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【論説】アメリカと国際連合とイスラエル [音楽時評]

昨夜遅く,パレスチナのアッバス議長が,国際連合総会で,パレスティナの加盟国申請について長い演説をするのをBBCTVで見守っていて,たいへん感慨深いモノがありました.
それは,今年のアラブ世界の春に乗った動きですが,そもそもパレスチナ問題は、パレスチナの地を巡るイスラエル(シオニスト・ユダヤ人ら)とパレスチナアラブ人(アラブ人)との関係から生じた紛争を一個の政治問題として扱った呼称で,パレスチナ・イスラエル問題と表記されることもあります.

第1次世界大戦において,連合国側のイギリスは同盟国側の一角であるオスマントルコ帝国に対し側面から攻撃を加える意図の下、トルコの統治下にあったアラブ人(広義:信仰上はイエフディやキリスト教徒も含む)たちに対してオスマン帝国への武装蜂起を呼びかけました。その際この対価として1915年10月にフサイン=マクマホン協定を結びこの地域の独立を認めたのです.
他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスはユダヤ人豪商ロスチャイルド家に対して資金の援助を求めていました。この頃、世界各地に広がっているユダヤ人の中でも、ヨーロッパでは改宗圧力を含め差別が厳しかったため、シオンに還ろうという運動(初期シオニズム)が19世紀末以降盛り上がりを見せていました。そこでイギリスは外相バルフォアを通じ1917年ユダヤ人国家の建設を支持する書簡(バルフォア宣言)を出し、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功します.

しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域に将来にわたって影響力を確保することでありました.(サイクス=ピコ協定).
つまりイギリスは3枚舌を使ったのです.

1919年にパリ講和会議が始まり,戦後のヴェルサイユ体制が決定されます.ここで注目すべきは,第一次世界大戦が、ヨーロッパの君主制のいくつもの消滅をもたらし、旧世界秩序を決定的に破壊したことです.そして,ボリシェヴィキがロシア革命を起こす契機となり、20世紀に社会主義が世界を席巻する契機となりました.また,中央ヨーロッパには新しい国家チェコスロバキアとユーゴスラビアが生まれ、ポーランドが復活しました.
イギリスがアラブ人とユダヤ人の双方にパレスチナでの国家建設を約束したことが,後のパレスチナ問題につながっていくことになります.

1920年1月10日,ヴェルサイユ条約発効で国際連盟が発足しました.そもそもは,アメリカ合衆国大統領のウィルソン(=民主党)の14か条の平和原則により提唱され、第1次世界大戦終結のヴェルサイユ条約第1編に基づいて国際連盟規約が定められたことで設立されたのでしたが,アメリカ自身は,モンロー主義を主唱していた連邦議会に阻まれて,ついぞ加盟することはなかったのです.
現在のヨルダンを含む「パレスチナ」は,改めて新設の国際連盟からのイギリスへの委任統治領となったのです.

第一次世界大戦のヨーロッパの戦勝国は、国土が戦火に見舞われなかったアメリカ(ユダヤ・マネーに依存)に対し多額の債務を抱えることになりました.その債権国のアメリカは未曾有の好景気に沸いたものの、1929年10月にニューヨークのウォール街における株価大暴落から始まった世界恐慌は、ヨーロッパや日本にもまたたくまに波及し、社会主義国であるソビエト連邦を除く主要資本主義国の経済に大きな打撃を与えました.ユダヤ人には改めて祖国建設の悲願を強めさせたといえます.

第2次世界大戦で,最初はモンロー主義をとっていたアメリカも,ダンケルクで英仏軍がヨーロッパ大陸から追い落とされた時点から,戦後の覇権を狙って参戦することになります.時期を同じくして,日中戦争で代理戦争をやっていたアメリカに,日本が日独同盟に乗じて参戦します.
アメリカは,世界の覇権の確保に強く執心しましたから,ヨーロッパでの勝利に貢献し,日本に対しては,既に,スイスを通じてポツダム宣言受諾を打診していた日本に,東京大空襲を上回る非戦闘員,民間人を巻き込む原子爆弾を2発投下すという非人道的行為を行って,戦後世界における覇権を確立しました.

それを背景に,ヤルタ会談やポツダム会談でリーダー振りを発揮してきたアメリカは,戦前の国際連盟には加盟していなかったにもかかわらず,一転して,大戦後世界の覇権を正当化する方途として,New York に国連ビルを建てて国際連合を誘致します.第2次世界大戦の戦勝国,アメリカ,イギリス,フランス,ソ連,それに中国が中心となって,世界の警察機能を果たそうという発想でした.
なお,固有名詞としては United Nations という複数形は英語としておかしいのですが,1945年にサンフランシスコの会合で拙速に作成された国際連合規約で,とにかくそれで決まってしまったのです.

1947年の段階で、ユダヤ人入植者の増大とそれに反発するアラブ民族主義者によるユダヤ人移住・建国反対運動の結果として、ヨルダンのフセイン国王らの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を露呈し、過激ユダヤ人の激しいテロ活動に悩んだイギリスは,アメリカの圧力もあって,遂に国際連合にパレスティナ問題の仲介を委ねました.

