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オペラシティ:P.ゼルキン・ピアノ・リサイタル [音楽時評]

8月31日,オペラシティにPeter Serkin のピアノ・リサイタルを聴きに行ってきました.なんといっても,プログラムの魅力に惹かれたからです.彼は,サイトウキネン松本に来て,同じプロをAプロとして弾いてきたあとですから,その演奏のいっそうの充実が期待されたのです.

プログラムは,                                                                 武満 徹:     フォー・アウェイ
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調op.110                                       
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ベートーヴェン: ディアベッリの主題による33の変奏曲 ハ長調op.120
でした.

ピーター・ゼルキンは,1947年生まれといいますから,64歳になるのでしょうか.彼は,父親が有名なピアニスト,ルドルフ・ゼルキン,母親は有名なヴァイオリニスト,アドルフ・ブッシュの娘という恵まれた音楽一家に生まれ,10代で有名オーケストラと有名ホールで協演したり,リサイタルを開いたりしたあと,21歳からふらりと世界各地を4年ほど放浪してから,ピアニストに復帰し,音楽への情熱を溢れ出させたという豊かな個性を持った逸材です.

彼は16,7歳頃に,今夜のメインのディアベッリ変奏曲を学んだといいますから,ほぼ半世紀の付き合いということになるのでしょう.プログラムに彼の「ディアベリ変奏曲のこと」という1文が掲載されていましたから,それをご紹介しておきます.

「ベートーヴェンの『ディアベッリ変奏曲』は一生を通してこだわり続け、演奏し続けなくてはならない作品だと思っています。私が、J.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』を学んだのは14歳の時でした。それから2、3年して『ディアベッリ変奏曲』を学びましたが、それ以来、私は常にこの2つの作品に立ち戻ってきます。
直訳すると《A.ディアベッリによるワルツの33の変容(注*ドイツ語では「変奏曲」ではなく、変形、変換を意味するドイツ語のVeränderungenが使われている)》となるこの曲は、最初のテーマ以外、彼自身がピアノのために自ら生み出した作品以外の何ものでもありません。この中でベートーヴェンはその完璧なまでの作曲の技を見せつけただけでなく、作品全体を陶酔するような即興性で被ってみせています。そして、今までの慣習的なものに対する、どこか生意気で、乱暴で、不遜な精神がこの作品にもみなぎっています。当時の伝統的な手法や慣習に囚われていたような音楽家からすれば、「それはありえない!」と言わせしめるようなところが、ベートーヴェンのどの作品にも必ず1つはあるのです。
この作品は冒険心にあふれ、ワイルドで、気狂いじみていて、近代的で、万華鏡のように変幻自在な作品です。そして何よりも楽しさあふれる作品なのです。まさに"変容・変換"であり、驚くべき変容が次から次へと起きていきます。あたかも自然に発生したかのように、即興で起きているかのように、これらの音楽は自らをどんどん昇華させていき、より深い表現の世界へと進んでいくのです。
『ディアベッリ変奏曲』を聞いていると、冒険心を満たしてくれるような体験と、豊かで深い内省的体験の両方を味わうことができます。心を集中して聴いて下さる聴衆の方々なら、変奏曲が1つ先に進む度に興味をそそられ、全体を覆う大きなアーチをもそこに見出されることでしょう。その変化を追い続ければ、この素晴らしい大作が短くさえ感じられることと思います。それどころか、あっという間に聴き終えたような感覚を味わっていただければ幸いです。」

ディアベッリ変奏曲はたいへんな難曲ですから,滅多にそれが弾かれることはないのですが,私は,数年以上前にポリーニが来日したときに,ベートーヴェンの後期の作品を弾いたのですが,その曲目解説のレクチャーコンサートにサントリーホール小ホールにいった時に,晩年の3大ソナタ,作品109~111も傑作だけれども,それより後の彼の変奏曲はもっと素晴らしいとレクチャーされて,そのポリーニの素晴らしい演奏でディアベッリを聴いたことがあります.

しかし,今夜のゼルキンのソナタ110も,ディアベッリもそれと勝るとも劣らぬ名演だったと思います.しみじみと心に染みる,滅多に聴けない高度な演奏だったと言い換えておきます.


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