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【論説】トリトン・アート・ネットワークへの疑念:4「まとめ」 [論説]

昨日の第一生命ホールでのプレアデス・ストリング・クァルテットの記事で,SQWの最後と書いたことと関わって,当日貰ったチラシも含めて,トリトン・アート・ネットワークへの疑念:4を「まとめ」として書いておきたいと思います.
それは誤字,当て字と誇大表示についてです.

第1に,チラシに 「Wednesdays(水曜日)から
           Weekends(週末)へ    2008年,SQWが変わります」という表現です.
Wednesdays=水曜日は良いとして,
Weekends=週末 に木曜日や祝日の月曜日が含まれています.
これはあまりにも行き過ぎた拡張解釈で正しい英語の使い方ではありません.

”String Quartet on Weekends” と表現していますが on Wednesdays は正確だったとして,on Weekends は英語の語句として正しいとしても,Weekends が週末すなわち金曜日の夜から月曜日の朝まで連続して,特に土日の2日を指すとしたら,多くが週末に木,月を含めたバラバラな曜日1日だけについて開催されるものを,漠然と on Weekends を使うのは決して正しい英語表現ではありません.

第2に,誤字,当て字の2つ目として
Curator Quartet といっていますが,Curator は博物館や美術館で使われる用語で,音楽の世界でCurator は用いられるべきではありません.「監修者」と訳していますが,寡聞にしてそんな訳語を知りませんし,異分野の用語を音楽の分野で安易に虚仮威し(コケオドシ)のように借用すべきではありません.

第3に,誇大表示ですが,まず,
「四重奏万華鏡 Quartet Kaleidoscope~弦楽四重奏の250年:ハイドンからバルトークまで,弦楽四重奏250年の歴史を縦横無尽に旅する6日間」という上段の見出しです.
チラシのなかにボロメーオの第1ヴァイオリンのニコラス・キッチンが「万華鏡」について書いた文が訳されていますが,「万華鏡はランダムに小片を組み合わせますが,それらの小片がとても魅力的な幾何学模様を作り出せるということです....実際に彼ら(作曲家)は美しい幾何学模様を異なる曲の間に作り出したのです....その幾何学模様を注意深く見ていくことによって,私たちは,作曲家たちがみずからの才能を生かして伝えられる深淵なる多様性を真に理解することができるのです」
これは小片が美術作品ならわれわれは同じように万華鏡を見れるとしても,音楽は再現芸術ですから,つまりボローメオを通して再現されるモノしか聴けないのですから,そのボロメーオの演奏が作曲家の小片をどこまでありのままに伝えられるか分らないことを棚上げした,たいへん奢った議論,押しつけ,こじつけの空論というべきです.
それは,まるで万華鏡に幾何学模様を描けなければ聴衆が悪いといわんばかりです.
たとえば予定にあるショスタコービッチの2曲の作曲背景にあった政治的現実など,ボロメーオはどうそれぞれの小片に響かせようというのでしょう.

第4に,「”極める”三題~ベートーヴェンを極める,ハイドンを極める,20世紀を極める;クァルテット文献の王道から20世紀日本までをカヴァーする8日間」という誇大表示です.
ここではボロメーオではなく4つの日本のクァルテットの8回の演奏会をセールスしているのですが,これは4つのクァルテットがもし万一たいへんな名手揃いだとしても,限られた曲数で,この三題を極めるなどということは,到底不可能なことでしょう.
ハイドン,ベートーヴェンといった大作曲家を専ら弦楽四重奏から極めるなどまったく無理な相談ですし,特に2度の大戦を経た20世紀などこの時点でどうしたって極められようはずがないではありませんか!!!
なんという独善的で淺知恵のプロデューサーでしょう!

これは一面で聴衆が敬愛する大作曲家と出演者達を冒涜し,他面で憩いを求める聴衆を愚弄するモノといわなければなりません.

トリトン・アート・ネットワークのセールス・ポイントのひとつが地域へのアウトリーチにあるようで,小・中学校その他への訪問活動が喧伝されています.
そうだとしたら,誤字,当て字は厳に正されるべきですし,誇大表示ももっともっと穏当な表現に改められるべきでしょう.

もっと批判的にいえば,ノン・プロフィットを名乗った音楽産業の世界で,こんなにインチキな形でプログラムがでっち上げられてしまう経緯を垣間見た思いで,たいへん興醒めし,怒りさえ覚えています.

ご意見をお待ちします.


追記:
1.私が合計4年を過ごしたボストンの有力紙 Boston Glove が,ボロメーオのショスタコービッチ・チクルスの1夜について批評した「音楽評論」を以下に引用しておきます.以下はボロメーオのAcclaimからの抜粋です.
The ensemble was at its best in the many driving and muscular passages, capturing much of the terror and fury that Shostakovich pours into his instrumental writing. The various slow movements also featured some beautifully dark blends of sound built upon the warm and generous tone of cellist Yeesun Kim.
There was however room to deepen, expand, and clarify. First violinist Nicholas Kitchen played with a wonderful calm charisma, though his clarity of phrasing, his rhythmic sensitivity, and his imagination of tone were not always matched by all of his colleagues. There is also a dryness to the composer's wit, a slashing quality to his humor that was at times given short shrift.

2.私には,1昨年暮れに,第一生命ホールでニコラス・キッチンと短い会話をした記憶が鮮明なのです.
彼は事もあろうに私の座席(2階R1-25)右横の通路に三脚を立てて,ビデオでステージ上の演奏を録画していたのです.私が,休憩時間に,この非常識をホールのアテンダントにクレームしたところ,程なくキッチンが自分でやってきて撤去してくれましたが,私が”It is quite unusual to see such an obstacle in the hall." と声を荒げたところ,キッチンは"Oh!" といってコンセントなどを取り外し,ビデオと三脚を取り外した後,”I hope you enjoy our performance." といったので,私も,”I hope so, too." と返事した事をはっきり覚えています.
私には彼の非常識が忘れ難いのです.ひょっとしてホールもこの非常識に合意していたのでしょうか?
私はこの夜のコンサートのブログでは,このクァルテットに高い評価をしていますが,私のその夜の関心は,双子のガルネリ"Baron Vitta"(キッチン)と"Kreisler"(タン)を聴くことにあったからです.



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