イスラエルはアメリカ主導の国際連合総会決議181(通称パレスチナ分割決議、1947年11月29日採択)に基づき、1948年5月14日に独立宣言して誕生した「ユダヤ人」主導国家です.この決議は人口の3分の1に満たないユダヤ人に、国土の3分の2以上を与える不当な内容でしたが,その領域は第一次中東戦争の結果、国連総会決議よりもさらに大幅に広げられています.
国連総会決議181による区分は図の通りです.国連は3大宗教の聖地であるエルサレムをイスラエルの首都とすることは認めておらず,Tel Aviv を首都として認定しています.
なお,イスラエルの激しいテロ行為が続いて,大量のパレスティナ人がエクソダスすなわち大量脱出した経緯がありますが,事実上,下図のどの部分にも,ユダヤ人とパレスティナ人が居住しているという現実があり,さらにパレスティナ部分に積極的にイスラエルがユダヤ人の入植を進めているという事実があります.
最初,60~80万人だったパレスティナ人の人口はその後増大しており,残されたパレスティナの土地では受け入れが困難だという形で,パレスティナ難民問題は今日でも悪化を続けているのです.

ファイル:UN Partition Plan For Palestine 1947.png

昨夜のアッバス議長の国連加盟国申請は,まず,安全保障理事会にかけられますが,Obamaは来年の大統領選で,資金面,得票面でもユダヤ人に依存するでしょうから,拒否権発動を辞さないでしょう.

国際連合への加盟は,規約で次のように規定されています.
第4条加盟

国際連合における加盟国の地位は、この憲章に掲げる義務を受諾し、且つ、この機構によってこの義務を履行する能力及び意志があると認められる他のすべての平和愛好国に開放されている。
前記の国が国際連合加盟国となることの承認は、安全保障理事会の勧告に基いて、総会の決定によって行われる。


すなわち,国連安保理常任理事国として拒否権を持つ米国が反対する姿勢を示しているため、パレスチナの加盟がすんなり認められる可能性は低いといえます.それでも,パレスチナ側は,その事態を想定して.現在認められているオブザーバー資格を「機構」から「国家」へと変更する第2プランも用意しているといわれます.この場合は国連総会事項で,常任理事国にも拒否権はなく、全加盟国の投票で変更が承認される可能性が大きいといえます.

拒否権を迂回して正式メンバーとして認められた先例としては中国があります(1971年).
on October 25, 1971, Resolution 2758 was passed by the General Assembly, withdrawing recognition of the ROC as the legitimate government of China, and recognizing the PRC as the sole legitimate government of China. PRC received support from two-thirds of all United Nations' members including approval by the Security Council members excluding the ROC.
Because this resolution was on an issue of credentials rather than one of membership, it was possible to bypass the Security Council where the United States could have used its veto.

なお,中東問題を語る時に日本人が忘れてはならないことは,1972年5月30日に岡本公三が奥平剛士、安田安之と共にテルアビブ空港乱射事件を実行し26人を殺害、唯一人逮捕された(奥平、安田は死亡)事件です.その後,岡本公三はイスラエルで終身刑に服しますが,別の事件で捕虜交換に当たって釈放され,リビア、シリアを経由して、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに戻りました.他の赤軍メンバーは日本の国際手配で逮捕,送還されますが,岡本公三については,手配のテルアビブ乱射事件では既に刑を受けており,「一事不再理」の原則適用に相当するとして,レバノンに亡命を認められています.その後の消息には通じていません.


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武蔵野文化小ホール:東京都と区市町村共催「フレッシュ名曲コンサート」 [音楽時評]

東京都歴史文化財団(東京文化会館)が,都内の区市町村と共催で,都民が身近な地域で気軽にクラシック音楽等の名曲に親しんで貰う機会を作ると共に,新進音楽家の発掘,育成を図るという事業の一環として開かれた,ベルギー出身のピアニスト,エリアンヌ・レイエ1977年生)と,日本の若手ヴァイオリニスト,松本絃佳1995年生)のデュオ・リサイタルを聴きに行ってきました.

前者で,気軽にクラシック音楽等の名曲に親しんで貰う機会を作り,後者で新進演奏家を育成する,という2つの目的を果たす狙いだったのだと思います.

プログラムは,
ショパン:   ノクターン 変ホ長調 Op.9-2
                 ワルツ 変イ長調 Op.69-1
                 ワルツ 変ニ長調 Op.64-1
N.バクリ    ピアノ・ソナタ 第2番 Op.106
ショパン:   幻想即興曲 嬰ハ短調 Op.66
A.タンスマン:24の間奏曲より,I, X, XV
ショパン:   舟歌 嬰へ長調 60
      ※※※※※※※※
以下,デュオで
フランク:    ヴァイオリン・ソナタ イ長調
でした.

途中のバクリ(1961~ )トタンスマン1897~1986)は,いずれも20世紀の作品で,前者はステージ下でレイエと握手していました.レイエはこの2人のレコーディングをしており,会場で販売されていました.

