.それを梅田俊明がまことに纏まりよく聴かせてくれました.都響が弦も菅も良く鳴っていました.

    コントラバス協奏曲はヘンシェル・クァルテットを批判したNew York Times の記事に,チェロがコントラバスのように弾いていたとあったのを思い出しましたが,山本修のコントラバスは音量は穏やかで終始一貫してまことに美麗な音の演奏で,感嘆しました.チェロの批判としては,図太くって濁った音の意味で使われるのですが,この協奏曲のAllegro/Andante/Allegro の3楽章は,まるでチェロ協奏曲を聴いているような柔和な美しい響きで一貫していました.

    「シェヘラザード」は千夜一夜物語の語り手、シェヘラザードに基づいた作品として有名で,
    第1楽章《海とシンドバッドの船》
    第2楽章《カランダール王子の物語》
    第3楽章《若い王子と王女》
    第4楽章《バグダッドの祭り,海,船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲》
    の4楽章構成ですが,各楽章が波瀾万丈で,テンポ変化に富んでいます.また,シェヘラザード主題(ソロ・バイオリン)と王の主題(チェロ)が循環して現れ,見事な統一性アル交響曲として作曲されています.
    演奏では,冒頭から何度も繰り返されるシェヘラザード主題の循環が,四方恭子さんのヴァイオリンでまことに華麗に演奏されて未だに耳に残っています.チェロのソロも綺麗でしたし.金管,木管の
    演奏もたいへん素晴らしい演奏で,静かに全曲が閉じられるのが惜しいほどに,都響の好演が目立ちました.
    梅田俊明さんにも敬意を表したいと思います.

    とにかく3人東京都響の演奏の充実振りは頼もしい限りです.

     

     


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    Vienna Philharmonic, Rattle in London [音楽時評]

    たいへんショッキングな記事に出会いました.
    ことは世界を代表する指揮者Simon Rattle と世界を代表する Vienna Philharmonic の間で起きたことです.

    端的に言えば,Vienna Phil が London の Barbican Hall で Rattle を手玉にとって,Schumann, Brahms and Webern の曲をGloriously shabby に演奏したというのです.

    Just as the most impeccably aristocratic families have the shabbiest homes, so the oldest and most prestigious orchestras frequently deliver the most scrappy performances. Trying too hard is so arriviste. King of this insouciant shabby chic are the Vienna Philharmonic. It's almost as if at some point the orchestra got bored of playing well. One hundred and sixty years at the top delivering the world's warmest, plushest, most sophisticated sound must get repetitive.

    we also got a deliberate untidiness that could only be described as a kind of musical sprezzatura. This was most in evidence in the Brahms Three that opened the evening. The development stormed in on a slack opening and built to a thrilling but unstable climax, the strings pushing their syncopations to the very limits of what was healthy for a steady tread. After an Andante full of local interest, a lackadaisical quality returned in the Poco Allegretto, the pulse of the middle section sounding more like a man creeping downstairs in the middle of the night to fetch some milk than the palpitations of a troubled interior. The fourth ushered in a big, generous, romantic sound, albeit with jazzy pizzicatos from the double basses.

    The Vienna Phil has a tendency to conduct their conductors. The amount of inter-sectional one-upmanship in the Brahms meant that it was hard if not impossible for Sir Simon Rattle to make much of an impression. Few of Rattle's qualities - clarity, vertical cleverness, colour - came through, which meant that the performance ultimately lacked sophistication, though it had enough fresh ingredients to still momentarily seduce.

    The Vienna Phil's increasingly blasé manner can be annoying. Why would a top orchestra choose to be so wilfull? Well they're finally teaching us why. There's much to be gained from a studied insouciance. And isn't it nice that at least one orchestra in the world isn't chasing a shiny perfection and is instead ploughing a richer more interestingly characterful furrow? Besides, whenever one found the lack of unified purpose annoying, one was always able to bathe in the creamy sounds. One couldn't really complain.

    オペラの伴奏もやりながら,オーケストラとしても超一流を求められるVienna Philharmonic としては,たまには,こんなこともしたいのでしょうし,それでも聴衆は豊かな音には文句のつけようがないのでしょう.

    あとは,どうぞご自由にご渉猟下さい.
    Vienna Philharmonicが来日しても,多分,手抜きの絶好のチャンスなのでしょう.

    あれほどひどかったヘンシェル・クァルテットに,拍手喝采してアンコール演奏を有り難がった聴衆には,Vienna Philharmonic の名前だけで十分でしょうから.....

     

    Vienna Philharmonic, Rattle, Barbican Hall

    Gloriously shabby Schumann, Brahms and Webern from orchestral aristocracy

    Sir Simon Rattle: 'The start of the Rhenish felt like a fresh spring wind had suddenly rushed in through the Barbican doors 'Mark Allan/Barbican

    Just as the most impeccably aristocratic families have the shabbiest homes, so the oldest and most prestigious orchestras frequently deliver the most scrappy performances. Trying too hard is so arriviste. King of this insouciant shabby chic are the Vienna Philharmonic. It's almost as if at some point the orchestra got bored of playing well. One hundred and sixty years at the top delivering the world's warmest, plushest, most sophisticated sound must get repetitive.

