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東京春音楽祭:漆原啓子ベートーヴェン全曲演奏会 [音楽時評]

3月17日,東京文化会館小ホールに,漆原啓子のベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の後半を聴きに行って来ました.ピアノは練木繁夫でした.

漆原啓子は,私がカザルスホールでハレー弦楽四重奏団に通いつめた1987年から2000年まで,一貫して第1ヴァイオリンを弾いていた人です.合計37回のハレーの演奏会の中で,どうしても行けなかったモノを除いて,30回以上は通ったと思います.
最初のメンバーは,漆原啓子,松原勝也,豊島泰嗣(ヴィオラ),山本裕ノ介(チェロ)でしたが,1996年春から,篠崎史紀(ヴァイオリン)が、また98年3月からは向山佳絵子(チェロ)が加わり,世界的レベルの日本の弦楽四重奏団だったと思います.
なお,漆原さんと山本さんはご夫婦だったのですが,離婚されたということがあります.

それ以前に,岩淵竜太郎が主宰したプロムジカ弦楽四重奏団,それに続いて,巌本真理弦楽四重奏団が活躍しましたが,岩淵はNHK響のコンマスから京都の音楽大学に移り,巌本さんは若くして夭折しました.巌本さんの最後の演奏会は,ガンの痛みと闘いながらの演奏会だったのを記憶しています.

漆原啓子さんは,1981年ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、最年少で日本人初の第1位優勝を果たし,ヨーロッパのオーケストラとの協演歴も重ねた素晴らしいヴァイオリニストでしたが,ハレー弦楽四重奏団の時期には,ほとんど室内楽に集中していたと思います.

主婦の友社が傾いて,カザルスホールがレジデント・クワルテットを持てなくなって,ハレーが解散してからは,私は,最近まで毎年,8月下旬の木曽音楽祭に行って,彼女が様々な組み合わせで室内楽演奏に取り組むのを聴いてきました.
これが私と漆原啓子さんとの長い関係です.

次に,後半部分を聴きに行った理由は,私が初めてヴァイオリン独奏会を聴いたのは,東大教養学部の第9番教室というのが,当時,都心でリサイタルを控えた演奏者が,その事前準備というか,小手試しにというか,学生に安価で演奏会を開いてくれる場所だったのですが,そこに植野豊子さんが来てくれたときでした.そこで演奏されたのが,ベートーヴェンの第7番だったので,大変思い出深い曲なのです.
余談序でにいいますと,植野豊子さんは,東京大学の名声を高めた有名な物理学者長岡半太郎さんの息子さんと結婚して長岡姓に変わるという噂があったのですが,実際に長岡姓に変わったのは伴奏者の伊達純子さんでした.そして,植野豊子さんは後にセイコー社の御曹司と結婚されて,服部姓に変わり,ご主人が早世された後はウイーン在住ですが,その息子でヴァイオリニスト服部譲二さん(1989年、第4回ユーディ・メニューイン国際コンクールで第1位)が,一度,木曽音楽祭に参加したのを聴いたことがあります.現在はロンドン在住で,指揮者としても活躍しているようで,最近,北京で指揮をした話題が報じられていました,

前置きがすごく長くなり過ぎましたが,今夜は,特に第7番の演奏が白眉だったと思えましたから,私にはたいへん満足できる演奏会でした.
全体としては,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ32曲にはどれひとつ反復がなくって,それぞれがオリジナリティに富んでいるといわれますが,ヴァイオリン・ソナタについてもそれが当てはまることを実感しました.
とにかく,全曲演奏会に果敢に挑戦された漆原啓子さんと練木繁夫さんに,深く敬意を表したいと思います.私の方が,体力的に,今日の前半を含めて全曲を聴く勇気を持てなかったことに,今更,残念と後悔の念を感じています,

 


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