レイエは既にパリ高等音楽院の教授の要職にある中堅どころのピアニストで,いずれもそつなく弾いていました.ただ,前日のノルウエー出身のアンスネスの名演の余韻が残っていた故か,たいへん堅実な演奏という印象に止まりました.

後半のフランクは,複数回不安定なところがありましたが,16歳にしてはたいへんレベルの高い演奏だったと思います.ただ,演奏としては,アンコールに弾いたサンサーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」の方が,緊張感がほぐれたのか,豊かだったと思います.

2人のさらなる成長,発展を祈りたいと思います.


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London でのTchaikovsky Competitionガラ・コン [音楽時評]

先日東京で開かれた Tchaikovsky Competitionガラ・コンサートについて書いたブログで,私はアルメニアのチェリストthe 23-year-old Narek Hakhnazaryan, と
ロシアのDaniil Trifonov, 20, winner of the 2011 piano prize
の2人をほぼ同列に高評しました.

今回は,ロンドンで,Tchaikovsky Competitionの新組織委員長として,Competitionを抜本改革したValery Gergiev がprincipal conductor を勤めるLondon Symphony Orchestraに,今回の優勝者4人中3人を招いて,London でガラ・コンサートを開いたそうですが,The Guardian 紙のreview はNarek Hakhnazaryan を高く評価した上で,Daniil Trifonov については,高く評価しながらも,少しHakhnazaryan を見習った方がよい,と論評していました.もう1人のthe South Korean soprano Sun Young-Seoについては厳しい評価をしています.

Sun Young-Seoは先日は日本に来ませんでしたから,来年の本式の東京ガラ・コンサーとを待つほかありませんが,Hakhnazaryanと Trifonov の部分をご紹介しますと,

The brightest star of the evening was the 23-year-old Narek Hakhnazaryan, an Armenian cellist of real maturity whose performance of the Variations on a Rococo Theme was characterful and well-judged. Playing on a lovely instrument, Hakhnazaryan had the restraint to remain within the conventions of Tchaikovsky's idiosyncratic piece of Russian retro. But he also has the confidence to bring his own personality to the score and to respond to Gergiev's impulsive pushes. と絶賛しています.

それに対して,Daniil Trifonov, 20, winner of the 2011 piano prize, possesses almost boundless potential, but on this evidence is not yet a fully formed player. The charismatic young Russian tore into the Tchaikovsky first piano concerto with exhilarating confidence and formidable technique. Let's hope he goes on to the great things of which he is clearly capable. But the famous work has more shape, shade and depth than Trifonov found in it. A little of Hakhnazaryan's more poised musicianship would not come amiss. とその無限の可能性,将来性を評価しつつも,もっともっとチャイコフスキーのshape, shade, depthを掘り下げるべきだったとして,Hakhnazaryan's more poised musicianship を見習うとよいだろうとアドバイスしています.そういえば,東京のガラ・コンサーとで,トリフォノフは自分の力,テクニックを信じて,力任せにオーケストラを圧倒していましたが,翌日のリサイタルでは,私は彼なりのmusicianship を発揮していたという評価をブログに書いた積もりです.

いずれにしても,来年のゲルギエフによるチャイコフスキーの東京ガラ・コンサートが今からいっそう楽しみです.

  

  

LSO/Gergiev – review

Barbican, London

3 out of 53
  • Martin Kettle
    • guardian.co.uk, Thursday 22 September 2011 18.03 BST

Hats off to Valery Gergiev for his recent efforts to clean up and repackage classical music's legendary Moscow Tchaikovsky Competition. One of the Gergiev reforms is that the winners get to tour with the indefatigable maestro, and this all-Tchaikovsky LSO concert was London's first chance to judge this year's crop in the vocal, cello and piano competitions.

The concert was a fascinating mixed bag, and provided ammunition for advocates and denigrators of music competitions alike. The brightest star of the evening was the 23-year-old Narek Hakhnazaryan, an Armenian cellist of real maturity whose performance of the Variations on a Rococo Theme was characterful and well-judged. Playing on a lovely instrument, Hakhnazaryan had the restraint to remain within the conventions of Tchaikovsky's idiosyncratic piece of Russian retro. But he also has the confidence to bring his own personality to the score and to respond to Gergiev's impulsive pushes.

It was hard to summon as much enthusiasm for the South Korean soprano Sun Young-Seo's performance of Tatiana's letter scene from Eugene Onegin. Despite a briefly arresting start, this was too stately and old-fashioned a piece of singing (with intrusive vibrato) for a scene that needs a girlishness and spontaneity this artist did not seem to command. It seemed the wrong choice for a voice more suited to weightier lyric repertoire.

Daniil Trifonov, 20, winner of the 2011 piano prize, possesses almost boundless potential, but on this evidence is not yet a fully formed player. The charismatic young Russian tore into the Tchaikovsky first piano concerto with exhilarating confidence and formidable technique. Let's hope he goes on to the great things of which he is clearly capable. But the famous work has more shape, shade and depth than Trifonov found in it. A little of Hakhnazaryan's more poised musicianship would not come amiss.


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