    That's not to say that we didn't get some glorious Viennese cream. We did. But we also got a deliberate untidiness that could only be described as a kind of musical sprezzatura. This was most in evidence in the Brahms Three that opened the evening. The development stormed in on a slack opening and built to a thrilling but unstable climax, the strings pushing their syncopations to the very limits of what was healthy for a steady tread. After an Andante full of local interest, a lackadaisical quality returned in the Poco Allegretto, the pulse of the middle section sounding more like a man creeping downstairs in the middle of the night to fetch some milk than the palpitations of a troubled interior. The fourth ushered in a big, generous, romantic sound, albeit with jazzy pizzicatos from the double basses.

    The fin-de-siècle, psychosexual claustrophobia of the Webern was an extraordinary contrast to the Schumann

    The Vienna Phil has a tendency to conduct their conductors. The amount of inter-sectional one-upmanship in the Brahms meant that it was hard if not impossible for Sir Simon Rattle to make much of an impression. Few of Rattle's qualities - clarity, vertical cleverness, colour - came through, which meant that the performance ultimately lacked sophistication, though it had enough fresh ingredients to still momentarily seduce.

    The Webern was more interesting. Conventional wisdom would have thought that placing Webern, one of the very greatest orchestrators of all time, next to Schumann and Brahms was a bit unfair. In fact Rattle's deft handling of the Rhenish Symphony in the second half meant the Schumann held up well next to the adventurous Six Pieces. We were given Webern's 1928 revision of the work. This version robs us of the primordial tunelessness that starts the 1909 version of the third movement, but it's perhaps clearer otherwise. The soft-edges of the orchestral sound, however, didn't do Rattle (or Webern) many favours. He couldn't turn the screw when required. Tartness was absent from the second. A sufficiently deafening climax never quite came about in the third, though the rest of the evocation was powerful.

    The fin-de-siècle, psychosexual claustrophobia of the Webern, particularly the choked opening sound of the last Langsam - in which oboe accompanies violin trills sul ponticello - was an extraordinary contrast to the Schumann. The start of the Rhenish felt like a fresh spring wind had suddenly rushed in through the Barbican doors. It was the most satisfying performance of the night. Rattle etched each scenario sharply and freshly. He introduced contours to the usually monolithic sounding opening Lebhaft, and let the horns blaze forth gloriously. The river activity of the second movement was maddeningly gloopy by comparison. Still, with the fourth we were back on track with a searing search for Schumann's enigmatic fiery darkness. And we ended as we had begun, in a delightfully airy and carefree spirit.

    The Vienna Phil's increasingly blasé manner can be annoying. Why would a top orchestra choose to be so wilfull? Well they're finally teaching us why. There's much to be gained from a studied insouciance. And isn't it nice that at least one orchestra in the world isn't chasing a shiny perfection and is instead ploughing a richer more interestingly characterful furrow? Besides, whenever one found the lack of unified purpose annoying, one was always able to bathe in the creamy sounds. One couldn't really complain.


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    サントリーホール:都響B定期大野和士指揮,庄司紗矢香ソロ [音楽時評]

    6月18日,サントリーホールに東京都交響楽団B定期公演を聴きに行って来ました.
    指揮に今日本の指揮界のトップにあるといえる大野和士,ソロにこれもパガニーニ・コンクールの優勝者で世界的なヴァイオリニスト庄司紗矢香が出演しており,外来オーケストラ並みの,たいへん豪華な顔合わせで,都響もそれに応えて大変な熱演を展開してくれました.

    出演者を纏めますと,
    指揮:    大野和士
    Violin:  庄司紗矢香
    コンマス;  矢部達哉
    でした.

    プログラムも意欲的で,
    シェーンベルク: 浄められた夜 作品4
    シマノフスキー: ヴァイオリン協奏曲 第1番 作品35
                ※※※※※※※※
    バルトーク:    管弦楽のための協奏曲
    でした.

    浄められた夜は,リヒャルト・デーメルの同名の詩「浄夜」に基づき、月下の男女の語らいが題材となっています,最初は弦楽六重奏曲として作曲されました.初期のシェーンベルクは,まだ無調音楽や十二音技法とは無縁で,極端な半音階の音楽ながら,調性は一応ニ短調となっています,
    単一楽章ですが、デーメルの詩に対応して5つの部分から構成されており,いわば標題音楽となっています.
    暗い陰影に包まれた音楽ですが,女性の告白1,男性の苦悩,女性の告白2(ff),男性の激しい動揺を経て,最後はppppのアルペジオで終わります.大変な陰影に富んだ好演でした.

