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トッパンホール:パドモアの「白鳥の歌」with T.Fellner [音楽時評]

トッパンホールへ「シューベルト三大歌曲 3」,パドモアの「白鳥の歌」そして時間を埋めるためもあって,ティル・フェルナーのシューマン作曲「子供の情景」を聴きにいってきました.

フェルナーのピアノ・ソロは久しぶりでしたが,たいへん丁寧,端正に「子供の情景」を弾いてくれました.有名な「トロイメライ」は絶品でした.先日のパドモアのドラマティックな「冬の旅」の伴奏が嘘のようでした.

まず,最初にトッパンホールのプログラムへの注文ですが,三大歌曲全編を通じて,聞き慣れない訳語がふんだんに使われていたことです.著書もあるシューベルト研究者をプログラム作成者に当てたための訳語なのでしょうが,シューベルトの三大歌曲をこよなく愛して何度も聴いてきた聴衆には,たいへん迷惑です.今夜に限っても,通常「影法師」と呼称される第13曲が「もう1人の俺」となっています.この研究者さんも,なぜ,題名まで変えたかったのでしょう?「影法師」の方が余程親しみやすく分かりやすいと思いますが!プログラム・ノート全体に文章が難解で,プログラム・ノート以上に自己主張を押しつけている感じが拭えませんでした.

白鳥の歌で私が注目したのは,「アトラス」と「影法師」でした.
「アトラス」については,有名なピアノ伴奏者ジェラルド・ムーアが,その著書『歌手と伴奏者』の中で、声質の軽い人は、どんなにこの曲が好きでも(また、歌った後どんなに気分がよくても)、断じて手を出すべきではない、なぜなら、第一声から聴く人に「私は全世界の不幸を背負ったアトラスだ」、と納得させる深さと強さが必要だからである、と述べているからです.
その点では,いわばリリック・テノールのパドモアの劇的な歌唱をもってしても,とりわけ深さに物足りなさを感じました.

同じく,ジエラルド・ムーアは「影法師」について,
ハイネ歌曲の最後を飾るこの「影法師」は、まさにハイネ歌曲の、そしてシューベルト晩年の歌曲様式の頂点をなす作品であり,言葉の分解と朗誦的な歌唱テンポ、単純な和音だけによる伴奏は、ドイツ芸術歌曲における言葉と音楽との関連性を極限まで追求した究極の形に他ならないとまで述べています.
恋に破れた者が、己の慟哭を映し出す影を、失恋したその場所で見出す、というきわめて自嘲的かつ現代的なハイネの詩に、シューベルトはわずか21小節からなる音楽を付けたのです.音符は極限まで切り詰められ、歌唱声部は付点リズムによって極度の緊張感を生み出します.
こちらの方は,今夜のパドモアは,十分,それに答えていたと思います.

順序が逆になりましたが,かの有名な第4曲セレナードは,この歌手にぴったりの曲で,素晴らしい名唱だったと思います.

久しぶりにシューベルトの三大歌曲をまとめて聴かせていただけたことは,たいへん嬉しいことでしたから.そのための歌手と伴奏者のご苦労には心から感謝したいと思います.
いくつかの注文も付けましたが,リリック・テノールのドラマティックな歌唱を聴くことが出来たのも,たいへん良い,初めての経験をさせて貰いました.

「白鳥の歌」はD957 で,つい先日名演を聴かせて貰った内田光子さんのシューベルト最晩年のピアノ・ソナタ3曲が,D958,959,960ということに気がつきました.つまり,D957~960を続けて聴いたことも,たいへん感慨深いモノを感じ,改めて,シューベルトの偉大さに尊敬の念を禁じ得ませんでした.

なお,今年,来日をキャンセルしたイギリスのテナー,イアン・ポストリッジが2012年早々に来日し,オペラ・シティで1月10日に「白鳥の歌」を歌う予定です.ただ,ちょっと異質な「鳩の使い」は無視して,「影法師」を終曲に据えるようです.お知らせまで. 


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