    シマノフスキーのヴァイオリン協奏曲は,三管編成のオーケストラに、チェレスタ、ピアノ、2台のハープを要する壮麗な単一楽章の作品です.シマノフスキーが生まれた当時,ポーランドは各国に分割されて地図上に存在しませんでしたが,1918年にポーランドが独立を達成する2年前に,この協奏曲は作曲されています.
    友人の大ヴァイオリニスト,コハンスキーの助言を受けて作曲され,彼に献呈されたほか,カデンツァ部分は「コハニスキ作」と但し書きが残されているそうです.
    東洋的な響きと印象派に連なる雰囲気を持ったユニークな大変な聴き応えのアル作品です.
    庄司紗矢香は,上野製薬株式会社貸与のストレディヴァリュース「レカミエ」の音量豊かな美音を駆使し,終わり部分に現れる美しいカデンツァを含めて,大変な名演奏を聴かせてくれました.

    バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は,アメリカ亡命後の窮状を救おうとクーセヴィツキーの委嘱で書かれた作品で,オーケストラの各セクションのソロ奏者達が,入れ替わり立ち替わり,ソロ奏者のように演奏する興味深い作品です.
    [導入部]Andante non troppo-Allegro Vivace/[対の遊び]Allegro Scherzando[悲歌]Andante non troppo/[中断された間奏曲]Allegretto/[終曲]Pesante-Presto の5楽章構成という多彩な曲ですが,大野の指揮に応えて,東京都響の各パートがたいへんがんばって,まことに華麗で壮大な協奏曲を展開してくれました.

    また,ぜひ近い機会に,この組み合わせを聴きたいものだと強く感じました.

     

     


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    フィリアホール:河村尚子ピアノ・リサイタル [音楽時評]

    6月16日,これまでお金を払って,3日もサントリーホールに,レベルの低いヘンシェル・クァルテットを聴きに通った愚行を吹き払いたい気持ちで,フィリアホールへ河村尚子のピアノ・リサイタルを聴きに行って来ました.

    こちらは今まさに伸び盛りの感じで,快演を聴くことが出来ました.将来がますます楽しみです.

    今夜のプログラムは,
    モーツアルト:    ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調 K.332
    シューベルト:    幻想曲ハ長調Op.15,D760「さすらい人幻想曲」
                ※※※※※※※※
    メンデルスゾーン:「無言歌集」より 「浜辺で」Op.53-1
                                                 [浮雲」Op.53-2
    シューマン:    「フモレスケ」変ロ長調Op.20
    でした.いかにもお得意の曲が並んでいました.

    彼女と並走している小菅優が,既にベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会の1/4位にあり,今秋にはモーツアルト後期ピアノ協奏曲連続演奏会をコツコツと積み重ねようとしているのに,河村尚子は,それらは先送りして,マイペースでシューベルトやシューマンの名曲,そしてピアノ協奏曲の名曲,ベートーヴェンの3~5番やグリーグ,シューマン,ブラームス,ラフマニノフなどの協演要請に応えているようです.

    この自然体が彼女らしいところなのでしょう.
    しかし,一面では,ピアノ伴奏者の経験を積もうとして,トッパン・ホールでソプラノのエルツェを迎えたリートの伴奏と,チェロのハーゲンの伴奏が予定されていますから,リパートリーの拡充と共に着々と経験を深めているようです.

    モーツアルトのK.332は有名なトルコ行進曲付K331に続けて書かれた傑作です.Allegro/Adagio/Allegro assai の3楽章構成で,ダイナミックな両端楽章に流麗な緩徐楽章が挟まっています.まことに清々しい好演でした.
    ただ,最終楽章の前に,ピアノに置いたハンカチを取って,汗を拭い,次に鍵盤を撫ぜたのですが,ボンと音を出してしまったのは,あってはならないミスでした.


    シューベルトの幻想曲は,allegro confuoco ma non troppo/Adagio/Presto/Allegro の4楽章を持ったソナタといえます.第2楽章の主題が歌曲「さすらい人」によっていることから「さすらい人幻想曲」と呼ばれています.同歌曲の伴奏部から取られた主題が4楽章を通じて現れる,後に循環形式として確立する手法を取っています.そのため緊密な構成となっており,4つの楽章は続けて演奏されます.たいへん見事な好演でした.

    メンデルスゾーンの無言歌は文字通り歌詞のない歌ですから2つの小曲が非常に綺麗に歌われました.

    シューマンの「フモレスケ」については,私は彼女が新宿の朝日文化センターで,この曲の内容を解説して,全曲を演奏したのを聴いたことがあり,たいへん懐かしく聴いていました.
    およそ30分を要する大曲で,フモレスケとは、喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態をいい,シューマン自身は「ドイツ人に特有な〈情緒的と知的とのたくみな融合〉」といっているそうです.
    大きく変化に富んだ5部に分かれますが,切れ目なく演奏されます.なかでは第3部の叙情的な部分が印象的です.すっかり河村尚子の十八番になったようで,うっとりと聴き惚れていました.

     


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